10 きょり
オレンジ色の夕焼けに染まる空。
アルバート・シャノンを訪ねる道中に、第二騎士団団長のアーサー・ノースと会った。
アルバートは王宮におつかいに行っているらしい。私は執務室で待つ許可を得て、そこへ向かった。
執務室の扉の前まで来たが、鋭い視線を感じる。歩いてきた廊下を振り返ると、角に一人。反対に振り向くと、角に二人。
三人は鬼のような物凄い形相で私を睨みつけている。昼間の女騎士たちだろうか。
ぞっとした私は、急いで部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。
扉を背もたれにして、へたりと座りこむ。手に持っていたバッグを腕の中に抱える。
「はぁ、あんなじろじろ見られてたら、気が滅入るよね……」
アルバートを少し気の毒に思う。
しばらく、恐ろしくてここを出られそうにない。
「入ってくるかな?」
いま、この部屋にアルバートがいないことを、女性たちは知っているかもしれない。
女性たちがこの部屋に入ってきて、私に対峙したら何をしてくるだろう。身分や容姿について罵るのか。はたまた、暴力まで発展するのだろうか。
抱えたバッグに顔を埋める。
「面倒だなぁ……」
女性相手に喧嘩なんてしたくない。はぁ、と重いため息を吐く。
「ひっ!!」
背もたれにしている扉が動いた。
思わず、息を呑む。
さっきの女性たちだろうか。アルバートだったら良いけど、そんな都合のいいタイミングで戻ってくるだろうか。
コン、コンとノック音が鳴る。
うるさい心臓を抑えつけるようにバッグをぎゅっと抱きしめる。
すくっと立ち上がって、三歩下がる。
キイッと音を立てながらゆっくりと扉が開く。
「どうした? 青白い顔して」
「…………な、なんだ」
ほっと安堵したら、足の力ががくっと抜けてしまう。
「え、ちょ、おい?」
困惑しているアルバートは、とっさに私の二の腕を掴んで引き上げた。そのおかげで、私は二度も床に座りこまずにすんだ。
アルバートは腕を掴んだままソファまで行き、私を座らせる。
よく考えたら、女性たちは勝手に仕事部屋に入るほど、非常識ではないかもしれない。悪い方向に考えすぎていた。
アルバートには、突然変な行動をした人に見えているかもしれない。迷惑をかけてしまった。
落ち着いた私は、隣に座っているアルバートに頭を下げた。
「迷惑をかけて申しわっ?」
言葉の途中で、アルバートは私の肩を押し上げる。そして、アルバートは私の頬を両手で包み、顔を固定して視線を合わせる。
「謝られるよりも礼の方が嬉しい。少しは頼れ」
「……あ、ありがとうございます」
短い言葉なのに、嬉しく感じる。
「おう」
アルバートは目を細め、ニッと白い歯を見せて嬉しそうに笑った。
胸がどきっと鳴る。顔が火照るのを自覚する。
アルバートの大きな手は剣による硬さがあるけど、柔らかくて暖かい。
「…………あの?」
珍しく、アルバートの目が、おもちゃを見つけたようにきらきらしている。
「ん、む」
「柔らかいな」
アルバートは私の頬を手のひらでもみもみとはさみ始めた。
「む、……や、」
言葉が続けられない。ぜったい、間抜けな顔になっていると内心で思う。
恥ずかしくなってきた私は眉を寄せて、アルバートの頭に手刀をおとす。
「わっ」
がくっと頭を下げたアルバートは、声を上げてとても楽しそうに笑っている。
「もう、人の顔で遊ばないでください」
「ははっ、ごめんって。思った以上で」
むすっとした表情を保ちたいのに、アルバートの明るい笑顔に、私もつられて頬が緩んでしまう。
「あ! アルバートさまって、アップルパイお好きですか?」
「好きだよ」
この返し方だと、告白のようだなとふと思う。アルバートは気にしてないみたいだ。
さすがだなぁと感心する。
「えっと、さっき買ってきたんです」
「わざわざ?」
「私が食べたくて」
予想通りの反応に、笑顔で答える。
アルバートが食器を取って、渡してくる。
「甘いもの好きなんだなぁ。太んないの?」
「それ、女性に言っちゃいけない言葉ですよ? 私は食べた分だけ動くのでいいんです」
微笑んでいるアルバートに、私は茶化すように返事をした。
私はバッグを開いて、ケーキの箱を取り出す。
