夕暮れとカップル
「なんで煙草なんか吸ってんのよ」
「仕方ないよ。吸わないと苦しくなっちゃうんだし」
「キスが不味くなるじゃん」
「それは、、我慢してよ」
美咲が僕にキスをする。
唇が離れると、美咲はくすっと小さく笑んだ。
「ほら、やっぱり不味い」
「……じゃあ、やんなきゃいいじゃん」
「駄目だよ、キスはしたい時にしないと。あと何回君を愛おしく思えるか分からないんだし」
「……よく、そんな哀しくなるようなことが言えるよね……」
波の打ち返しの音が、耳に心地よい。
僕らは夕暮れの堤防の上で、お互いの余った時間を共有し合っていた。
「君とキスをするのは好きなんだ。だって、とても心地いい」
美咲は嘘を言うのがとても苦手で、理屈をつけることも好まなかった。
だから、彼女の言葉はいつも稚拙で、それでいて真っすぐだった。
詭弁というものは子供だって、大人を真似てよく使う。高校生ともなると詭弁を使いこなす者も少なくない。
そんなのに僕は嫌気が差していた。
だから、美咲は素晴らしい。
「僕が煙草を吸ってなかったら、もっといい?」
僕がそう尋ねると、美咲は困ったような顔を浮かべた。
「んー、どうだろうね……煙草を吸ってる君のことは好きなんだ。だって、とても未完成な気がするから。未完成な君のままでいてほしいよ。」
「変な理由だね、未完成の方がいいなんて。ミロのビーナスみたいな感じ」
僕がそう言うと、美咲はきゃっきゃと楽しそうに笑った。
「何、それ。とても面白い」
「別に僕は面白いことを言ったつもりは無いのだけど」
「ミロのビーナスって……うふふ…腕、ないじゃない」
美咲が何を可笑しく思って、笑っているのかさっぱり分からなかった。
けれど、その笑顔はとても好ましく感じた。
やはり僕らはお互いに惹かれ合っていて、ここで2人が寄り添うだけの日々は正しい姿なのだと安心できる。
美咲は、あー可笑しかった と涙ぐんでいる。
「そんなに笑うことではないと思うけどな」
「そうかな、面白かったけど」
「未完成だから、いいってのは、それにちょっと馬鹿にされているようだ」
「あら、君は自分が”完成している”と言い張るつもりなのかな」
美咲が僕の前髪をいじる。
僕はそれを嫌には思わなかったが、些か恥じらいを感じたので、手を使って、それを避けた。
「前髪のそのくせっ毛だけを見ても、君は未完成だと言えるね」
「うるさいな。これは父親譲りなんだから、仕方ないんだ」
「逆に言えば、このくせっ毛だけでも君は私に愛される価値があるってことだね」
「……そんなことを言ったら、全国の天パの少年達が君の元に集まって来るよ」
急に右肩が重たくなった。
甘いシャンプーの香りで、美咲の頭がもたれ掛かっているのが分かる。
「ここは、平和だねぇ。君しか、いないし」
「まあ、平和かな。美咲しか、いないから」
遠くで船の汽笛が鳴っている。
夕暮れは夜へと向かい、そうすれば僕たちはそれぞれの家へと戻る。
「流石に君と居れるだけでいい……とは言えないな。」
美咲はゆっくりと間延びした声でそう呟いた。
「私は叶えたい夢があるんだ……だから、君といるこの時間は言い方を悪くすれば……無駄とも言えるだろうね」
「本当に言い方が悪くて驚いているけれど……まあ、それはそうかもしれない。僕らは止まった様に思えることがある」
「でもね。この時間は必要なんだよ。……これは本当にそう思ってる」
「それは、僕にとってもそうだよ。ずっ……」
僕は言いだそうとした言葉を、喉の奥に押し込めた。
それは、僕らが嫌う詭弁の類だった。
“ずっと、一緒に居れたら”なんて。そんなものは、この世に存在しない。
「別に言ったっていいのに。変なの」
美咲は僕が言わんとしたことを悟ったようで、少しむくれた様な声を出した。
「別に言ったっていいんだよ、そういうのは。君は私を少し自分に重ねて考えすぎるところがあるよ。私は、それよりそうやって、私に対する好意を押しとどめようとする君の態度を好ましく思わない」
「ごめん、でもこれは僕の問題なんだよ。僕が、それを言いたくないだけなんだ」
「そっか。でも、私はそういう君は好きじゃない」
「それは困ったな」
僕らは夕暮れが落ちる気配を感じたのか寂しくなる。
寂しくなると、お互いを求めあう気持ちが強くなって、偶にいがみ合うこともあった。
「さあ、そろそろ帰ろうか。夜になってしまうよ」
「うん、そうだね」
堤防から二人で降りると、僕の自転車の後ろに美咲が乗った。
「では、出発しようか。運転手どの」
「はいよ。最初ちょっと手伝って」
漕ぎ出しはいつも美咲が足で地面を蹴ってサポートしてくれる。
「まったく君って奴は。私の助けがないと駄目みたいだね。これでは私が重たいみたいじゃないか」
「帰宅部なんだから、仕方ないだろ」