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天地開闢ス(ファミチキ)


 都内某所の道を歩く、一人の男性。


 仮に彼の名を『鈴木』としよう。


 鈴木は腹が減っていた。それはもう、猛烈に減っていた。


 であるから、何か食事をしてその飢えを満たす必要があったわけだが、その人の時鈴木にはどうしても食べたいものがあった。それ以外で腹をくちくすることがどうしても許せないほど、食べたいもの。それは。


 ファミチキである。


 某大手コンビニチェーングループのホットスナックコーナーで大きな看板と共に売られている人気商品、ファミチキ。


 香ばしく上げられた鶏肉に無数の香辛料が摺りこまれ、口に運べば軽い歯ごたえと共に衣は破け、旨みある肉汁が舌を満たす。


 一口味わえば瞬く間に食べ終わってしまうが、微かに残る舌の上の味わいが心地よい余韻となって喫食者を幸福にする。


 忘れがたく味わい深く、そしてコンビニに行けば気軽に食べられる。


 あの、ファミチキである。


 鈴木は強烈な「ファミチキが食べたい欲」に支配されていたのだ。


 空腹に苛まれながら歩く鈴木は、当然ながら道に沿って並び立つビル群を見る。


 どこかにファミチキが売っているコンビニはないものか。


 腹の虫は苦痛と呼べるほど鳴っていた。舌先には以前食べたファミチキの幻覚めいた感触さえ浮かんでいた。


 このままでは頭がおかしくなってしまいそうだ!


 もはやどうしてそこまでファミチキが食べたいのかすらわからなくなっていた鈴木の前に、遂に救助の手が差し伸べられた。


 道の曲がり角、交差点の角地に建てられたビルの一階にコンビニが出店していたのだ。


 鈴木はそれを見るや信号機の色さえ不確かなまま道を横切り、自動ドアの開くのももどかしく店内へ転がり入った。


 目指すのはパンでも、弁当でも、最近すっかり縮小傾向の雑誌コーナーでもなく、まっすぐレジスター前へ突き進む。


「いらっしゃいませ~」間延びした店員の声。彼にとってはごく日常の風景である。


 しかし鈴木にとって今は緊急事態なのだ。


 鈴木ははっきりと、しかし驚くほど抑制して店員に言った。


「ファミチキ下さい」


「あっ、うち……」


 店員が何か言い返そうとした、その時。


 限界に限界を重ねた鈴木の精神は肉体の制約を超える。


(ファミチキ下さい!)


「あっ! うっ!?」


 頭を抑える店員。自分の脳内に自分ではない誰かの声が残響する。


 鈴木の肉体から発せられた精神波が店員の脳内へ直接言語として送り込まれたのだ。


(ファミチキ下さい!)


「う、うう……!」


 だがそれはごくごく一般的な市民に過ぎない店員の脳には過大な負荷となり、彼を苦しめる結果にしかならない。


 だが、それでも鈴木は願うのだ。


(ファミチキ下さい! ファミチキ下さい!)


 その思いは、確実に店員に届いた。届いてはいたのだ。


 だが、それでも鈴木の願いは叶わない。何故なら、


「う、うちはロー……う!」


 店員が言おうとした言葉は虚空に消えた。話そうとした瞬間、強大な精神波に晒され続けた彼の脳が不可逆的に破壊されてしまったからだ。


 鼻から脳漿を垂らしながら、店員はその場に頽れた。


 鈴木はそれに気づかなかった。彼の視界には既に手に入ると思っているファミチキの幻覚しかなかったのだ。


 後は現実に、この手に、この口にファミチキを得るだけ。


(ファミチキ下さい!)


 向かうところを失った彼の精神波は店内全域に向けられた。ファミチキを求める鈴木の精神の強大なエコーは店内のあらゆる人の脳内に突き刺さった。


 店内にいた他のお客は、突如として思考に割り込んできた(ファミチキ下さい)に困惑し、そして倒れた店員と同じ運命を程なく味わった。


 一人、また一人と倒れる人々の中で、店長と思しき壮年の男が最後の抵抗の叫びをあげる。


「お客様ぁ! エルチキではぁ! ないでしょうかぁ!」


 そう。鈴木が入ったこのコンビニは、ファミチキを扱うコンビニチェーンとは違う、別の系列店だったのである。


 無論、この店にもファミチキに類似したホットスナックが存在する。味も値段も非常に近似的な商品だ。


 だが違うのだ。鈴木が求めているのはエルチキではない。ファミチキなのだ。


 そして悲しいかな。鈴木の耳に店長の声が届くことはなかった。


 彼の耳にはファミチキを齧る時に奏でる衣の破ける軽やかな音が幻聴として聞こえているのだ。


 勇気ある店長の抵抗も空しく、鱸の精神波の前に彼も倒れた。


(ファミチキ下さい!)


