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ドリイ  作者: 猫文字隼人
第二章
7/15

07

「先生、見えるってどういうことなのか今から凄く楽しみなんです」

 ナタを椅子に座らせて散髪をしていると唐突にそう言われた。普段過ごしている地下室にビニルシートを敷き、その上に椅子を置いただけの簡素なセッティング。打ちっ放しのコンクリートの床と壁、そして天井とこの部屋の景観は家具も含めて全てモノトーンで統一している。今まで生きてきて色に意味を感じなかったからだ。けれど今床に敷かれた青いビニルシートは俺の意識の奥底――こころと言うのだろうか――をほんの少しだけ喜ばせた。それは初めての経験かもしれなかった。どうしてそう思うようになったのかは解らない。けれどその原因は目の前の少年、ナタであることは間違いなかった。人間との接触を断っていた俺が、人間の紛い物を作る為に人形へ人間らしさを教え込んでいく、それによって俺自身にも人間らしさが出てきたというのはあり得るのかもしれない。

 ナタ本人は視覚を防がれているので鏡は必要無いと思い用意していなかったが、切る側からしても必要な物なのだと切り始めてから気がついた。けれど面倒なのでそのまま作業を進めている。前髪もやや斜めになってしまったが、最近はそういう髪型もあるというので気にしないことにする。

「そうだな、人間の五感の中で視覚は七割から八割、最大で九割近くを占めるという。今お前は特に不自由を感じていないだろうが情報量の多さにびっくりすると思うぞ」

「色ってどんなのでしょう。景色ってどんなのでしょう。私の生きているこの世界はどんなのでしょう。あと……」

 言葉を切られてやや間が開いた。俺の開閉する鋏の音だけがさきさきと地下室内に響いている。

「……あと、なんだ。最後まで言え」

「……いいえ、先生がどんな方なのかとても楽しみに思います」

 ナタは少しだけはにかみながらそう言って笑った。

「普通のオッサンだよ、俺は」

「じゃあ目が二つ、鼻が一つ、口も一つですね」

「まぁそりゃそうだろうよ」

 フフと笑いながら返す。

 最近自分でもよく笑うようになったと思う。今まで笑い顔を作ることはあっても笑うことは無かったからだ。俺にとって笑うとは、相手を安心させるコミュニケーションツールの一つであるという認識だった。笑う事を形から覚えた俺は、それが本来気持ちから表れるものだと理解していなかったのだ。この仕事を始めたのはどうしてだったろう。人間の持つ美しい物を知りたいと思っていた。何人ものクライアントの欲望を叶えて、何人ものクローンを作り、売りさばいてきた。それによって人間という存在を知る事が出来ると考えていたが、結局暮らしは豊かになったが知りたいことは何もわかりはしなかった。けれど、ナタを育成していくことで俺は何かそれに近しい物をぼんやりと感じ始めている自分にも気がついていた。母性とでもいうのだろうか。ナタに対して明らかに商品としての価値以上の物を感じている。

「ねえ、先生。私が出荷される前に一つだけわがままを言ってもいいですか」

「なんだ」

 少し考え込んだナタは首をかしげてゆっくりと言葉を継いでいく。

「私は、旦那様の亡くなられた息子さんのクローンです。ですから、教育が済んだら商品として売られていきます。その為に産まれてきたのですからそれは理解しています。きっと先生とはもう二度と会えなくなるんだろうなって。けど……」

 なんとなく、察していた。ナタが何を言い出すか、そしてそれを言わせてはいけないという事を。その言葉を遮ろうと口を開いた。そうしなければ俺の心が崩れてしまいそうな気がしたから。けれどナタの言葉はそれよりも早かった。

「私は、この先も先生と過ごしたい。先生と生きて、先生と死にたい」

 想定していたとおりの言葉を、優しく、ゆっくりと、けれど芯の通った声でそう口に出した。それは最も恐れていた言葉。性玩具としてではなく、人間として望まれたクローンだったがゆえに、人間らしさを付与する為に始めた教育。本来はただのそれだけだったはずがそうすることで俺は疑似的に人間と関わる事になった。何の打算も無く、自らを慕う存在。異性でも無く、視覚情報すら無く、ただ人間として、魂として求められているという事。俺は一人で生き抜くと決めた時から無意識にそれを恐れていた。そうすることで弱くなる気がしていたから。だからそれを恐れて小野以外の人間と会うことを絶った。けれど、何てことは無い。作られ、愛されず、泥水を啜り、一匹狼を気取りながら生きてきた俺ですらまだ見ぬそれを求め、望んでいたのだ。今震えている身体は恐怖か、喜びか、俺自身ですら、俺自身だからこそ判別が付かない。

「それは……」

 言葉がつまる。ナタは商品だ。出荷する為に作っている。ならば考えるまでも無くそんな未来はあり得ないのだ。けれど、詰まった。それだけで俺が本当は何を望んでいるのか俺自身が理解するには十分だった。

「……冗談です。一度、先生を困らせてみたかっただけですよ。私は何の為に生まれてきたのか解っていますから、安心してください。先生を困らせるようなことはしません」

 ナタはすぐにからからと笑いながらそう口に出した。

「そう、だな。それは難しいだろう。いや、出来ない」

「ええ、だから、冗談です。それに、私にとっては今ので十分でしたから」

 軽い調子でナタはそう返した。けれど必死で声の震えを隠そうとしているのが見て取れた。そしてそれは俺自身も。決してナタに気取られないように震えを押し殺し、その言葉の意味を理解して掌に爪を食い込ませた。

「……だが、別に会えないわけじゃ無い。納品後のメンテナンスも必要だろうしお前の様子はまた見に行くこともあるだろう」

 気がつくと、そのように返していた。その言葉を無言で反芻し、自分が何を言ったのか理解する。今まで一度だって出荷したクローンを診たことがあっただろうか。勿論無かった。けれど俺はそう口に出していたのだ。ナタは驚いたように顔を上げたが一番驚いていたのは俺自身だった。

「ほんとう、ですか」

「ああ」

「そう、ですか……本当は……本当の本当は、ちょっとだけ旦那様の元に行くのが怖かったんです。旦那様にお会いするからじゃありません。先生ともう二度と会えないのだと思っていて、それが怖かったんです。けど、それならもう怖くありません。先生ともう一度お会い出来ることを楽しみにして生きていけますから。先生がどんなお方なのか凄く凄く、楽しみにしています」

 ナタはそこまで口に出して、うえええと声を上げて泣いた。

 泣きだしたナタをどう扱えば良いか解らず鋏を置いて、暫くしてから頭をぐしぐしと撫でて震える身体を抱擁した。


 

 髪の毛を切りそろえられたナタは目隠しがある事意外はクライアントの持ってきた息子の写真と全く同じ外見になっていた。それから暫くして珍しく時間に遅れてやってきた小野に連れられて、ナタはクライアントの元に引き取られていった。

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