第二章 四度目
「あーら、フゥ、もうお目覚めしたの? 起きるたびに泣くのねぇ。赤ちゃんみたい」
クスクスと笑い声を混じらせて話しかけられ、泣いていた花迎えのフゥは、手のひらで涙をぬぐってから周囲を見まわす。
少しだけ離れた黄色の花が咲く植物に、自分と同じ背丈の花迎えが葉に腰かけて微笑んでいた。
「シシィ」
「いい? 私たち花迎えの涙はね、自分の管理している植物の水分なのよ。だから泣いちゃダメ。妖精としての誇りを持ちなさい」
シシィと呼ばれた花迎えは口もとに人さし指を立てて、言い聞かせるように睨みつける。フゥは赤くなった目をギュッと閉じると、「わかってるってば」と返して顔を背けた。 もう、四度目の目覚めだ、とフゥは思う。
『花迎え』は花が咲きはじめる頃に産まれでて、種が飛ぶ頃に消えていく妖精。
種を媒体として、おなじ植物に何度も生まれ変わる。
生まれ変わるといっても人格も記憶も変わらない。寝て起きることと同じ感覚で生まれ変わるのだ。十度生まれ変わると、ほとんどの記憶は消えてしまう……という欠点を除いては。
十度生まれ変わると、なぜ記憶がリセットされてしまうのかは分からない。シシィに言わせれば、それはフゥだけのことで他の花迎えの記憶はそう簡単に消えないらしい。けれど自分の記憶が消えてしまうことだけは確かだった。
いつか消えてしまう記憶。
だからこそ、フゥには大きな目標があった。
「この前より近くに来たから、いつか会えるよね」
遠くに凛と立つ植物を見つめて、フゥは呟く。
大部分が失われた、いつの頃かも分からない古いの記憶。
脳裏に浮かぶ赤紫の花、柔らかな笑顔。「また会おう」という約束と、広げてくれる暖かな手。
それは遠い記憶だった。
だが花迎えは、どうしても約束を叶えたかった。
あの暖かい手に、もう一度触れたかった。
――でも、あの人は忘れてしまったのかも。
記憶は、それほど古く、曖昧なものだった。
十度くり返せば消えてしまう記憶。だが、すべてが消えてしまうわけではない。最初の二、三回目までは少しずつだが思い出すことができるのだ。
フゥは、愛されている記憶が嬉しくて嬉しくて、相手に会いたくて必死に思い出そうとした。
――けれど、相手にとってはどうなのだろう?
答えはいつも出なかった。
一度目の目覚めでは、本能からか自分が生きて行く知識しか思い出さなかった。
二度目の目覚めで、とつぜん自分に笑いかけてくれる優しい花迎えのことを思い出すことができて、他の妖精に屈託もなく笑いかけられたことのない自分は、とても嬉しかった。
笑顔を向けられたのは過去のことで、今の自分に向けられたものではないということは分かっている。他の花迎えは冷たいことばかりをいうシシィとしか話したことがないから、過度に期待しすぎているのかもしれない。けれど微笑みかけてくれたあの人に会えないまま記憶が消えれば、次に思い出すことができなくなるだろう、ということは分かっていた。
――そう、消えてしまうのだ。あの笑顔も、約束も。
記憶は散っていく花びらのようにバラバラで繋がらない。
あの人の顔を思い出せても、植物までは思い出せなかった。
けれど、三度目の目覚めでやっと生まれ変わったあの人をみつけた。
遠目からでは花迎えの姿さえ確認できない程の距離だったが、やさしい雰囲気が独特で確信がもてた。
距離が遠いので種を飛ばして、少しでも近づけるように願う。
頑張れば九回目までには近づきそうな、そんな気がした。
ずっと傍にいるシシィは、呆れ顔で「馬鹿ねぇ、相手があんたを好きなら、探すはずよ」と笑う。
シシィの言うことは間違ってはいない。
確かにあの人は自分のことを待っていないかもしれない。待っていたら相手だって探そうとするはずだ……と自分でも分かっている。
だけど答えが出ていないのに、諦められるはずがない。
あの笑顔を二度と見られないなんて思いたくない。
遠くに見える鮮やかな花穂を見つめながら、ただそれだけを思った。