青野ヒカリは魔法少女を辞められない?
こんばんは~☆
皆さん、ご無事ですか!?
うん、今日も街は平穏無事ね。
「はいはい、暴れないの! じゃじゃ馬にも程が……いや、これはウマではないわね」
平穏無事に……動物園から逃げ出したライオン一頭、サイ一頭、サル二匹を動物園に戻すことが出来たわ。
檻の中にゆったりと収まっていくそれらを見届けるが早いか、動物園の職員と、さすまた片手の警察官さん、そして麻酔銃片手の猟友会の方々が、私の所に次々に集まってくる。
「ありがとうございます、ブルーライトさん!」
魔法少女は感謝の声が生きがい。
感謝の声が集められない魔法少女はやがて干涸らび、死んでいきます。
……ウソです。流石に死にはしないけど、ちょおっと虚弱体質になるというか、病気がちになるというか、非力になるというか。単純に言えば、変身しても人間に毛が生えたぐらいにしか力が出せなくなります。
「それじゃあ、私はこれで! まったね~☆」
そう言って私はどこからか取り出した箒に跨がって空を飛ぶ。
……それにしたって、会話の末尾に☆マークを付けて話すなんてあるか? 今時の女子高生がどれぐらいのニュアンスで責め立てるかなんて知ったこっちゃないけど、恐らく文字数的にも感情的にも大きな隔たりがあるに違いない。
これはあまり公表するべきではないのだけど……魔法少女は自分の全盛期の姿に変身することが出来る。基本的に、魔法少女になった時の年齢がそのままって人も居るけど、私は二十代後半ぐらいの見た目にしている。本当は三十代前半ぐらいだったんだけど、色々あって見た目年齢が下がった。
実年齢?
え? 今どうしてそういう話題になるんですか? 私何も言ってないですよね?
すると、幽雅な空の旅を邪魔する腐ったような臭いが私の前を横切った。
「あっらぁ、ブルーライトさんじゃない。今日はサファリバスの添乗員のお仕事かしらぁ?」
夕方の空に煌めく金色の髪、二十代ぐらいの見た目に反して死ぬほど濃いメイク、耳に死ぬほど並んだピアス。腐ったような臭いは、彼女がお気に入りの香水の匂いらしい、というのは人づてに聞いたことがある。
暇な日に通販サイトで見たら、ゲロみたいな臭いに反して目玉が飛び出るような値段だった。
「その嫌味ったらしい話題チョイス、一度掴んだら話さない蛇のような執着、粘ついた声。そなたは隣町の魔法少女、レナ・グリムさんではないか?」
「本音と建前の使い分けがヘタクソみたいね……!」
「いえ別に? あなたに気遣いなんてしていたら、胃が三つ四つあっても足りませんからねぇ」
レナ・グリム。本名は佐嶋水乃。年齢は還暦目前なので、私より……ううん、なんでもない。それが、二十代前半の見た目で、このケバさで、人を救っているのである。
恐らくは、既に正気を失っているんだろう。
『――私は人間に戻れるのかな……って考えたら、その日から震えが止まらなくて――』
あの日の言葉が思い出される。
「そうやって無駄口を叩いている間に、我が町はあなたの所よりもずっと幸福で包まれていきますわ」
――そうだ。
こちとら、こんな呪いの象徴と会話している場合ではない。
「幸福は、量よりも質です」
そう言って、箒の向きを九十度変更した。ついでに全速力。スポーツカーも腰を抜かす速度で、呪縛から逃げる。
「アデュー」
去り際、そう聞こえた気がした。のんきな女だとは思わない。きっといつか、自分もそうなる。
「私は――呪われない」
オレンジ色の空は、そのほとんどが紫色に変わっていた。
†
「ヒカリ、おかえり」
誰も居ない2LDKのマンション。扉を開いて電気を付けると、黒猫がすり寄ってきた。
「ただいま、ブルース」
「今日はどうだった?」
黒猫が喋る。
これが、私の『妖精』。妖精の形は魔法少女によるが、ぬいぐるみだったり、このような動物だったり、あるいは理想の男性だったりする場合もあるらしい。
