第七章 九度目
いつもどおりに目を覚ますと、見慣れた葉が目に入った。
ディーの管理する植物の葉だ。
改めて近くで見ると想像より大きく見えて驚く。自分の管理している植物も元気に育っているようで、前回と同じように無遠慮に蔦を伸ばして巻きついていた。申し訳なく思いながら蕾から足を抜く。
同じことを何度も謝れば怒られるかもしれないとは思っていたが、ディーに会ったら一番に謝ろうと決意する。……そうしなければ自分が笑えないような気がした。
「フゥ! 起きたんだ!」
明るい声に振りかえると、笑いながらディーが茎を滑り降りてくるのが見えた。
なぜか前回よりも青白く、細くなったように思えて驚く。
再会したら一番に謝るという決意は、驚きの中に消えてしまった。
「元気?」ディーが微笑むので「元気だよ」と答えて笑いかえす。
種が芽を出しもう一度育ったというのに、どうして前回より元気がないように見えるのだろう……フゥは泣きたくなった。
「ディーどうしたの、やっぱり元気ないみたい」
「そう? 元気なんだけどな……日差しの加減じゃないかな?」
顔に出さないようにしつつ気遣うフゥに、ディーは頭を掻きながら答える。
葉の向こうに見える空を見つめると、空は前回と変わりなくとても青かった。
「なんだろう、やっぱり違う気がする」
ペタペタと身体を触って確認する。ディーはフゥの手を止めると、少し笑ってから「気のせいだよ」と茎を登っていった。
あまりしつこくすると嫌われると思い、しつこい追求はしないことにした。根が上手く張れてないのかとも思って聞いてみたが、ディーによると関係ないとのことだった。
数日後
遠い空からカーが飛んでくるのが見えて、慌てて手をふる。
鳥独特の自由奔放さで定期的に来ることはなかったが、カーは気にかけてくれているようで、遊びに来ることが多かった。
「カー、こっちだよー!」
「おー、元気そうじゃねぇか」
フゥの言葉にカーは軽く返して着地をする。
「ごめんねカー、下まで降りられれば良いんだけど、ディーがあんまり下に降りすぎると危ないって言うからあんまり降りられないんだ」
「フゥ、僕が悪者みたいな言い方はよしてくれない? 僕はフゥの安全を守りたいだけなんだから」
「カーは私達を襲ったりしないよ!」
「そういう問題じゃなくて……」
ブツブツと言い合いながら蔦を降りてくる花迎え達を、カーは呆れたように「どうでもいいから降りてこいよ」と返して笑う。
二人は自分達より上の葉の上にいて見下ろされる形になったが、カーはいっこうに気にしてはいなかった。
「相変わらず仲が良さそうじゃねぇか。良かったな」
「カーのおかげだよ、ありがとう」
「フゥ、お前それこの前もいったじゃねぇか。全部あわせたら何回になるか……」
カーの言葉にフゥは笑う。
「何回も言いたいんだもの。いいよね」
「俺は、お前よりディーに言ってほしいよ。こいつ俺に感謝しないんだぜ」
嘆くようなふりをするカーを見て、フゥはディーを睨む。
「ディー感謝の心は大切だよ。言った方がいいよ」
「カーは時々よけいなこともするからな」
咎められたディーは呆れたように息をついて一言つぶやいた。
「なんだよ、じゃあお前フゥに会わなくっても良かったってのかよ」
「カー、フゥを不安にさせることを言うのは止めてくれないか。だから嫌なんだ」
非難がましい言葉をいうカーに心底嫌そうな顔をすると、フゥを抱えて後ずさる。
「ディー、私といるの迷惑?」
「迷惑なはずないだろ! あぁもう、カーは要らない問題が起きるからよけいなことをいうなよ。本当にもう」
不安そうに見上げるフゥの言葉に、ディーは心底慌てた声を上げた。
珍しい様子にカーとフゥは声をあげて笑う。
「なんなんだよ、いったい」
力なく呟く声が、笑い声のなかに消えた。
「ねぇ、カー……私ね、前よりディーが元気ない気がするんだけど、カーはどう思う?」
ひとしきり笑った後、フゥは今まで不安に思っていたことを切り出す。
「フゥ、あのね、僕は大丈夫なんだってば」
「えぇ、っとそうなのか? うーん俺は鳥だから顔色とかわからんしなぁ」
慌てる声を遮るように聞こえた返事に、フゥは溜息を落とす。
「カーなら何か役立つことを知ってると思ったんだけどな」
ディーは何度も自分は元気だと言っていたが、信じられなかった。
多分、自覚症状がないほどの何かを患っているのだという確信があった。
「役に立てなくてごめんな……まぁ、そう思うのならそばにいて優しくしてやんな。それがディーにとって一番の薬だろうよ」
優しい言葉にうなずいて、自分の手をギュッと握る。
そばにいるだけで元気が出るなら、いくらでもそばにいようと心に決めていた。
それから数日たっても、ディーの様子が変わることはなかった。
口では元気で明るいが、どこか陰りが見える。
散る赤紫の花とディーの姿が重なって、消えてしまう気がした。
――この光景、どこかで。
何か忘れている。
散る赤紫の花…それは、今の記憶だけのこと?
