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ドリイ  作者: 猫文字隼人
第三章
12/15

12

「な、なんだこれは……!?」

 そこに写る可憐な少女。白いワンピースに麦わら帽子、年は十五歳前後だろうか。目鼻立ちも通っており、控えめに言っても美しい。その彼女の流れるような黒髪を風が弄んだその一瞬を切り出した写真。そしてその少女の親と思われる諸田茂と、その妻と思わしき女性。意味がわからなかった。

 俺は一体誰を複製したのだ。

 ナタは、ナタクは一体誰だったのだ。全て嘘だったのか。一体ここで何があった。小野は、ナタクはどうなっている。

「ああ……やはりその写真が気になりますか」

 写真の前で呆然としている俺にそう声をかけながらナタクが階段の上に姿を現した。

「ナタク! 無事か!?」

「ええ、私は無事ですよ。怪我一つありません。先生のお姿を拝見するのはこれが初めてですね。想像していたよりずっとずっと素敵で少し感激しています」

 にこりと笑いながら埃まみれの階段を降りてくる。確かに一週間前に別れた時にはつけていたアイカバーは存在しておらず黒目がちの大きな目が俺の視線を釘付けにした。けれど、何か見た目だけではない違和感を発しているように思った。何かがちりちりと首筋を走り何らかの危険を告げている気がした。けれどそうであってもこの一週間探し求めていた存在。俺は考えるよりも早くナタクに駆け寄りその華奢な身体を強く抱き止めた。

「無事で良かった……!」

「フフ、先生苦しいです。先生もお元気そうで何よりです」

「元気だと……ふざけるな! この一週間俺がどれだけ心配したと思ってんだこの馬鹿野郎!」

「ごめんなさい、先生。でもどうしてもやらなくちゃいけないことが、あったんです」

 そう返すナタクを抱きしめながら俺は泣いていた。しばらくはそのままで居たが、気がつくとまるで子供をあやすかのように俺の背中をナタクはぽんぽんと叩いていた。なんとなく気恥ずかしくなり涙と鼻汁を拭うと顔をそらしてその身体を離した。再会を喜ぶ前に確認すべき事柄が山ほど在るのだから。

「そうだ、小野は……あと諸田は何処にいるんだ?」

「そう、ですね。……小野さんは……残念ですが、こちらに」

 ナタクは悲しそうに目を伏せて、声をつまらせながら窓際に歩み寄り、庭に視線を送りながらそう答えた。その顔は引きつっているようにも見える。急いでナタクの元に駆け寄り視線の先の闇へ目をこらすとぼんやりと掘り返された土のような物が見える。

「これは……墓だってのか……! あの小野が!? どうして!」

 逆であるならばともかくとして、あの男が誰かに殺されるなんて想像も出来なかった。だが、小野の電話番号でナタクから電話がかかってきた時点でぼんやりと悪い予感は……していた部分も確かにあった。けれど、あの小野に何かあるなんてそんな訳は無いと自分で自分に言い聞かせ、考えないようにしていたのが本音だった。

「それは……」

 理由を問われ言いよどむナタク。一瞬ナタクが小野を手にかけたのかとも思ったがその表情からそれも違うように感じた。ナタクは小野の死を告げながらその大きな黒い瞳に悲しみを宿していたのは間違いなかったからだ。けれど、直後にナタクが発したのは俺の最も聞きたくない言葉だった。

「――小野さんは、私が殺しました。この手で、絞め殺したのです」

 あまりの驚きに、もう一度言葉の意味を考え直してみた。けれど何も変わりはしない。二人がいなくなってから意味がわからないと、何度思っただろう。どうして小野を。どうしてナタクが。これが夢で在れば良いと何度も願った。けれどこれは、この残酷な灰色の世界は現実に他ならない。あまりの衝撃に後ずさり、何かの破片をべきリと踏み砕いた。

「なん……で……! 殺したって、一体何が!? お前が何で小野を……!?」

 混乱しすぎて言葉もまともに継ぐことが出来ない。なんで、なんでと子供のように繰り返すばかりの自分を人ごとのように感じても居た。

「……そうですね、最初から順を追って説明した方が良いかもしれません。少し長くなりますが、出来れば聞いて欲しいと思います。良いでしょうか」

 ナタクは神妙な面持ちでそう俺に告げた。その言葉に対して俺は頷くことしか出来なかった。

「有り難う御座います。では聞いて下さい、この屋敷で起こった事の全てを。……先生もご存知の通り一週間前私は小野さんに車に乗せられてここまでやってきました。依頼通りクライアント、諸田茂に引き渡される為に」