 鈴木は、自分以外に店内の誰も生き残っていないことに気付かない。


 それ故に彼から発せられた精神波は、彼がファミチキを欲する思いそのままに強化され続けた。


 それはついに店内へ留まることなく、遂に店の外へと広がっていく……。


 

(ファミチキ下さい!)


 

 鈴木の精神波が日本全土へと広がるのに、ものの数秒もかからなかった。


 最後の一人が倒れたのはそれから数分後である。カップラーメンさえ出来上がらぬまま人々は頭をファミチキでいっぱいにして死んだ。


 

(ファミチキ下さい!)


 

 地球の地殻を貫通した精神波が地表を覆い尽くすと、その効果は夥しい惨劇を産んだ。


 ファミチキを提供するコンビニチェーンがネットしているのは、国内の他に極一部の海外店のみであったが、それを知っていた現地の人はむしろ幸いである。


 世界の、大多数の人々は、脳を直撃した(ファミチキ)なるものが何であるのか知らないまま、大脳を破壊され、死んでいったのだ。


 最後、衛星軌道上に生存していた人類の生き残りは青く輝く無人の星を眺めていたが、やがて惑星の重力を突破した精神波を受けた。


 苦しみながら彼の脳裏に巨大するのは、もちろん、ファミチキであった。


 

(ファミチキ下さい!)


 

 際限なく広がっていく鈴木の精神波は太陽系を超え、宇宙の遥か彼方まで飛散する。


 そこには多くの生命が、様々な段階の進歩の途上、あるいは袋小路にあった。


 彼ら彼女ら、あるいはそのような区別さえ曖昧なものらは遠い彼方より自らへ降り注いだ(ファミチキ下さい)の前に、全くのむりょくであったが、自分らとは全く異なる精神構造、肉体構造、魂の構造を持つ波動によって様々な結果がもたらされることとなった。


 ある知性体にとって、それは破滅の予兆となり。


 またある生命にとっては、新たな進化の段階を迎えるための起爆剤であった。


 (ファミチキ下さい)は終わりなき星間戦争を終結させる。


 (ファミチキ下さい)は安寧に満たされた星雲に破壊をもたらした。


 とある冊子型生命体は天より飛来した(ファミチキ下さい)に新たな心理の可能性を見出した。


 ブラックホールの奥底に潜む半実体の知性は、それを自らを脅かす脅威とみなした。


 (ファミチキ下さい)はやがて宇宙の膨張速度を超えた。曖昧に存在する宇宙の境界線を卵の殻より容易く破壊して。


 宇宙の外、世界の外に広がる次元へと分け入り、(ファミチキ下さい)は破壊と創造の嵐を起こした。


 破滅と福音。それは(ファミチキください)である。


 とある名もなき覚者はそうつぶやいた。


 

 (ファミチキ下さい!)


 

 宇宙の終わりを見た(ファミチキ下さい)が次元の果てへ吹きすさび。そしてその果てまで到達すると、そこには何もなかった。


 何もない完全なる無である。無はやがて科学者が夢見たビッグバンを起こすと、無数の塵が作る泡状の網となって広がった。


 世界の誕生である。


 

 (ファミチキ下さい!)


 

 万物は流転して、まるで時計が日に二度同じ時刻を指し示すように。


 世界は一巡する。


 

 (ファミチキ下さい!)


 

 目を覚ました時、鈴木は自分が公園のベンチで寝ていることに気付いた。


 今日は仕事も休み、のんびりと近所の公園で、普段は浴びない日光でも浴びていたら、ついうとうととしてしまった。


 時計を見ると、もう昼を過ぎている。腹も減った。


 公園を出た鈴木は、あてどもなく歩き出した。何か食べよう。何を食べよう?


 そして、ふと、鱸の頭に浮かんだもの、それは。


「ファミチキが食べたいな……」


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