08
ナタが納品されるために出て行ってから一週間が経過していた。
俺はその間に一つの考えをまとめ、珍しく自分から小野を呼び出した。いつもは勝手に地下室まで入ってきて、俺が忙しいとなると勝手に備品を使ったり冷蔵庫の中を漁って我が物顔でくつろいでいるのもあり、基本的にもてなすようなことはほぼ無かった。
だが、今回ばかりは客人にそうするかのように珈琲を淹れてデスクの向かいに座らせている。
「美味そうな匂いだ。同じ豆使って道具も同じだってのに俺が入れたらうまくいかねえんだよなぁ」
小野は難しい顔をして、俺の入れた珈琲のカップをまじまじと見つめていた。
「……なぁ、小野。最初に謝っておく。すまない」
「なんだよ、屁でもこいたのかよ。別に気にしやしねえよ」
へへと笑いながら脚を組む小野。普段ならその態度に苛ついて不愉快な気持ちになっていただろう。けれど、その顔にはうっすらと何らかの理解が浮かんでいるように見えた。
最近よく思う。俺はこの男をずっと誤解していたのかもしれない。この男は見た目以上にずっと頭が良く、そして人を見ている。
「阿呆。俺はもう……複製屋は廃業する――っていったらどうする?」
小野は特に驚く様子も無く、にやりと笑って珈琲に口を付けた。
「んー、まぁいいんじゃねえの。もったいねえけどよ、お前がそう決めたんならな。だが理由は一応聞かせてくれるか」
その素直な反応に心底驚いた。ドア・イン・ザ・フェイス――一番最初にあえて無理難題を提示し自分の要求を通しやすくするというテクニック――を用いたのだが最初に提示したその無理難題をあっさり受け入れられてしまった事で逆に俺が言葉に詰まる。
「なんだ、どうしたんだよ?」
「いや、すまん、本当はそうじゃないんだ。俺は……もうラブドールみたいなクローンの作成は止めようと思う。今後は人間として扱われるクローンしか作らないつもりだ。今回のナタ……ああ、そう名付けていたんだがあいつを育てていて思ったんだ。俺が作っていた存在には幸せになって欲しいって。柄じゃないってのは十分に承知してるがな。前に言ったことがあるが、俺自身は自身がクローンで在ることをずっとコンプレックスに思っていた。俺が泥水啜って生きてきたから、だからそれをあいつらが味わったとしても当然だと心のどこかで思っていた部分があったのかもしれない。俺は全てを斜に構えて無理にこの世界に対して恨みを抱こうとしていたんじゃないのかって。今考えると俺のしてきたことは子供の八つ当たりそのものだったんだ」
「……そっかよ。ならそんでいいんじゃねえのか……あーあ、せっかくの金づるなのによお、もったいねえ事したなあ。あんな変な依頼持ってこなきゃ良かったぜ?」
小野はわざとらしくそうおどけてにやりと笑って見せた。言葉とは裏腹に、そこには何らかの喜びがあるようにも見えた。
「……ま、いじめるのはこのくらいにしておいてやる。解った、俺も今後はそういう依頼しか持ってこない。きっと今までより頻度は下がっちまうけど、お前のことだ。十分に蓄えはあるんだろう?」
そうして小野はあっさりと承諾した。ただ金の為に俺と仕事をしていたのであれば絶対に反対されるはずだった。この男の事がますます解らなくなった。けれど、俺はその事を嬉しくも思った。
「止めなくて良いのか」
「へっ、止めたら考えを改めてまた変態共の慰み用人形でも作るってのか? いいや、お前は作らないね。俺は基本的にずぼらだからな、無駄な事はしねえ主義なんだよ。俺はお前がそう決めたらテコでも動かねえ奴だって思ってるからよ。ネクラに見えてその実案外熱血系だったりしてな」
そういって顔をくしゃりとゆがめて小野はがははと笑った。
「……有り難う。今まで、俺はお前のことを誤解していたかもしれない」
「おいおい、やめろよ。俺だってお前の為にやってるんじゃないんだぜ。俺の為に、そう判断したんだ。それだけさ」
「今まで聞いたことが無かったけど、お前は一体どうしてこんな仕事をしているんだ?」
「――ああ、そういやまだお前には言ったこと無かったか。隠してた訳じゃねえんだが俺も……っと、電話だ。……うん? タイムリーな事に諸田だな。何かのトラブルか? ちょっと待ってくれ。――はい、山田です」
こういう時でもさらりと偽名を使うのを忘れないものなのだなと思ってその様子を見ていた。こう見えて小野もアンダーグラウンドを生き抜くプロなのだとしみじみと感じる。そう思ってぼんやり眺めていたが小野の浮かべていたはにかんだ顔は一瞬で砕け散り蒼い顔になっていく。目を見開き俺の顔を見つめ、目配せをしてきた。小刻みに震えながら血色が悪くなっていく。脂汗がじわりとにじみ額に雫を作っていく。
「……すみませんが、もう一度、いいですか」
そうゆっくりと言葉を句切りながらスピーカに口にして、直後俺の方に通話端末を向けた。
「ですからねえもう一度もう一度作って下さいもう一度金なら金なら金なら金ならいくらでもあるんですよぉだって死んじまったんですからねえお願いしますねえもう一度」
――先生ともう一度お会い出来る事を楽しみにしています――
言葉の意味を理解する前に俺は小野の持っていた通話端末をコンクリートの床にはたき落とし踏みつけて部屋の隅で小さくなって狂人のように叫んだ。