 ナタクは浅く目を瞑り、ややあって何らかの覚悟を決めたようにその瞳を開いた。

「小野さんに手を引かれながら屋敷に入ると室内は荒れ放題になっていたようでさすがにその異常さに小野さんが驚かれていたのを覚えています。そうです、別に私や小野さんが来てからこのように荒れてしまったのではないのです。ずっと前からこの状態だったようです。けれども出迎えてくれた諸田茂氏は大変上機嫌で、小野さんとも楽しげに雑談をしながら取引をしていたように思います。出来が良いとか、依頼して良かったとか、私のことをすごく褒めていてくれたようでした。そうして書類の調印が終わり、引き渡される直前になって小野さんは諸田茂に私の前の複製品、ナタ――でしたか。彼がどうして死んだのか詳しく聞きたい、事故の現場を見たいと言いました。するとそれまで友好的だった諸田は興奮しだし、訳のわからないことを叫びだしたのです。恐らくは口汚い罵倒だったと思います。帰れ、とか、復讐だ、とかそんな言葉でした。小野さんが何かを言い返すと叫びながら諸田は一旦走ってその場を離れていきました。その行動に危険を感じたのでしょう、小野さんは私にすぐに目は開けずに光にならしてから逃げろと言いながらアイカバーを外してくれました。けれどまぶたを閉じていても想像以上の刺激だったこともあり、私はその場から動けずに居ました。お恥ずかしいことに初めて来た場所だったことも有り、部屋の構造をまだ把握出来ていなかった事と、壊れた調度品に足を取られて逃げるに逃げられなかったのです。そうこうするうちに轟音と共に諸田茂が帰ってきました。チェーンソーというのでしたか、あれのエンジンをかけながら恐ろしい威圧音と叫び声を上げてこちらに向かってきている事が解りました。動揺とまぶしさから逃げようにも逃げられずにいた私の元にその音が迫ってきました。それでもなんとか逃げようとしてがむしゃらに走り出し、けれど何かに躓いて転んでしまった直後、諸田の怒声と狂ったような笑い声が響き渡り、直後私の上半身に強い衝撃が走ります。そこで私の意識は一旦途切れました」

 そこまでよどみなく語り終えたナタクは何かを思い出したかのように悲しい顔をして遠くを見つめた。

「次に目を覚ますと何か暖かい物と異臭が私を包んでいました。漸くまぶしさも薄れていた私は意を決して目を開くと、そこには……臓物をまき散らし、両前腕部がぐちゃぐちゃに割かれた男が居ました。その血液や臓物の破片が私の身体に飛び散っていたようです。身体付きからそれが小野さんだと即座に理解しました。そしてその血液から感じる温度から私が意識を失っていたのは数十秒程度だったのでは無いかと思います。そしてその隣には煙を出しながら異音を立てているチェーンソーと、昏倒した男……諸田茂がいたのです」

 そこまで話すとナタクはその時の様子を思い出したかのように、悲しげに目を伏せた 

「小野は……」

 気がせいていたのも有り質問しようとするとナタクに遮られる。

「すみません、お話を続けましょう。――私はすぐに小野さんを介抱しようとしました。ですがチェーンソーで縦に裂かれた腕はともかくとして、腹部の傷は酷いもので正直に手の施しようがありませんでした。刃物でついた傷であればどうにかなったかもしれませんがチェーンソーの回転する刃によって臓物は切り刻まれ、既に殆どの臓器がミンチにされてしまい、ぽっかりと穴が開いてしまっている状況だったのです。それに伴い多くの血も失っている小野さんはその時点でどうあがいても助かる見込みはありませんでした。小野さんはそれでも意識があるらしく、血を吐きながらも私に逃げろと言ってくれました。――笑っちゃいますよね、小野さんが一人であったならきっとそんなことにはならなかった。恐らく気絶する前に感じた衝撃、それは小野さんが私をはじき飛ばして庇ってくれた物だったのでしょう。私を諸田から庇ったから、庇ってくれたから私は生きていたし、だからこそ小野さんは大けがを負い、死にかけていました。私が、存在しなければ、小野さんはまだ生きていたのです」

