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 挿話3 槙坂さん、赤裸々(レッドカード)ガールズトーク<上>

 藤間くんと並んで駅まで歩く。


 終始無言。


「じゃあ、僕はここで」


 駅に着き、ようやく藤間くんが沈黙を破った。


「じゃあね」


 わたしがそう応えると、彼は困ったような苦笑いを見せてから、改札口の向こうへと消えていった。


 藤間くんが見えなくなるまで見送り、わたしは帰路につく。


 自宅の私室で、机の上の鏡に自分の顔を写してみれば、意外にもいつも通りだった。


 いつも通り。

 キスをしたにも拘らず。


 そう、わたしは藤間くんとキスをした。


 初めてのキス(ファーストキス)


 それはただ唇を重ねるだけの幼いもので、ほのかにコーヒーの味と薫りがした。


 藤間くんはわたしが初めて、いいな、と思った男の子。カッコよくて知的で――何より、『槙坂涼(わたし)』から逃げようとする。そんな子は初めてだ。だから気になって仕方がない。好きだと言い換えてもいい。つまり、わたしは好きな男の子とキスをした。


 それなのにいつも通り。


 これがただの通過点だから?

 彼がわたしを好きなことはわかっていたから?


 どちらにせよ何にせよ、わたしは普段通りに振る舞えている。ある意味とても『槙坂涼』らしくはある。


(ああ、らしいと言えば……)


 不意に思い出し、苦笑する。


 今日の球技大会、わたしはとてもらしくないことをやらかした。


 それはわたしが出場したテニスの決勝戦でのこと。小学生のころテニススクールに通わされていたこともあって、そこまで順調に勝ち進んだわたしは、決勝戦も終始リードし、優勝はほぼ間違いないと確信していた。


 ギャラリィは多かった。大会も終盤となればほとんどの生徒は敗退し、決勝に進んだクラスメイトの応援や好みの種目の観戦に回る。このテニスコートにもわたしのクラスメイトはもちろんのこと、槙坂涼を見るためにたくさんの生徒が詰めかけていた。


(自分のクラスを応援しなくて大丈夫なのかしらね)


 そう苦笑しながら周りを見て――そこに藤間くんの姿を見つけてしまった。


 慌てて一度彼から視線を外し、改めて横目で盗み見れば、やはりそこに藤間くんがいた。……突然、気恥ずかしさがこみ上げてくる。彼に見られている。わたしはただいつも通りに『槙坂涼』として、みんなの期待に応えればいいだけ。そのはずなのに、どうしても藤間くんというたったひとりの存在を意識してしまう。


 彼にいいところを見せたい。

 いつもの素直ではない言葉で褒めてもらいたい。


 そう思ってしまった。


 にも拘らず、或いは、そのせいか、不必要に肩に力が入ってしまい、直後に打ったサーブは藤間くん曰く「見事なホームラン」。ボールは観客のはるか向こうに消えていったのだった。


 思わず場が静まり返り、その静寂は誰かが「槙坂さん、ドンマイ」と声を上げるまで続いた。


 そんな大失敗をやらかしたからか、その後は肩の力も抜けて、いつも通り。危なげなく優勝した。


 そうしてその帰り――わたしは藤間くんとキスをした。

 まるで今日の勝利のご褒美。


 きっとわたしたちは、今日を境に何かが大きく変わるわけではなく、キスをしたという事実を胸の中で大切にし、お互いを昨日より少しだけ特別な存在だと意識する。その程度だろう。


 その程度だけど素敵なことだと思う。


 彼のことを思い出して微笑めば、鏡にはいつもより嬉しそうな自分が映った。


 結局、この後わたしは、毎日そうしているように、シャワーで今日の汗を流し、食事をし、明日の授業の予習をして、もう一度お風呂に入ってから眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのつもりだった。

 

 


「あれ……?」


 暗闇の中でぱちりと目を開ける。


 ぜんぜん寝つけなかった。

 急に藤間くんのことが頭の中を巡り出したのだ。


 なぜ今ごろ?


 どうにかしようと思ってタオルケットを頭からかぶってみたけど、やっぱりどうにもならなかった。


「ど、どうしよう……? キス、しちゃった……」


 唇を指先でなぞってみれば、さらに生々しく記憶が蘇ってくる。


 こちらを見つめてくる右だけかすかに赤みがかった黒鳶の瞳、わたしの肩に添えられた手、重ねられる唇とその感触。


 


 そして、彼はわたしを優しく押し倒し、さっきまでキスをしていたその口で「涼……」と――、


 


「いきなり名前を呼ぶなんてズルい。そんなことされたら、わたし……って、ちがうわ。途中からただの妄想だわ……」


 明らかに記憶と妄想がごちゃまぜになっていた。


 かぶったタオルケットを跳ね除け、無心になろうと今度は枕に顔を埋めてみる、


「……」


 のだけれども、


(キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった……)


 要するに、わたしはずっと現実感を欠いていて、今になってようやくそれを取り戻したのだろう。ぜんぜん無心になれず、うっかり窒息しそうになっただけだった。


 わたしは右へ左へ、落ち着きなく寝返りを繰り返す。


 というか、息が上がるほどどったんばったんしているこれは、正しくはのた打ち回っているとか悶えているとか、そういう運動ではないだろうか。両親の寝室と離れていてよかったと思う。……このあと特に。


 結局、駆け巡る妄想のせいで騒ぐ体をむりやり静め、疲れとようやくやってきた睡魔に負けるようにして眠りについたのは、窓の外の空が白みはじめたころだった。……睡眠時間は正味二時間。


 起きて鏡で自分の顔を見てみれば、目の下にうっすらクマができていた。


「ひどい顔ね。こんなので藤間くんに会うつもり?」


 苦笑しながら自分に問いかける。まぁ、これくらいならメイクで誤魔化せそうだけど。


 と、そこでわたしは動きを止めた。


 藤間くんと、会う……?


 ……。

 ……。

 ……。


 わたしは唐突に崩れ落ち、ベッドの上に突っ伏した。


「ど、どんな顔をして会えばいいの……?」


 昨日キスをしたばかりで。

 ちょっと強引にリードされて、彼に言われるままに……いや、これはちがうけど。


「わたし、こんな調子で藤間くんに会って大丈夫かしら……?」

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