アルバートは飲み物を入れている。
「なるほど?」
「アルバートさまの好きな食べ物は? なんでも食べてますよね」
さっき、バッグを抱き潰していたから、アップルパイが潰れていないだろうか。心配しながら、恐る恐る箱を開く。
一つは少々潰れている。もう一つは、奇跡的に無事。
「んー、…………甘過ぎないものなら?」
コト、コト、と二つのカップを机に置いてるアルバートを見る。
「なんですか、その長い間は? しかも、あやふや」
「やー、そんなに拘りなくて」
「拘り?」
潰れていないアップルパイをアルバートの前に置く。
「そう。子供の頃から拘りが薄くて、親はこんなんで自己主張できるのかって、心配していたらしい。潰れた方でいい」
「ありがとうございます。……それだと、騎士になったのは驚かれたでしょう? なんでなったんですか?」
にこにこしながら、ありがたく受け取る。
少年に間違えられようと私は女なので、見た目のよいアップルパイの方が嬉しい。
アルバートは、一瞬、迷ってから口を開く。
「ルーナが教えてくれたら、教えよう」
私はアップルパイをごくんと喉に通した後、首を傾ける。
「良いですけど、知っているのでは?」
あの夜に、話してそうだが。
「素面の時に聞きたいから?」
アルバートの表情が変わらない。
たいした理由もなく聞いているのだろう。
「……家族を楽させたい。それと、社交が苦手なこと。あと、背の高い私にできることってなにかなって思いまして」
婚約していても、いずれ、破棄されるだろう。次の婚約も取り付けられるはずもない。
そう思って、背の高さを使えるかも、と騎士団に入った。
「身長」
アルバートは私を見て、首を傾ける。
「アルバートさまは、背が高いですよね」
会話が続かなくなる。そう思って、笑みを作って話を逸らした。
「そうだな。あるとき急に伸びて、関節が痛かったのを覚えている。ルーナの身長だと、俺くらいあるほうがちょうどいいよな」
アルバートは、私を見て言った。視線を感じるところが、正確には、頭ということに苦笑いする。
それでも、嫌な視線ではない。
「そうですね。アルバートさまならヒールを履いても大丈夫ですからね」
私は、コップを取って中を見る。
「あれ? ココアを入れてくださったんですね。ありがとうございます」
なにを入れてほしいと言っていなかったことに、いまさら気づいた。
「いつもココアを飲んでたから。好きなんだろ?」
「はい、好きですよ」
機嫌が良くなった私はそう言って、ココアをこくりと飲む。
「それで、アルバートさまは?」
「えっ?」
はぐらかそうとしているのだろうかと疑う。コップを置いた私は、むっとした表情でアルバートに詰めよる。
「騎士になった理由、教えてくれるのでしょ?」
一瞬、アルバートの動きが止まったように見えた。
「ああ、教える」
「はい」
私は座り直して、聞く体勢になる。それを見たアルバートは眉を下げる。
「期待するほど面白くないぞ?」
「勿体ぶらないでください。聞いてみたいだけですから」
アルバートは小首を傾げ、軽く口角を上げる。
「一番の理由は、剣が好きだから」
「それはわかってました」
一番と言ったからには続きがあるだろう。
アルバートは剣を持つことと仕事を結びつけていない。それは気づいていた。
「そうか。社交界デビューをしてから、女性が群がってくるようになった。追い払おうとしても離れていかないから、耐えきれなくなって騎士になったんだ。情けない」
アルバートの顔色がだんだんと曇る。眉間にしわを寄せて、険しい表情になった。
私は、アルバートを見て、眉を寄せる。悔しいのだろうか。いや、一言で片付けるものではない。
社交界デビューするのは十四才。アルバートが入団したのは十六才と聞いた。
付きまとう女性から離れたことが情けないなんて、なぜそう思うのか。
私だったら、嫌なものから、私を傷つけるものから、一刻も早く離れたいと思う。二年なんて待てない。
二年も我慢して頑張っただろうに……。
「……そんなことないです。逃げるのも一つの手段。ずっと塞いでいるより、視野を広げたほうが、きっと楽しいでしょ?」
こんな言葉が届くとは思っていない。でも、どうしても励ましたくなった。