 一瞬だけぐっと目を瞑ったナタクはその瞳に力強く光を宿し俺と視線を合わせる。

「そう、やはり小野さんを殺したのは私です。恩人である小野さんに対してできる限りの事をしたかった。私は小野さんに今の怪我の状況を伝え、手の施しようが無い事も伝え、何かして欲しい事は無いかと聞きました。勿論小野さんを救う為のことは何一つ出来ない事は解っていたのですが。すると小野さんはその状態で……『俺の代わりに奴に昼飯を頼む』って笑いながら言うんです。一瞬何を言っているのか理解出来ず、それが出発前に先生とやりとりしていた冗談だと理解するのに数秒が必要でした。私のせいでそんな怪我をしたのに、私の事を一つも責めずに私を気遣ってくれたのです。私は必ずその通りにすると伝えました。そして……いえ、小野さんはそうしてすぐに苦しそうに血を吐いて痙攣し出しました。あまりに苦しそうで、身体をねじりながら硬直するその姿を見かねた私は……小野さんの首を絞めました。少しでも苦しみを和らげたかったからでした。――そう、確かにその時はそう思っていたんです」

 ナタクは自嘲げに笑い、両の手を上げて俺にその掌を見せてきた。まるでこの手で殺したのだと宣言するかのように。

「そうして、小野さんの痙攣が止まり完全に絶命した事を確認した直後、悲しむ暇も無く今度は諸田茂が意識を取り戻しました。諸田茂は小野さんに打撃を与えられて昏倒しただけらしく、特に外傷も出血もありません。このまま目覚めさせてはいけないと思い、私はそばにあった瓦礫で諸田の頭部を殴打しました。話を聞く為に殺すわけには行かなかったですから加減をしていたせいだと思います、昏倒には至らず、諸田は更なる叫び声と、怨嗟の罵声を上げながら私に襲いかかろうとしました。私は今度は相手が死んでも構わないと、本気で諸田を殴りつけ、ようやく気絶させることが出来ました。、どこかに拘束する物が無いかと周囲をうろつきました。玄関ホールには壊れた調度品以外の物が少なく、仕方なくカーテンをまとめる為の帯を繋いで諸田茂の両手を縛り付けました。それと同時に屋敷の中に甘い匂いが漂っていることに気がつきました」

 甘い匂い、屋敷の扉を開けた時にかいだものだろうか。今もわずかに匂っては居るがその匂いは薄く、俺の嗅覚は既に慣れ始めていた。

「小野さんを庭に埋めた後、屋敷の中のどこから匂いが漏れているのか調べてみるとどうやら先ほど諸田がチェーンソーを持ち出した部屋からもれているようでした」

 甘い、匂い。違和感。かいだのは、どこで。あの独特の。花でも無く。けれど、とろけるようで蠱惑的な。人間が本能的に嫌悪し、けれど好むあの匂い。

「その部屋に足を踏み入れた私は……見てしまったのです。そこにあったのは……いえ、それは先生が直接見た方が良いかもしれません。先生は、きっと。けれど、出来る事なら。出来る事ならば……」

 訳がわからないままの俺を置いてナタクはくるりと翻り、最小限度の明かりしか灯っていない瓦礫だらけの玄関ホールをずんずんと歩いて行く。付いてこいという意味だと漸く悟った俺は慌ててナタクの後ろを追いかけていく。そしてその床には何かを引きずったような赤茶色の血痕が続いていて、それをたどっているようだった。やがて血痕は不自然に急カーブを描き、壁の中に吸い込まれていた。

「では諸田に会って頂きましょう」

「諸田はまだ生きているのか……!?」

「哲学的な質問ですね。先生、生きているってどういう事なんでしょう。心臓が動いてさえ居れば生きているのでしょうか。もしそうなのであれば、諸田茂は生きていると言っても良いでしょう。けれど果たしてあの状態を生きていると言えるのかどうか、私には判断が付きません」

「何を、言っている?」

「……こちらです、先生。心を強くお持ちになって下さい」

 ナタクはそう言って美しく笑い壁に手を添える。それはヒガンバナのような異形を内包している美しさでもあった。壁に添えたナタクの手がゆっくりと沈み、隠し扉が少しずつ開いていった。同時に甘い匂いが強くなる。甘く、そして生臭い。そうだ……この香りは……たしか……クレイドルを廃棄した時の……。