赤い花びら、白い腕…どこかでみているはずなのだ。
疑問は浮かぶが分からない。
ずっと昔に忘れた記憶が蘇えるかと思ったが、出てこない。
しこりのように残る悩みを抱えたまま、種の時期を迎えてしまった。
――どうしよう。
胸中で呟いて、フゥは身を縮こませる。
どうやっても、自分の方が早く消えるだろう。
――元気のないディーのそばに、ずっといようと思ったのに、先に消えてしまう。
避けることのできない現実が怖かった。
ディーの腕の中にいたフゥは、ゆっくりと目を開ける。
最後の種が落ちたら、姿が消え始めるだろう。
温かな胸の中で消えるのは幸せなことだと前回知った。それが今は辛い。
種が落ちていないか確かめようと立ちあがる。
「フゥ?」
「そこの種を見てくるだけだから、ちょっと待ってて」
本人は隠そうとしているようだったが、ディーの具合はやはり悪そうだった。
ゆっくり葉の先まで歩く。
ここまで来ると、景色がよく見えて気分が晴れてくる。
どこまでも続く青空と、その下に広がる木々。広く輝く草原。
一瞬、心の中に何か苦いものを感じた。
――何?
心によぎった苦いものを思い出そうと、記憶を探る。
青空と、木々と、草原……それと、白い花。
――白い花?
古い記憶の中で泣きながら謝まっていた自分と、悲しげな瞳で私の頭を撫でてくれるディー。
なぜ、自分は泣いていた?
なぜ、ディーは悲しげな瞳をしていた?
――そうだ、これを私は、見た。
頭の中でバラバラだった記憶が、新たな記憶を呼び起こして繋ぎ合っていく。
不鮮明だった記憶が鮮明になった。
最後の種が落ちて、足元で一度はねると、そのまま落下していく。
フゥの目は、見開いたまま何も見てはいなかった。
――私は、ずっと昔、苦い気持ちでこの光景をみていたんだ。
「フゥ!!」
ディーの声が聞こえて、腕を掴まれる。
懐かしい感覚が過去の記憶を蘇えらせた。
――どうして忘れていた?
――どうして忘れていられた?
――どうして今更……!
「ごめんなさい……!」
叫んで腕を振りほどく。
瞬間、弾けるように走り根元まで茎を伝い滑り降りた。
――頭が痛い。吐き気がする。
根元を見た途端、力が抜けてその場に崩れ落ちる。
今更、思い出した。
自分がディーを殺すことを。
花を覆うように伸びる蔓。
綺麗な茎に食い込む刺。
泣く花迎えと、寂しく笑う花迎え…どうして気付かなかった? …どうして今更。
自分が管理する植物に根はない。
栄養はすべて他の植物からとり続ける。
――自分が管理していたのは、寄生植物だった。
自分の愚かさに腹が立つ。
真白な顔色、儚く見える笑顔。あれは自分のせいだ……自分が傷付けていた。
自分の植物の根は、完全にディーの植物の茎にくっついて同化している。抜こうと引っ張っても、抜けるはずもなく手が痛むばかりだった。
手が痺れていることで、今更自分が泣いていることに気づいて、悔しくて刺のある蔓を思いきり叩く。
泣いても何もかわらない。自分を傷付けても、どうにもならないことは分かっているのに。
「寄生した相手が死ぬなんて無いから大丈夫だよ」
突然、背後から声が聞こえて恐る恐る振りかえる。視線の先に見慣れた花迎えの姿が見えた。
「ディー、知ってたの?」
「知っていたよ。ずっと前から。」
泣きながら問う自分の問いに、ディーは寂しげな顔で答える。
その言葉にどうしていいかも分からずに、何度も謝ることしかできなかった。
「フゥ、泣かないで。別に、僕は傷付くことなんてかまわないんだから。栄養だっていくらでもあげる。別にフゥは悪くないよ。フゥだって被害者だ」
「被害者なんかじゃないよ!! 私が、私がディーを探さなければ、こんなことにはならなかった! そうしたらディーがこんなに傷付くこともなかったのに……!!」
悲しくて、情けなくて泣きながら蔦を握りしめる。
知らなかったからといって、大切な人を殺していいはずがない。そんなことをするくらいなら、自分が死ねばいい。
「いいんだ! フゥは僕を探してくれていい! 僕だって我慢できなかったんだから。カーがフゥの種を運んでくれると言っただろう? あれは僕がカーに頼んで言ってもらったんだ。本当は会えない方が、フゥにとって幸せなんだと思って知らないふりをし続けようと思った……でも、できなかった」
気付くと、ディーも泣いていた。
「カーは……最後まで種を運ぶのを拒んでいたんだ」
息を吐き出すように語る言葉に、フゥは力を失う。
手が、力なく地面に落ちた。
――カーは知っていたんだ。そして、シシィも。
全ての疑問が合わさって、解けていく。
好きだというのに近寄らないシシィ。
自分を忘れたふりをするディー。
――全てが自分のせいだ。
嗚咽が酷くて、息ができない。
頭が重くて気持ちが悪い。
「……!」
身体の端々が透けていく。
花迎えの役目が終わったのだ。
「フゥ!」
消えそうな身体をディーが抱きしめてくれる。
温かな身体に、止まりかけていた涙が再び溢れた。
――もっと話していたいのに。
考えた瞬間に、種のことを思い出す。
種はここにしか撒いていない。だから次の目覚めもディーと同じ場所に目覚めるはずだ。
「……い、やだ」
――これ以上、苦しめたくはないのに。
呟いた瞬間、辛そうに顔を歪ませるディーの顔が見えて、唇が温かくなる。
次の瞬間、全てが消えた。