アルバートの表情が和らいでいく。
「たしかに、そうだな」
アルバートはコップをとって、コーヒーを一口飲む。
「…………でも、結局、追っかけてくるやつはいるけどな」
アルバートは苦笑いで、冗談めかして言った。
気を使っているのだろう。
「それは、残念でしたね。……注意しないんですか?」
私は扉に視線を向けた。廊下の女性たちのことだ。迷惑ならば、そう伝えたほうがいいのにと私は思う。
「最低限話しかけたくはないな」
アルバートが扉から視線を逸らす。
ふとアリアと話していたことを思い出す。
あんな話のあとだから、ためらってしまう。
しかし、この機会を逃したら、いつ聞けるか分からない。もちろん、物理的な話ではなく、精神的な理由で。
私は眉を寄せてアルバートを見て、おずおずと口を開く。
「……なんで、好きではないのに、女性の方と?」
アルバートは、一瞬固まったが、かちゃりとコップを置く。
「聞きたい?」
ごくりと固唾を呑む。
さっきとは違った冷たい声。ゆったりと上がった口角。いつも綺麗な瞳が、いまは暗い。瞳の奥に深い感情を宿しているようだが、正体がつかめない。
空気が張り詰めている。時間が止まったように感じる。
「聞かないほうがいい。ルーナは綺麗だから」
「……っ!」
アルバートの声と表情が、これ以上踏み入ってくるなといっている。綺麗なんて言葉を使って、高い壁を作られたように感じて胸が痛む。
アルバートは私の様子には一切構わずに、私の手に手を重ねる。そして、やさしく私の指先を解いていく。
いつのまにか、硬く握っていたようだ。指先が白くなっている。
いつもの表情に戻ったアルバートは、何事もなかったように口を開く。
「今日はなにか用があったんじゃないのか?」
私は、眉間にしわを寄せる。
なんでそんなにふつうに……。
「……忘れていました。アリアとブライトさまと四人で、明後日の夜、食事に行きませんか?」
私は気持ちを落ち着けるようにゆっくりと口を開いた。
「いく、場所は?」
アルバートは、微笑んで聞いてきた。
私は、ココアをごくごくと飲んでから答える。
「いつもの居酒屋で」
それは、あの夜、泊まった居酒屋だ。
「わかった」
何も気にしていないという顔をするアルバートを視線から外して、アップルパイを口にする。この微妙な空気がじれったい。
「お酒強いですよね、アルバートさまは」
たぶん強かった。何杯も飲んで、人を抱っこして階段を登るなんて、お酒に弱かったらできないだろう。
「そうだな。ルーナは、弱かったな」
「あれは、あのときだけです」
気持ちが沈んでいたから、酔いがまわるのが早かっただけ……のはず。
アルバートは、ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「じゃあ、飲み比べでもする?」
「えっ、それはちょっと……」
「最初から負ける気?」
からかうように言うアルバート。
私はムカッとして大口を叩いてしまう。
「やってやりますよ!!」
そのあとは、いくらか話をして、食器を片付けはじめた。
食器を布で吹き終わる。
自分の荷物を持ったアルバートが声をかけてくる。
「部屋まで送る」
「別にいいですよ?」
アルバートは私の荷物も持ってしまう。荷物を右にまとめて、左手を差し出してくる。
「はい」
「ここ職場!」
私は眉を寄せて、アルバートを見る。
だれかに見られたら恥ずかしいのだ。
「気にするな」
微笑んだアルバートは、私の右手を掬って、歩いていく。
私は、離れないようにぎゅっと握り返した。
次回、パワフルなストーカー登場!
このお話で10話目になりました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
*超簡単に人物紹介(ネタバレなし)
ルーナ・シアーズ 男爵家の長女
18才 白銀の髪 紫目
背が高いのがとても嫌
アルバート・シャノン 伯爵家の次男
20才 蜂蜜色の髪 淡い青目
副団長 女嫌い?
アリア・ローレル 伯爵家の長女
18才 桃色の髪 黄色い目
友達想い 自信家
ルイス・ブライト 伯爵家の次男
20才 黄緑色の髪 茶目
明るい アリアのこと以外なら人畜無害