 扉を開けたナタクの背中越しに何かがちらりと見えた。蠢く赤黒い何か。

「いーいー。いーいー」

 鳴き声のような音が小さく響いていた。コンクリート製の壁に反響してそれは無限の重なりを見せている。いーいー。いーいー。ナタクはそのまま扉の中へ、いーいー。歩を進め、いーいー。

「これが、諸田茂です」

 俺へと向き直り、そう告げた。既に俺の足は軸がぶれるほどに震え、いーいー。そこに立っているだけで限界だった。恐ろしくてそれに視線を合わせることが出来ない。いーいー。ナタクの背後で蠢くその醜い肉。細く甲高い奇妙な奇声を吐き出している存在。いーいー。いーいー。何かを感じ取ったのか、鳴き声とも付かぬ奇声が徐々に大きくなっていく。

「先生」

 ナタクはゆっくりとそう言った。見ろという事だと理解したが身体がそれを拒絶する。吹き出た脂汗が皮膚から浸透し、肉ごと関節をさび付かせたかのように俺の身体は軋み、それを拒む。耳をふさぎ目をふさぎ、この場から走り去り、そのまま元来た道を戻って灰色の地下室に逃げ込みたい。全て忘れてそのまま死ぬまで過ごしたかった。

「先生」

 小さな、けれど有無を言わせぬ威圧感。ゆっくりと、重く響くナタクの声が俺のこわばった関節を無理矢理にねじ曲げた。俺の視界がわずかにそれをかすめると同時に胃液がせり上がりその場で嘔吐した。

 そこに居たのは――違う、そこに在ったのは赤い人間のような物だった。てらてらと赤く光り、人体模型のように筋繊維をむき出しにした赤い肉。頭部と思わしき場所もあったが既に下あごは失われ、そこから血色の悪い色をしただらしのない舌が垂れ下がり、なめくじの交尾のようにれろれろと蠢いていた。皮膚を削がれた赤い身体のあちこちに肌色のこぶのような物があてがわれており、ぼこぼことした輪郭をしている。天上から伸びる大量の赤い管を接続されたまま白く濁りきり、視線が何処を向いているのか既に解らなくなった眼球をくりくりと動かし、だらだらと粘液を垂らしながらいーいーと鳴いていた。これは既に人では無い。

「なんっ……だ、これは……」

「ですから、これが諸田茂です。愛する娘を私に陵辱され殺され、直後妻をも失って、意識を失った後も生命強制維持装置に繋がれたまま地獄の黒い炎に焼かれ続ける哀れな男」

「何を言って……!?」

 ナタクは先ほどのように怪しく笑い笑みを携えたまま諸田茂の元に歩を進めていく。

「先生は先ほどホールに飾られた写真を見ていたでしょう? もう気付いているはずです」

 はっとした。衝撃的な話を聞いて忘れそうになっていたが、あの写真に写っていた少女は一体誰なのか。そう、俺は一体誰を複製したのか。

 けれどその疑問は今のナタクの言葉で氷解していった。

 諸田夫妻と一緒に写る少女。

 そして、ナタクは彼らの娘を陵辱し殺した男を自称した。つまり……。

「諸田は……復讐相手を複製したのか……!」

 ナタクはにこりと笑い、その言葉を肯定した。

「さすがは先生、ご明察です」

 闇の中でナタクはぱちぱちと手を叩いた。

「――諸田夫妻は数年前に愛娘を誘拐されました。富豪の一人娘が誘拐されたことから当初は身代金目的だと思われていましたが犯人からの要求も、手がかりも無いまま一ヶ月が経過し、後に最悪の展開を迎えます。近隣で野犬が人の腕のような物を咥えていると通報をうけ、付近を捜索したところ野生動物に食い散らかされた遺体が発見されました。見るも無惨な姿にされ、ゴミのように捨てられていたそれが行方不明になっていた諸田夫妻の一人娘だと判明するのにはそれほど時間がかかりませんでした。遺体を調べる事で彼女がつい最近まで生きていたらしいことが判明しました。恐らくは監禁され何度も犯されて、殴られていたのでしょう。頭蓋骨は変形し、目玉を潰され、鼻を削がれ、歯を抜かれ、唇を切り取られ、性器の中にガラス片を押し込まれて、肛門は強姦に伴い引き裂かれ、そうした地獄の苦しみの中で少女は死んでいきました。諸田夫妻が対面した遺体は、それはもう遺体とは言えなかった。この世のありとあらゆる絶望を押し込めてもそうはなりはしない悪魔の所業。けれど、どうでしょう。先生はこれだけの残虐な事件を知っていましたか? きっと知らなかったと思います。なぜなら当時報道されたのは『行方不明だった十五歳の少女が遺体で発見された』、ただのそれだけだったのですから。この事件は多くの凶悪犯罪に紛れてすぐに忘れ去られました」

