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とびらの少年~「扉の少女」外伝~  作者: K・t
第四章 きりを抜けて
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第十八話 水底からのさそい

 天使の耳は妙な音を捉えていません。人間が聞き取れないような自然の音なら沢山聞こえているのですが。

 ここは、少年の力が何かを感じ取っていると考えた方が妥当です。


「ねぇ、クェイルには聞こえない? 僕、変になっちゃったの?」


 衝動が高まり、奥から突き上げてくるようです。まさか、ずっと辺りが霧ばかりのせいで頭がおかしくなったのでしょうか?


「私には聞こえない。でも、ネオルクが変になったわけじゃない」

「けど」

「私がついている」

「……うん」


 しかし、治まりかけた鼓動はまた「ふわり」を感じたことで再び強く脈打ち始めました。ふわっ。感覚が狭まり、距離も近くなってきます。


「いる! 誰かいるよ!」

「ネオルク!」


 だめ、怖い。お願い、僕を、助けて……一人にしないで!


「うわぁあああっ」


 恐怖のあまり叫びだしたネオルクから目のくらむ光が発せられます。

 押さえようとしたクェイルさえ顔を背けるほどの威力を持った光は、彼が力尽きて気を失うまで放出され続けたのでした。



「う……うぅん」

「目が覚めたみたいで良かった」

「え? あれ?」


 本日二回目のクェイルの顔のアップに驚きの声を上げ、ぼうっとしていた瞳を見開きます。次いでその向こうに見える青い空と明るい太陽にもびっくりしました。


「僕、確か……」


 起きあがってみると、そこは湿地帯に違いありません。生えていた高い木の枝にクェイルは飛び上がり、こうしてネオルクを介抱してくれていたようです。


「覚えているか?」

「えっと、何か聞こえたと思ったら、段々どきどきしてきて……」

「力が暴走したんだ」


 先を思い出そうと頑張っていると、そっとクェイルが教えました。ネオルクにはそれがどういう意味なのかを理解するのにいくらか時間を要しました。


「暴走? そっか、怖くなって……。ごめんなさい、迷惑かけて」


 こんな時、謝ることしかできない自分が悔しく思えます。けれども、そんな雰囲気に反して、クェイルの声は責める語気を含んではいませんでした。


「いや。誰も傷ついていない。それにご覧の通り、良いこともあった」

「え? もしかして霧が晴れてるのって、僕が何かしたの?」


 考えもしなかったことにポカンとします。あんなに濃く立ちこめていたはずの蒸気の群が綺麗さっぱり消え失せていました。

 問いかけながら見上げると、クェイルがうなづきます。


「光の力だった」

「光? え、でもまだ……」


 少年を抱えて天使が大地に降り立ちます。湿っぽいのは相変わらずでも、空気はずっとさわやかで軽やかでした。


「……良い風だね」


 浅く冷気を含んだ風を受けて、二人の髪や服がなびきます。その快さが、悲しみが多くを占めていた心をほぐしていきました。

 もやもやしていた頭までが透き通ってくるようです。


 少しの間身を任せていたら、強張った体を伸ばして「ま、行けば分かるよね」と笑えるようになりました。


 再び手を繋ぎ、二人は先を急ぐことにします。気を失う前までに、思った以上にこの地を進んでいたらしく、湿地帯はまもなく抜けることが出来ました。


「……うわぁ! 湿ってた訳だね」

「あぁ」


 先の景色を見て、ネオルクは感嘆の声を上げました。ばしゃばしゃと駆けだしていくネオルクが立ち止まり、クェイルを振り返ります。満面の笑みで叫びました。


「これが海!?」


 どこまでも続く、空と海の二色のあお。見渡す限りの絶景に、彼は感激していました。塩気を含んだ海風にさらされて、洗われるような感覚に目を閉じます。


「風が気持ちよかったのは霧が晴れたからだけじゃなくて、海から流れてきてたからなんだね」

「ネオルクは海を見るのは初めて……か」

「うん! 本で読んだことがあるだけで……でも、描かれていた通りだった。すっごく綺麗だし、どこまでも続いてる気がするよ」


 聞いて欲しかった質問に出会ったように、ネオルクはにこりと笑いました。


 風の力があって本当に良かった。前の自分じゃ、きっとこんなふうに感じられなかっただろうな。


 夢見心地でした。五感でこんなにも感じ取っているのに、美しい幻でも見ている気分です。もしかして、本当に天使の見せる夢だろうかとさえ疑ったほどでした。


「お姉さんも、この海を見たことがあるのかなぁ」


 ぼんやりとした中で呟いた言葉に、クェイルは返事をしませんでした。代わりに「ここを渡る」と言ってネオルクを抱え上げます。


「わっ」


 本心ではまだこの場所を離れたくなかったのですが、口振りや行動から先を急いでいるらしいことが分かったので何も言わずしがみつきました。


 そっと地面から浮き上がると同時に、白い羽が背に伸びます。

 水面をすべるようにして渡る途中、崖とは違う水の底の不思議さから目を離せずにいました。天気が良いからか、色々なものが透けて見えます。


「あ、さかながいっぱい泳いでるよ!」


 いくつも列を作って流れる黒っぽい小さな影たち。ここまで来なかったら目にすることはなかっただろう沢山のものに心が浮き立ちました。


 同じ物を見て欲しくて天使に目を向けると、生やした羽に海から反射した日光が当たって目映まばゆく輝いています。


 クェイルって――。


「ん?」

「ううん、なんでもない」


 時々遠さを感じたり、あまりに自分がちっぽけに思えてしまうけれど。


「さぁ、そろそろだ」

「……え、ここ?」


 言われて周囲を観察しては見たものの、そこはまだ海のど真ん中です。あるのはやはり空と海で、遠くの方に小さく島らしきものが見えているだけでした。

 少し考えて、クェイルの言葉を改めて口の中で繰り返してみます。


「こんなところに何が……もしかして、水の中?」


 一点のくもりもない、透き通った水底をじっと眺めていると、陽を浴びて何かがきらりと光りました。

 先ほどまで彷徨さまよっていた霧の中では認められないような、かすかな光です。


「見えるか?」


 ネオルクを支えながら、天使がもっと奥を見つめるようにと目で合図しました。それに促されて、バランスを崩さずに済むギリギリまで水に顔を近づけます。


 キラリとまた光りました。どうやら見間違いではなく、何かが日を反射しているのです。


 けれど、水上からではこれが限界。もっと見たいのに見られない。その焦れったさで彼はもう少し、もう少しと身を乗り出していきました。


「ネオルク、あぶな――」

「わっ」


 するっ! 当然のごとく、好奇心に負けた彼の体はクェイルの腕からすり抜け、そのまま水面へ頭から落ちていきます。


 ざばっ!! 冷たさと海水独特の香りが鼻につきました。視界はどこもかしこも泡・泡・あわ。白い空気の固まりにおおわれ、前後不覚に陥りました。


 お、溺れ……っ。


 幸い、水面間近から落下したために痛みを少し覚えてだけで済みましたが、気が動転するのには十分。必死で藻掻もがけば藻掻くほど体は浮力を失っていきます。


 そのうち、水を飲んでしまったのか息が苦しくなり、あとは藻掻くことすら出来なくなってしまいました。ノドを塊のような水が抜け、肺全体に満ちていきます。


 流れに身を任せるだけになった時、ぼんやりした意識の中でふいに何かに引き寄せられるのを感じました。


『我が元へ』


 声は海の中で幾重いくえにも反響し、ネオルクの耳に届きました。

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