デスク
あれこれ考えているうちにマスターが店の奥から戻ってきた。
「大変お待たせ致しました」
松田の前に置かれたフルート・グラスには、乳白色の液体が全体の三分の二くらいまで満たされている。照明のせいなのか少しだけ黄色がかってキラキラと輝いているようにも見える。
「こちらが<ミックス>で御座います」
「こ……」
カクテル・グラスの中で波打っている液体を見て俺は絶句した。母乳というイメージとはかけ離れた赤黒い色なのだ。そして液体からはゴツゴツとした物体が顔を出している。
「どうなされました?」
「あの、これはその」
店に入った時から空耳のように聞こえていた、くぐもった人の声が大きくなった気がする。何か中身の詰まった物を叩く、重くて鈍い湿った音も確かに聞こえる。
「どうしたんすか、先輩?」
耳の奥で心臓が早鐘を打つ音が響く。椅子がぐらついているのではなく、膝に置いた俺の両手が痙攣のように震え出し全身を揺さぶる。俺の目は眼前のグラスに釘付けとなり、松田の顔もマスターの顔も見ることができない。
「顔色が優れないようですが」
「先輩、飲まないんすか?」
あるはずがない。おかしいじゃないか。そんなことあるはずが……。考え過ぎだという思いに反して身体が拒絶反応を起こす。
「そうですか。お気に召されませんか」
「もったいないっすよ、先輩。ねぇ、マスター」
「松田様の上司と伺いましたので、新鮮なものを提供させて頂いたのですが」
マスターの新鮮という言葉に俺の身体はビクリとなった。
「つい今しがた、提供者の方からありがたく頂戴したものなのですが」
俺は渾身の力を振り絞ってやっと声を出した。
「い、いい、一体キミは、何を<ミックス>したんだっ!」
「……松田様、御説明なさらなかったので?」
松田のホヒヒという笑い声が耳に入る。
「それでは私から御説明致しましょう」
マスターの声が幻聴のように聞こえ、目の前が夢のように歪む。俺は疲れているんだ。そうだ、きっとそうに違いない。
「<ミックス>というのは、母乳と──」
そこで俺の記憶は途切れた。
「先輩、飲み行きましょうよ!」
快活な松田の声で、俺は突っ伏していた机から顔を上げた。今日は真っ直ぐ家に帰ろう、と直感的に思った。