 諸田茂の名前を検索した時のことを思い出した。確かにその名前が関係者として記述された小さな一行記事があったのを確認している。特に記憶に残るような物で無かったのは確かだった。

「勿論、それだけの痕跡を残しているのですから犯人はすぐに捕まりましたよ。ですが犯人は犯行時未成年でした。大人と子供、どこで区別が付くのでしょうか。そこに明確な差があるのでしょうか。私には解りません。善悪の分別も付く年齢です。彼はただ十八年生きていないだけの大人でした。未成年であればバレても死刑にはならないと周囲にうそぶき、少年時代最後の思い出と称して少女を誘拐し強姦し、発覚を恐れて監禁し強姦し続けた。やがてつるんでいた仲間を監禁部屋に呼び込んで延々と陵辱し続けました。一部では強姦参加者から金銭を受け取って居たとも。やがてろくな食事も与えられない、諸田茂の娘が衰弱し始めると犯行は性的な物からより残虐な物に移行し始めました。面白がって拷問さながらの虐待を行い、身体損壊を加速させていき、ついには絶命させた。けれど彼らはその後何でもないように、まるでゴミでも捨てるように山の中に彼女を捨てたのです。そうして見つかった変わり果てた姿になった愛娘を見せられた諸田夫妻の絶望はいかほどだったでしょう。勿論有能な弁護士を雇い、厳罰を望みました。けれど犯人は未成年なだけでなく、父親は旧警察庁、現警護庁に勤務していた。一体どんなやりとりがあったのかは解りません。けれど結果として報道も先の通りただの殺人事件としか扱われず、その他多くの事件に紛れてすぐに忘れ去られていった。諸田茂は娘を殺されて、自身の叫びすらも世界に黙殺された」

 話を聞くだけで涙が溢れ出てきた。先ほど玄関ホールに飾られていた仲むつまじい家族写真、幸せに溢れたその姿からそんな悲惨な未来が待っていようとはとても想像出来ない。言葉は何一つ浮かばない。諸田は、想像することすら許されない究極の絶望の中に居た。

「変わり果てた娘を見た妻は気が狂い、やがて少年犯罪ゆえに厳罰に処されないことを知ると呪いの言葉を吐いて警護庁の敷地内で抗議の焼身自殺を行った。けれど、それすらもメディアに黙殺された。圧力があったのかどうかは言うまでも無いでしょう。最後に残った愛する妻すら失って諸田の中は空っぽになった。少年は『被害者から誘惑を受けた』と発言し、更なる減刑を求め、それが通った時には諸田は自分も死のうと思った。けれど、自分が死んでも相手を喜ばせるだけだった。絶対にそれだけはしない。諸田は鋼の意志で耐え抜き、生きる事を決意した。空っぽになったその身体を憎悪で埋め尽くし、復讐を生きる糧とした。そうして諸田茂は今回の計画を思い付いた」

――犯人を複製し、同じ目にあわせようとした。諸田は一体少年犯罪者の遺伝情報をどうやって手に入れたのだろうと思ったが、手段を選ばなければアイドルのものですら手に入るのだ。考えるだけ無駄であった。

 そしてその考えに至ると同時に俺の中に黒い閃光がはじけた。

「――っ! 待て! 待て待て待ってくれ! まさか、だったら! ナタ……ナタはまさか……!」

「彼は生きていますよ。けれど死んでいた方がマシだったでしょうね。彼は半年以上もの間、諸田茂の怨念に焼かれ続け今でもその黒い炎のただ中にいるのですから」

「――――いいいいぎいいいああああああああ!!!!」

 狂ったように身体をねじり床に倒れ込み、拳で床を何度も叩き付けた。痛みは既に感じておらず、幾本かの骨は折れたように思う。

 そうしてナタの笑顔を思い出す。俺から幸せになる為に生まれてきたのだと告げられたあの少年は、そう信じて疑わなかったはずだ。そして俺と再会する事を楽しみに生きるといってくれていたのだ。けれど、彼を待ち受けていた運命は、地獄以上の地獄でしか無かった。そして、未だにその無垢な魂は地獄の業火に焼かれ続けていると言う。

