04
「起きろ」
ステンレス製の分娩水槽にぷかりと浮かぶクローンの頭を引っ張り上げて頬を張る。
「ぐふっ! がっ、げふっ!」
それによって目を覚ましたクローンは気管に入り込んだ人工羊水をむせながら吐き出した。肩を上下させながら分娩水槽のへりに訳もわからず必死でしがみつくその様をまじまじと観察する。――どうやら大きな欠陥はないらしい。
培養中伸び放題だった髪の毛が顔から腰にかけて奇妙な模様を描くようにへばりつき、まるで不気味な船幽霊か何かのようだった。一人でカヌーでも漕いでいる時にこいつが現れたら迷わずオールで頭をたたき割るだろう。
「おはようさん」
呼吸を荒げて鼻と口を手で拭い、周囲をきょろきょろと見回し状況把握をしようとするが、その目元には樹脂製のアイマスクが付けられている。クライアントを主人と見なす為のインプリンティング効果を期待しての事だった。つまり、クライアント引き渡し時に初めてクローンの視覚は解放されるのだ。必死に周囲の情報を集めようと右往左往するその姿を見つめながら指を二本立てて胸に突きつけた。培養中のレム睡眠学習装置の効果を見る為一挙一動全てに注視しながら。
「これは何だと思う? 答えろ」
もう一度同じ質問を繰り返しながら胸に当てた二本の指をめり込ませた。
「痛い……ゆ、び?」
怯えるように、そう発声した。最初声が出せなかったらしくいくらか四苦八苦した末の事だった。
「そうだな、だが俺が聞いたのは本数についてだ」
勿論『指』だと回答する事も経験則から解っていた。簡単な質問ではあるがクローン体の反応を見ながら質問の広げ方を変える。これによって培養時に施したレム睡眠学習がどの程度効果を現しているかを判別する。
「……ユビが、ふたつ……にほん……?」
恐る恐るそう答えた。
人間の夢とは、レム睡眠中にのみ見る事が出来るという。それは脳内のデフラグ、つまりは情報の最適化作業に最も近しいと言える。赤ん坊の場合、胎内でレム睡眠によって夢を見ながらその脳に本能を刻み込むと考えられており、そこに着目し本能の構築を行う夢に『人間として生きる為に必要な最小限度の知識』をウイルスのように紛れ込ませる。それがクローン作成時に広く使われるレム睡眠学習装置の大ざっぱな仕組みになる。つまり、夢を改変し、脳に刻み込む。多くの実験体の犠牲によってその効果はある程度実証されているが、細かい仕組みは実は未だに解っていない。『効果があるから、やっている』だけ。実際風邪薬や全身麻酔も同じで、これらは期待した効果が現れるから使われているだけで詳細なメカニズムは未だに解っていない。そういった理由でレム睡眠学習装置の効果には当然個人差という物がある。個体によっては全く効果が無く言語を操ることが出来ない者、つまり著しく知能が低い状態で産まれてくる者も少なくなかった。つまり、今回のクローンに関しては俺の質問に的確に回答してくるあたり成功だったと言えるだろう。
「よし、とりあえずその水槽から出ろ」
視界をふさがれたクローンの脇に手をやり補助をして水槽から出してやる。電気刺激で最低限の筋肉を付けていると言っても産まれてからずっと人工羊水の中で過ごしてきたのでまだまだ筋量が足りない。床に敷かれたマットの上に下ろしても生まれたての子鹿、もしくは地球に連れてこられた火星人のように重力に負けてぺたりとへたり込んでしまった。
「しばらくは辛いかもしれないが、じき慣れる」
そう告げるもクローンは分娩水槽横に敷かれた吸水マットの上で上半身すら支えられず倒れ込んだままだ。このまま放置してしまうと関節がいかれてしまうので抱きかかえて保育器に移すことにする。
身体に触れるとびくりと震え、怯えるような様子が見えたが一度優しく抱擁してやると俺のにおいを嗅ぎ安心したかのように力を抜いた。




