第八章 過去
寒さの厳しい季節が過ぎ、草木が芽吹く頃。
穏やかな日差しの中でシシィは目覚めた。
だるい身体、疲れた思考。
遠くで華やいだ花迎えの声が聞こえる。
ここにはフゥはいない。
フゥが目覚めるのは、暑い季節を越した後だ。
周囲では、自分の管理する植物が沢山咲いている。
本来花咲くのはこの季節なのだから、当たり前だ。
それを捻じ曲げているのは、花迎えの自分。
呆れるほどの想いに、シシィは息を落として目をとじる。
最初にフゥに出会ったのは、遠い遠い、冷たい風が吹き始めた時期のこと。
花もあまり咲かない時期だけあって、周囲は草が揺れる音以外は何も聞こえない。時期はずれに咲いてしまった自分の植物に悪態をつきながら、周囲を見まわした。
その時に見つけたのが、フゥだった。
吹いてくる強い風が楽しいのか、ケラケラと笑いながら踊る身体。普通の花迎えは強い風を嫌がって逃げるのに、フゥは楽しそうに笑っていた。
――あの子、頭がおかしい?
訝しがって見ていると、フゥは視線を感じたのかこちらに目をやり私を見つけ、これ以上ないという顔で笑った。
「こんにちは! あの、あなたは花迎え?」
笑顔で叫ぶ言葉に思わず笑う。
今まで他の花迎えと話したことがなかったのだろう。たどたどしい話し方は慣れてなくて……それでいて愛らしかった。
「ねぇ……あんたの管理してるの、その蔦に巻かれてるやつ?」
花迎えだと返事をしたあと、こちらを見ている花迎えが立っている植物に気付いて問う。
この花迎えは無知で、きっと自分が寄生植物にとり付かれているということに気付いてないのだと思った。
「え? 違うよ。私はこの蔦の方」
何でもないように返ってきた言葉に耳を疑う。
このボヤボヤとした花迎えが寄生植物を管理している?
「えぇと、あんたはその植物どう思ってるの?」
「どうって、えーえっと、なんか自分で立てないみたいで嫌だとは思っているけど、結構管理はらくちんだよ」
指を指して問う自分に、あたふたとフゥは返事を返してニコニコと笑う。そこまで聞いてみて、この花迎えは自分の管理する植物のことをまるで知らないのだと理解した。
――まぁ、今回だけだから、いいか。
時期はずれに咲くと一年にニ度目覚めることになるので花迎えの負担は大きい。だから二度とこの時期に咲かないようにしようと心に決めて、フゥの相手をすることにした。
――その時は、そう思っていたのに。
気付けば自分は何度も年にニ度目覚めるようになっていた。
なぜか、自分の管理する植物をフゥの管理する植物とくっつけるようにもなった。宿主になれば必然的にフゥとずっと一緒にいられるようになるからだったが、その時の自分は、それを認めたくはなかった。
二人で暮らすようになり、名前がないことが不便だったので、最初風と遊んでいたことを思い出して「フゥ」と名付けた。
フゥは自分の名前を気に入ったようで笑顔で何度もありがとうと言う。そんな態度がどうしても別れ難くしていた。
しかし宿主になれば自分の意思とは関係なく体は弱っていく。
水分を取られ栄養も取られて、植物に突き刺さる棘の痛みは花迎えの自分にも伝わって身体を苛んだ。
「シシィ、大丈夫?」
「なんのこと?」
「だって……なんか、どんどん元気がなくなっていく気が」
「気のせいじゃない?」
感のいいフゥの不安が、こんな言葉で消えることはないと知っていながらも笑顔で返す。
しかし、事実が知られるのは時間の問題だった。
気付いた時には、もう手遅れだった。
目を話したすきにフゥは根元に降りていて、涙を流していた。
理由を聞くと、体調が良くならないので見に来たのだとフゥは答えた。
何度も謝るフゥに「自分が選んだことだ」と返す。
自分が選んで、自分でフゥを招き入れた。
口煩い噂好きの他の花迎えより、すべてを受け入れるフゥの心が好きだった。
だが、その優しさは、己のしたことを許せなかったらしい。
最後にフゥは「記憶なんてなければ」と呟いた。
そして、その言葉を最後にフゥは突然姿をあらわさなくなった。
軽率なことをしたと自分を責めて、何年も、何年もあてもなく探し続けて。
年に二度の目覚めにも慣れた頃、やっと捜し求めていた姿を見つけた時には、喜びで涙が溢れた。
「フゥ!」
叫んだ私に、フゥは振りかえると満面の笑みで答えてくれる。
「こんにちは……! あの、私の名前を知ってるけど、あなたは花迎え?」
予想もしなかった言葉に声を失う。
フゥは記憶を失い、記憶を長い期間維持する能力もなくしていた。
「なんだか、何度も生まれ変わると記憶がなくなるみたい」
記憶をなくしたフゥは元気なく言いながら、どうしても会いたい人がいるのだと話して、花穂をつけた植物を指さす。
フゥが同じ悲しみを味わうのかと思うと辛かったが、近くにいたいという気持ちが大きくて私は傍にいた。
フゥの記憶が十度生まれ変わると消えると知ったのは、それから暫くしてからのことだった。私がフゥと離れて再度出会うまで、何回か忘れたが十度は越していたので、それまで抱えていた疑問が消えた。
誰かと一緒にいなければ幸せになれるのに、フゥは必ず自分を責める道を選ぶ。上手く隠しても最後には気付いてしまう感の良さを持っているのに、不幸の道を選んでしまうのだ。
「シシィは私のことが嫌い?」
近づかないように冷たくしているとフゥは決まって同じ質問をした。
好きだと言えたら、どんなに楽だろうと思う。
だが、いつも答は当たり障りのないものだと決まっていた。
フゥにはいつも笑っていて欲しかった。
私のために笑わなくてもいい、どうか幸せで。
胸にあるのは、その想いだけだった。