「……私は当初一人目、ナタの凄惨な姿を目にして激昂し、諸田から話を聞き出そうとしました。けれど諸田にはもう正気と呼ばれる物は残っておらず、彼の身体は怨念によってのみ動くただの復讐者でしかなかった。私を荻沢と呼び、呪いの言葉を延々とはき続けました。その時点では事情を知らなかった私は……彼がナタに行った拷問と同じ拷問にかけ口を割らせようとしました。するとどういう訳か既に正気を失っていたはずの諸田茂は拷問の痛みによってのみその狂気から正気を取り戻すのです。ですから、私が真実を知る為にはとにかく諸田を拷問する必要がありました。私に拷問の知識はありませんでしたが、諸田茂がいつの日か本物の私に送りつける為に、ナタを拷問する様を映像として記録していたので手順自体は困ることはありませんでした。――やがて私は諸田の怨念、その真実を知ります。同時に自分が何者かを、そして何故生み出されたのかを。その時には、彼にいくつかの同情を感じてしまい、彼を殺すことが出来なくなっていました。彼も被害者だったのです。けれど、既に私の拷問によって人の形をしていない彼を生かすべきか、殺すべきか、私には解りませんでした。そうです、私は最悪の殺人者の複製品だったのですから。話を聞き出す為に無理矢理行っていたのでは無く、諸田を拷問にかけることを楽しんでいた可能性も否定は出来ません。実際私のオリジナルは同じ事を諸田の娘に行っていたのですから。それにそれは――小野さんの時だって……」

 ナタクは自嘲気味にそう笑い、涙を溢れさせた。そうしてその腕を上げてじっと見つめている。白く美しい腕だった。けれどナタクにとってその腕は血に塗れた殺人者の腕に見えていたのだろう。冷静に、淡々と語っていたナタクだったがここに来て彼の心も既に崩壊しかけていることに今更気がついた。どうすれば良いか、考える前に俺は言葉を吐き出す。

「そんなもん、関係あるか――!」

 俺は涙と鼻汁にまみれたままそう叫んだ。ナタもナタクも殺人者のクローンだった。けれどその魂は純粋なものであったはずだ。それはいちから育てた俺が一番知っている。

 俺はつかつかと歩み寄り、ナタクの左頬を思い切り殴った。素手で人を殴ったことなど無く、腰の入っていない俺の拳ではあったがクリーンヒットしたことでナタクにたたらを踏ませる程度の衝撃を与える事は出来ていた。ナタクは口元から一筋の血を流し、意外そうにこちらを見た。

「今、俺が! お前をぶん殴ったのは俺の意志だ! 決して俺のオリジナルが望んだことじゃない! 俺の身体は俺のもんだ! 俺の魂に何者も干渉なんぞさせるか! 自分が殺人者の複製だから、人殺しを楽しんでいたかもしれない? じゃあ何か、俺が生きてきた全てはオリジナルの影響下だってのか! 違う! おれは全部自分で選んで生きてきた! 飯を食う為にくそったれ共に抱かれ、そいつらを脅して金を得て、そうやって泥水啜りながら生きてきたんだよ! それにおまえはあの小野が命を賭して守った奴なんだろうが! そいつが、そんな下らない存在であってたまるか! お前はお前だろうが!」

「……これは……ここに来てまだ驚く事があるとは。そう、先生もそうだったのですか」

ナタクは言葉通りの表情で俺をまっすぐに見ていた。その眼には動揺だけではなく何らかの熱が宿ったかのように見えた。

「……俺はかつて移植用臓器の為に豚代わりに作られた人間だった。けれど、オリジナルに逃がされて今生きている。俺はそんな人間にずっと憧れていた。人間の美しさを知りたかった。自分の命を捨ててまで、俺を生かした美しさの正体を。――けど、そんなもんはどこにも無かった。全部全部俺が勝手に美化していた幻想に過ぎなかった。そうであればいいと、勝手に思ってたんだ。自分を複製品だと、自分を人間じゃ無いって決めつけて、卑下して、人間を神格化して、憧れて、自分自身で差別していたんだ」