「動物園でサイとライオンと猿が逃げ出したわ。あと、迷子が二人」
妖精は、魔法少女を勧誘したら、その後一生ついて回ることになる。妖精が魔法少女の原動力であり、幸福を糧とする怪物なのである。怪物は普段は不可視だから、人間世界に干渉できず、衰弱していく。その代わりに、誰かを魔法少女に変えることで、吸収を代替する。
そして魔法少女に、ほぼ永遠の命、若さ、美しさ、そして絶対的な能力を与える。能力は人によってそれぞれだ。私は、強い光と爆発を伴う魔法だった。
上手い使い道がよく分からないまま、二十年以上経っている。暴漢を征圧する時には役立つが、あまりにも強い力を持つので、加減を謝ると殺してしまいかねない。あとは、暗い夜に光らせるとちょっと綺麗になる。
「どうした、ヒカリ? 悩み事か?」
「いえ」
通勤用カバンを投げ、ストッキングを脱いでぶんぶんと振り回しつつ、洗面所へ行く。
「悩みなんて何も」
鏡に映っているのは、三十代前半の女の顔だった。
職場には実年齢を隠せないから、周囲では『美魔女』を通り越して『魔女』扱いされているというのを、何となく知っている。
確かに、よくよく考えると奇妙な出来事だらけなのに、誰もそれを不思議がらない。
歪だと、思わない。
『――でも、魔法が解けたらどうなるんですか?』
そうね。そうだね。
私、あなたの背中に誓ったもんね。
「それにしてもヒカリ、すまんな。町内の魔法少女の平均年齢が上がったから、見た目年齢を引き下げてくれだなんて、無茶な要求を聞き入れてくれて。しかしながら、感情と現実の乖離はより強い魔法力を生み出す。君にとっても悪い話じゃあない」
平均年齢が上がった理由は分かっている。魔法少女が居なくなったのだ。ブルースが理由を一切口にしない事からも、それは明らかだ。
それは、私と彼女だけが知る、秘密。
†
ルーティ・メアリという魔法少女が居た。
本名、高山マイ。実年齢は二十二歳。魔法少女になったのは十四歳の頃。居た、というのはそのままの意味で、今はもう魔法少女ではない。
彼女はこの世界で初めて『自分から魔法少女を辞めた』人間だ。
これまで誰も考えた事の無かった事を考え、そして完遂した。自分よりずっと年下だけど、私は彼女を尊敬している。
誰にとっても普遍的であるはずの安寧を、否定したのだ。
そんなの、誰にでも出来ることじゃない。事実、私は出来なかった。やろうともしなかった。考えもしなかった、というのが正しいかもしれない。
『――魔法少女を、辞めようと思っていまして』
そんな彼女から、突然相談を切り出されたのは、半年前。
『辞めるって、なんでいきなり?』
『実はそろそろ私、結婚しようと考えてて』
当初は、あり得ないと否定した。だけど、彼女は揺るぎなかった。時々煙に巻きながらも、その信念の前では、魔法少女という蛇の甘言に乗せられた存在の言葉など矮小すぎる。
花嫁姿のマイは、とても綺麗だった。魔法少女の姿の時よりも、ずっとずっと。
私もその場に居た。ただし、参加者ではなく、魔法少女として。余興にと誘われ、彼女が魔法少女である事を、その場に居る全員に告白したのだ。新郎は少しだけ驚いていたけど、私の姿を見て、それがウソでない事を悟ってくれた。
あんなの見せられたら、私だって、魔法少女なんてやってられるかってなっちゃうじゃん。
ずるいわ、アイツ。勝手に尊敬されて、勝手に居なくなった。
彼女はきっと、どこかの街に居る。その気になれば探せるけど、そんな野暮ったいことに手を出す気は無い。
「だから、このお話はもう終わりなの」
半年。
そっか。あれから、もう半年経ったんだ。
『……私も辞めるか、魔法少女! 妖精殴って!』
『えっ、今の言葉、本当ですか!? だったら私も応援します!』
洗面所の扉を開く。黒猫に、青く光る弾をたった二十発叩き付けるだけで、妖精は動かなくなった。
「ありがとう、マイ。――私も、もうすぐそっちに行くよ」
これが私の、退職前夜のお話。