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ナタクに告げられた場所は県境にある山の中にあった。最寄り駅までは電車で向かったが、生憎出待ちのタクシーは出払っているようだったので待つ時間を惜しみ歩くことにした。駅に着いた頃には完全に日は落ちており、周囲は夜の闇に支配されていた。黒いアスファルトはわずかな月の光さえ逃がすものかと引き寄せて、残った光だけがわずかに道の輪郭を照らしている。そのわずかな光に導かれるように暗い夜道の中を歩いてく。慌てて飛び出してきたこと、街灯が殆ど無いことから情報端末のディスプレイ光だけが心の支えであった。懐中電灯くらい持ってくるべきではあったがそこまで考えている余裕は全く無かった。
「民家のようだが……随分大きいな」
ネットマップで調べてみたところ、ナタクに指定された場所は人里離れた場所にある大きな一軒家であり、それは考えるまでも無くクライアントの諸田の家なのだろう。だがどうして一週間も経過してから呼び出されたのだろう。それに本来なら小野が連絡をしてくるはずではないか。何か俺の想像を越えた普通では無い何かが起きていることは間違いなかった。ディスプレイから顔を上げると突然近くでばさばさと羽音が鳴った。
「ひっ!」
思わず奇声を放ってしまう。鳥のように見えたが時刻は既に夜であることからコウモリか何かだったのだろう。ただのそれだけで冷や汗が身体を覆い、不快感が身体にのしかかる。
「くそっ!」
そんなくだらない事に驚いて声を上げてしまうような自分を恥じて、足下に落ちていた細い枝を踏み折った。こんな時小野ならどうするのだろう。あの屈強な男であれば何者にも恐れず、立ち向かっていくのだろう。実際何度か地下室でくつろいでいるその身体に刃傷を見たこともあった。本人が言っていたようにアンダーグラウンドで生きてきた小野はそういった荒事にも本当になれていたはずなのだ。その小野がどうして突然連絡が取れなくなったのか。例えば小野と諸田がグルになっている可能性。それとも……今からいく諸田の屋敷で一体何が起こっているのか。俺の不安は闇の中でどんどん膨らんでいく。
やがて、闇の中にぼんやりと白いペンキの輪郭が見えだした。恐らくは目的地、諸田茂の屋敷なのだろう。清潔感のある外壁だったが闇の中枯れ木のシルエット越しに見るとなるとまるで悪魔の腕に抱擁されたような不気味さを醸し出している。近づいていくと、門のすぐ手前に小野が普段乗っていた赤い4WDが乗り捨てられていた。やはりここに小野は居るのだろう。窓から車中を覗いてみたが当然誰も乗ってはおらず、鍵もかかっている。ボンネットの上に溜まっている落ち葉の様子から一週間前からここに放置されたままなのかもしれないと思った。屋敷は完全に孤立しており、周囲には民家や施設は何も見当たらなかった。そしてその周囲は三、四メートルはあろうかという長大な鉄柵でまるで刑務所かなにかのようにぐるりと覆われていた。屋敷自体にも明かりは灯っておらず無人のように見える。ナタクから電話がかかってきたので無ければ俺もそう判断しただろう。
俺の元に複製依頼を持ってくる人間は、その依頼料の高額さからほぼ全て富豪なので、屋敷の巨大さという意味においてはそれほど意外性は無かったが、その鉄柵の奥に見える廃墟そのものの景観には驚かされた。かつては丁寧にメンテナンスを施されていたであろうその庭は多くの雑草が生い茂り、石畳の通路がわずかに見えるだけで殆どが緑に覆い尽くされていた。遠目には白くみえた外壁も既に下部は蔓に覆われ飲み込まれ始めている。それらの外観はまるで幽霊屋敷のようで、これからお前を飲み込み返さないとプレッシャーを放っているようにも見えた。
小野の4WDの後ろに回り込むと正面玄関と思われる場所があったがそこに設置されているはずのインターホンは既に破壊され、地面に転がりはらわたのように配線をだらしなくはみ出させていた。何者かがたたき壊したのだろうか。もしそうであればそれは小野か、諸田か、ナタクか、それとも謎の第三者か。驚いた事にインターホンがはめ込まれていたと思われる場所には『諸田』の表札があった。ずっと偽名だと思っていたクライアントの名前だが少なくとも苗字は本物らしい事に驚きを感じた。通常の神経をしていれば違法行為を依頼するにあたり本名を使う事など絶対にあり得ない。もしも俺の工房にガサ入れがあれば芋づる式にクライアントの元に捜査が伸びるからだ。一体諸田は何が目的なのだろうか。