 ずっとオリジナルを聖人か何かのように思っていた。けれど、実際の所は解らない。本当は臓器用クローンは俺一人では無かったのかもしれない。戯れにペットを逃がす感覚で逃がされたのかもしれない。オリジナルだと思っていたのは全くの別人でオリジナルが死ぬことを望んだ人間だったのかもしれない。考えれば理由はいくらでも考えつく。けれど俺はそれを美しい物だと盲信して、それを探し求めてきた。人間だから美しい物をもっているのだと思い込んでいた。それを知る事で、そして自分がそれを得ることで俺はクローンである自分を否定したかった。俺は、人間になりたかったのだ。

「言えよ! お前が何を怖がってるのかを! 自分が殺人者のクローンだから拷問を楽しんでいたかもしれない? 小野を殺す時、快楽を感じたのかもしれない? 馬鹿じゃねえのか! そりゃ全部お前が人間だからだよ! 人間だから同じクローンのナタが酷い目にあっているのを見て激昂した!、諸田に復讐した! けど人間だから諸田の境遇を知って同情した! 人間だから小野を苦しめたくなくて殺した! そんだけだろうが!」

 泣いていた。何故だろう。……きっとそれも人間だからだろう。

「先生は……クローンも人間も差が無いと?」

「あんのかよ!」

「……どうでしょうね。ですが……確かに私は先生は人間だと思っていた。人間だから素晴らしいのだとそう信じて居た。疑うことすらしなかった。私も先生と同じだった……結局、私も先生を人間だと差別していたに過ぎかったのかもしれません」

 ナタクは惚けたようにそう言って、隣でいーいーと鳴く諸田を見つめた。

「仰るとおり、私は諸田の境遇を知り、同情しました。けれど、自分が諸田を地獄に突き落とした殺人者の複製品だと知って、訳がわからなくなりました。諸田に同情する資格すら奪われて、自分という存在が解らなくなりました。何をしても自分は殺人者の複製品なのだと。だから本心では諸田の魂をこの身体から解放するべきだと解っては居たのです。けれど、そうすることが本来のオリジナルの殺人者としての意志によるものなのだろうかと苦悩し、抗っていました。結局私は悪いことは自分のオリジナルのせいにして逃げていただけでした。けれど、そう。私も、愚かな人間でしか無かった。先生はそう言ってくれた。だから……」

 ナタクはそう言って晴れやかな顔をこちらに向けた。

「先生、私は、私のやりたいことを、私が決めて行う事にします。そこには誰の意志も介在しない、私だけの未来を切り開く為に。私にはどうしてもやらなくてはならないことが出来ました。それは先生の為でも、小野さんの為でも、諸田への贖罪の為でも無い。私がそうしたいと思ったから、そして私自身が真のオリジナル、人間として生きる為に」

 俺は頷いた。ナタクの口にした話が何を指すのかは解らなかった。けれど、ナタクがそう判断したのであればそれで良いと思った。それこそが人間なのだから。

「先生、この部屋の更に地階にナタが居ます。会ってあげて下さい。もう彼には既に自我が存在しません。意思の疎通を図りましたが無理でした。彼には視覚も聴覚も理性も知性も存在していないようです。だから本来会っても無駄なんです。だから先生がこのまま帰る選択をしても咎めたりはしません。会っても相手には解らないのであれば、それは先生が苦しむだけだから。それに放っておいてもいずれ生命強制維持装置が壊れ死を迎えるのですから。――けれど、それでも私は先生に――」

「――俺はナタに会うよ。約束、していたんだ。もう一度会おうって」

 そう告げるとナタクはそうですか、余計な事を言ってしまいましたと笑い、側に置いてあったナイフの柄を向けて俺に差し出した。

「それでは先生――いいえ、最後にこう言わせて下さい。『さようなら、お父さん』」

「さようなら。お前のこの先の生き方が正しいか間違ってるかは、俺にも解らない。けれど俺はお前の決断を誇りに思う。俺だけはお前の決意がどれほど深い物か理解しているつもりだ。共に堕ち、そして生きよう。そして人間であろう。お前は、間違いなく俺の家族だった」

 ナタクは一筋の涙を流して俺にナタの居る部屋へ続く扉を指さす。そうして深々とお辞儀をして俺を見送った。


 しばらくして、いーいーという鳴き声は聞こえなくなった。

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