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ドリイ  作者: 猫文字隼人
エピローグ
15/15

15

 声が枯れるまで泣いた。気がつくと周囲の肉は熱を失い始めていた。ちぎれた管から溢れる血液に塗れていくナタの上半身をもう一度抱きしめた。背中に突き立てたナイフを引き抜いて、その上半身を床に横たえ、俺もここで死ぬべきなのではないかと思った。

 けれど、それをナタは喜ぶだろうか。

 きっと、ナタはそんなことを望みはしないだろう。

 共に生き、共に死にたいと言ってくれたナタの願い、そのほんの一部でも叶える為に俺はナタの欠片を口にして、飲み込んだ。そうして俺がいつか死ぬ日まで、共に生きることにした。それがセンチメンタリズムに溢れた、何の意味も無い事は十分に理解していたが、それでも俺はそうした。

 元来た部屋を戻るとそこには既にナタクの姿は無く、諸田もその動きを止めていた。

 彼らを好奇の目に晒すまいと火を付けたところまでは覚えている。けれどそこからどうやってこの地下室に帰ってきたのかはもう覚えていない。



 あれから数年が過ぎていた。地下室の景色は代わり映えしないが世間では多くのことが起こっていた。


 諸田の娘を殺害した少年犯罪者は心神喪失が認められたことで早々に釈放されていた。 だがその後姿をくらました彼は驚くべき行動に出る。

 事件に関係した人間全員を拷問し、殺害しつくして、最後は自分自身をも拷問さながらに傷つけて自殺しているのが見つかったのだ。

 自殺にしては不自然な点も多々見受けられたが、事件現場からは本人の指紋しか見つかっておらず、結局は良心の呵責に耐えきれず罪を精算して自殺したのだとして処理された。

 なんとも奇妙な事件ゆえに話題になり、被害者が関与した過去の事件の内容までが報道された。少女が監禁され、レイプされ身体を損壊されゴミのように捨てられ、抗議の為に被害者の母親が焼身自殺をしたというその事件内容のあまりの凄惨さに人々は大きなショックを受けた。そしてそのような重大事件がほとんど報道されなかったのは犯人が警護庁の身内であったからではないのかと、マスコミと警護庁は大いにバッシングを受けた。

 世間にとっては謎の残る事件ではあっただろうが、俺にとっては不思議でも何でも無かった。それはナタクが人間として生まれ直す為に必要な儀式だったのだろう。


 季節は春になっていた。淡い桃色がかった桜の花びらが何かを祝福するように空を埋め尽くしている。散歩の為に近所の公園をふらふらと歩いていると、あちらこちらで花見が行われており明るい声が四方から絶えず聞こえていた。出来る事ならばこの景色をナタやナタク、小野達と見たかったと思いながら、ベンチに腰掛けて本を開く。太陽の光を受けてのんびりと本を読むのは俺にとって至福の時間だった。

「何を読んでるんですか?」

 突然一人の青年に声をかけられた。一瞬知り合いかと思ったが全く知らない顔だった。恐らくは花見に疲れて途中で抜け出してきたのだろう。

「ん? これか? まぁ、古い本だよ。好きなんだ」

 表紙を見せると、青年も『ああ、それ僕も好きです』と言ってくれた。意外だったのもあり、少しだけ本の内容について話を弾ませていたのだが、青年は急に何かを思い出したかのように腕時計を見る。

「あ、やばい! 昼飯約束してたんだった……! 初対面なのに失礼ですが、これ受け取って貰えませんか? 間違えて買っちゃった昼飯なんです」

 と手に持った紙包みを差し出しながら、申し訳なさそうに言う。

「良いのかい? まだ飯は食ってないから俺は有り難いよ」

「だったら良かった! じゃあ受け取って下さい! その方が僕も嬉しいですから! では、僕はこれで行きますね。今日はお話出来て良かったです」

「いやこちらこそ楽しかったよ。なんだか久しぶりに遠くに居る家族と話をしてるみたいで。――ああ、急いでるんだったね、すまない。事故にあったりしないように気をつけて」

「……ええ、有り難う御座います。それでは!」

 青年はにこりと笑い、その後少しだけ寂しげな表情で俺を見ると小さく何事かを呟いて、やっぱりもう一度笑顔を向けるとすぐに後ろを向いて走り去って行った。小さな違和感を感じたが、それは桜の花びらと共にふわりと去って行った。

「ま、たまには外で花見しながら飯ってのも悪くないかもな」

 そう独りごちて受け取った紙包みを開けると、小綺麗な箱と、サングラスが入っていた。それが青年の忘れ物だと気付き、慌てて青年を追いかけようと立ち上がったが、その直後にふと気がつく。

 これは、どこかで見たことがある気がする。

 そろりと手を入れて、そのサングラスを引っ張り出してまじまじとよく見てみる。

 趣味の悪い金縁にグラデーションの入ったティアドロップのレンズ。メタルフレームはやや捩れて歪み、レンズとの間に小さな隙間が出来ていた。

 忘れるわけが無い。これは、小野がいつも胸元にかけていた物だった。

 そうして今度は袋に残されている箱を取り出し、蓋を開けてみる。綺麗な化粧箱に隙間無く納められていたのは、肉厚のカツがこれでもかとぎゅうぎゅうに挟まっている見るからに高級なサンドイッチだった。


――今度美味い奴買ってくるからよ!――


 コンビニで買った安いサンドイッチが数年の時を経てこんなに立派なものになって帰ってきたのだと思うと腹の底から笑いがこみ上げてきた。俺はすとんとベンチに座り直して、一人でくつくつと笑いながらそのサンドイッチにかじりついた。

「……おめでとう」

 小野のサングラスを胸元にひっかけて、桜の舞い散る青い空を眺めて俺は一人そう呟いた。

最後まで読んで頂けたのであればそれほど嬉しいことはありません。

有り難う御座いました!


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