とにかく考えても仕方が無い、既にここまで来ているのだから先に進むことでしか疑問を解決することは出来ない。閉じられた鉄製の巨大な門扉は固く閉ざされて居た為、周囲を見渡すとすぐ横に人が通れるサイズの通用口があった。軽く手で推してみるとそこの扉には鍵がかかっておらずそのまま軋んだ音を立てて開いていく。意を決して中に侵入する。そこから屋敷まではそれほど距離は無く二十メートルほどの距離だったが好き放題に伸びた観葉植物が通路をふさぎ始めているようだった。茂みの中から何か恐ろしい化物が俺を狙っているのでは無いかと恐れを抱き、早足で通り過ぎた。首筋に巨大な葉があたり、更なる恐怖を駆り立てたがそれよりも小野やナタクの無事を確かめたい気持ちが勝っていた。
「くそっ! くそっ! 本当にここで良いのか!?」
この屋敷の中でナタク達が待っているのであれば一体電気も付けずに何をやっているのだろうか。
緑色の物言わぬ群衆を抜けて漸く屋敷の扉の前に出た。真鍮製の金具に彩られた巨大な木製の扉が俺を待ち構えているようだった。扉の脇には細かなモザイクで作られたステンドグラス調の小窓がバランス良く配置されているが埃にまみれたせいかやはりその色は失われていた。風で吹かれた枯れ葉やゴミが辺りの地面に存在していたが、扉の稼働域に足跡がいくつか残っていた。やはりここに小野やナタクが居るのだと理解する。ゆっくりとノブに触れて回す。ノブ自体はなめらかに動きかちりとドアは開く。そのまま音を立てずにすっと扉が開き始める。
同時に屋敷の中の空気が漏れ出でる。その空気はわずかに甘い香りを纏い俺の鼻腔をくすぐった。どこかで嗅いだことのある匂い。一体何処で……。思い出すよりも先だった。
「ようこそ、先生。まさか本日中に来てくれるとは思いませんでした」
ナタクの声だった。同時に小さな照明が灯る。ずっと玄関を見張っていたのだろうか。
「ナタク!? 無事なのか!? 小野はどうした!? 諸田は!?」
驚いた自分をごまかし鼓舞するかのように大声を出して、中に入る。するとそこから目に入る玄関ホールには小さな明かりに照らし出された多くの調度品――だったものが所狭しと散らばっていた。正面に見えるのは古伊万里だろうか、朱、青、金に彩られた巨大な壺の残骸はたたき割られたように見えた。その隣にある白い無垢の石材で作られた彫像は無残にも首がもげてしまっているようで少し離れた場所で砕け散っており、巨大なシャンデリアは地に落ちてぐにゃりとゆがみ光を失っている。毛足の長い絨毯は斜めになり、一部は焼け焦げて切り裂かれても居た。視界に入る多くの調度品は全て破壊し尽くされている。そしてよくよく見てみるとその上にうっすらと埃が被っている。
この屋敷を見てクライアント、諸田茂の顔写真を思い出していた。かつて息子を事故で亡くし、それに悲観した妻が自殺し、突然この世界に取り残され一人きりになってしまった孤独な中年男性。寂しさにかられて息子の複製を依頼し、その複製した息子すら事故で失った哀れな男。
だが、本当にそうだったのだろうか。
よく考えろ。諸田は家族を失って息子を複製しようとした。そうして俺が作り出したナタを更に事故で失った。けれど諸田は亡くなってすぐに二体目の複製を依頼してきたのだ。どうにも引っかかっていた違和感の正体に今更ながら気がついた。
どうして諸田は妻を複製しなかった?
どうして息子だけを複製しようとした?
クローンを作るには確かに莫大な金が必要だ。だが、この屋敷を見るに諸田は想像以上に金を持っていたように思う。玄関から見える範囲に散らばる調度品の残骸だって壊さずに売ればそれなりの額になったはずだ。実際一人目を失ってすぐに二人目の作成を依頼して来たことから金の問題は無かったはず。なのに、妻の複製は依頼しなかった。
――金なら金なら金ならいくらでもあるんですよぉ――
狂人のようにぶつぶつとつぶやき続けたあの通話記録が脳裏に突き刺さる。ナタが死んだと告げられたあの時の記憶を思い起こし嘔吐感が胸の古傷を貫いた。
「先生? どうされました? こちらです。こちらに来て下さい」
姿の見えないナタクの声とかつんかつんとこちらに向かってきている足跡が響く。
「くそ、何が何だってんだ!」
散らばる残骸を踏みしめて靴を履いたまま奥へと歩み出す。だが明かりに照らし出された荒れ放題の玄関ホールの中において、一カ所だけ何か違和感を感じさせるものがあった。壁に飾られていたはずの多くの絵画や写真は残らずたたき落とされて床の上で額ごとばらばらになっていた。けれどそんなホールの中で一つだけ異彩を放つ物がある。そして恐らくはそれだけがかつてのこの豪奢な屋敷の名残を残している物。吸い込まれるようにその一点に近づいていき、その正体を見極める。薄暗い中、情報端末のディスプレイの光を当ててよく見てみる。それは一際立派な木製の額に飾られた一枚の写真だった。
その一枚だけが埃一つ無く、綺麗に手入れされていたかのような。
そこに写っているのは柔和な表情で笑顔を向ける諸田茂、そしてその隣に写っているのは恐らくはその妻であろう。
そして二人の真ん中で笑顔とピースサインを向けている存在。
それはナタとナタクとは似ても似つかぬ、可憐な少女だった。




