第三十一話 二つのきおく
「そ。というか、初めからディーリアは死んでいたのよ」
「パートナーと共に、昔、襲われたときに命を落としていた」
科白を継いだのはクェイルでした。いつの間にか水を張った器を抱え、扉のところに立っています。
ずっと看病していてくれたのでしょう、疲れが顔に表れていました。
「だって、でも」
なおも逡巡するネオルクを横目に、器が側の台に置かれ、透き通った水面に顔を映し出します。
何気なく見た水面へ映った彼女の姿に言葉を失いました。
「ディーリアであって、そうじゃない。この体はディーリアのものだけど、宿った魂は別物」
そこには別人がいました。
「私は、サリア。空を駆け、地を這う雷の精霊よ」
水の中に存在する、緑の髪を持つ女性が笑います。一切の含みのない、信用できる素の笑顔でした。
「じゃあ、ずっと……騙してたの?」
会ってから全てのことが仕組まれていて、自分だけでなく宿の主人や病院の人達まで、みんなを欺いていたのかと思うと苦々しい心持ちがします。
「どう言い訳をしても、つまりはそういうことになるわね」
「酷いよ。ディーリアのお父さんは宿を追われて、あんな怪我をしたんだよ? なんとも思わないって言うの?」
どこか、説明の面倒を回避する手段に思え、笑顔に納得させられそうになるのを踏みとどまります。更に欺こうとしているのかもしれないからです。
その時、ふわりと何もないところに風が起こり、燃えるような色が現れました。
「サリアだけを責めないで。この計画に加わっていたのは私もだから」
炎の精霊・フィアです。火事に見舞われた宿で力を貸してくれたきり、姿を隠していた彼女が、申し訳なさそうな顔をして立ちつくしています。
「ディーリアも彼女のパートナーも、悪魔にやられて倒れた。ディーリアが死の直前に噛み締めた憎しみだけをこの地に残して」
サリアは口を尖らせて、説明など無意味だといわんばかりにフィアを睨んでいます。
「フィア」
「サリアは悪魔に意識を乗っ取られ、操られたことがあるんだ」
精霊が持つ、強い自然の力を押さえ込んでしまえる存在・悪魔。会ったことのない存在に対する恐怖が胸に棲み付きました。
ようやく、観念したように雷の精霊が語り始めます。
「悪魔を憎む心が同調したのかも知れない。私はディーリアに引き寄せられるようにこの街に来て、彼女の最期を見たわ」
一点を凝視する橙の瞳には、その時の情景が蘇っているに違いありません。濃い闇に呑まれ、生気を奪われていく少女の横顔が。
「『無念を晴らして』って聞こえた気がした。考えている暇はなかった。私は、ディーリアと重なり、一つになったの」
「ひとつ……!?」
精霊と人間が同じ体を共有することが何を意味するのかは分かりませんが、驚くべき事だという実感は湧きました。クェイルが話の方向を変えます。
「憎しみは闇を呼ぶ。この地に染み込んだディーリアの負の感情が、更なる災厄をもたらすのは自然の成り行きだった」
フィアがそれを引き継ぎました。
「我らが主の意志により、私達はずっとこの地を内と外の両面から見守ることにしたの」
「髪がね。青くなったのは、闇を消すことが出来たからなのよ。それと、ディーリアの目的が達成されたから」
「目的?」
ディーリアだったものはさらさらと揺れる髪をいじって、小さく笑んでみせました。
「復讐が済んだ。そして、信じる者を見付けた。……これは、私の目的だったのかもしれないけどね」
ずっとわだかまっていた黒い気配を消し去ったことで、血に染まった髪も目も元の色を取り戻したのだと彼女は言いました。
ネオルクは全てを聞いたことで、やっとのことで息を吐き出しました。
「フィアは、事件に巻き込まれたディーリアのお父さんを助けてくれたんだね」
町から出て街道に足を踏み入れると、旅人の姿もなく寂しい道行きが広がっています。
「僕、何も分かってなかった。ディーリアの気持ちも、みんなが考えていたことも。勘違いしてた」
父親が泣いていたのは、サリアが本当の別れを告げたからでした。
ディーリアの記憶も心も体に宿っていたけれど、そこに彼女の魂はなく、目的を達した今となっては娘のふりをして側に居続ける理由もありません。
最後の仕事だと、謝罪の意味も込めて親子の別れを代行したのです。
「ネオルクがしたことには意味があった。二人を救ったのだから」
「だと、いいな」
高い日差しを浴び、手で作ったひさしを通して空を仰ぎ、
「そうよっ!」
「わっ、ディーリア!?」
突然の声と背中への衝撃で肩が跳ね上がりました。
「じゃなくて、サリアよ」
とは言っても、そこに立っているのは相変わらずディーリアの姿のままの彼女です。いきなり呼び方を変えろと言われても、抵抗があります。
「ちょっと、さっさと旅立つなんてどういうつもり?」
数日と経たず怪我を完治させたネオルクはほとんど町に留まることなく旅暮らしへと戻っていました。
服に隠れた胸の内には、新しく調達した紫の石がしっかりと輝いています。
「どうって、僕はお姉さんに会いに行かなきゃ」
「精霊との契約を放っぽって、どこに行くの? って聞いてるのよ」
「わっ!」
ぎゅっと腕を掴まれた瞬間、ビリリと刺激が走りました。咄嗟に上げた悲鳴を彼女が満足そうに聞いてから、手が離されます。
びっくりして見返した先に居たのは、緑の髪の女性でした。
「はい、オシマイ」
「もしかして、今のが?」
声質も大人っぽい艶やかなものに変化しています。その響きにドキリとしました。
じょじょに流れ込んでくる新たな力に体を慣らすように、背筋をすっと伸ばします。心地よい何かが体に馴染んでいくのが分かりました。
「早くミモル様に会えると良いわね」
もう驚きはしませんし、無理に聞き出そうとも思いません。それでも、姉に関わる精霊達の真意に心を動かされるのは仕方ないことでしょう。
身を躍らせようとする姿勢を見せて、サリアは消えていきました。
「これからも私は二つの記憶と体を背負って生きて行くんでしょうね」
その一言だけを風に乗せて。




