human being
短編です。
直接的な描写はありませんが念のため年齢制限があります。
「よう、ドリイ居るか? 新しい依頼を持ってきたぜ」
脳裏に描き出されていた色とりどりの世界は無遠慮な大声量で打ち砕かれた。
それが美しかった事だけは覚えているが、具体的には何一つ思い返すことが出来ない。
砕かれた極彩色の欠片を拾い集めようとしても既にその輝きは失われ、モノトーンの景色に溶け込んでしまっている。自分しか知り得ない自分だけの夢なのに、自分ですら思い返せないのなら一体誰が存在を証明してくれるのだろう。
ぼんやりと下らないことを考えながら頭をかきむしり、身体を起こしていく。ゆっくりと視線を四方に巡らせるとそこには見慣れた風景が待っていた。むき出しになったコンクリートの壁と、開け放たれた金属製の扉、そしてそこに立つ男。残念だが自分がこの灰色の地下室(世界)の住人であることを嫌でも思い知らされる。
「なんだ、寝てたのかよ」
がははと豪快に笑いながらそう言った男は軋む扉を強引に閉め、目の前の椅子にどかりと腰掛けた。日に焼けた肌に筋肉質の身体、ごつごつした顔貌に皺を寄せて笑顔を作り、まるでこの場所が自分の家かのようにくつろいでいる。中年にさしかかろうという年齢だとは思うが柄物のアロハシャツにオールバックの髪型、ティアドロップのサングラス。どう見ても堅気の人間では無い。サングラスをはずし胸元に引っかけると「うまそうじゃねえか」とデスクに置いていたどら焼きを勝手に頬張っている。暑苦しい事この上ないがこの男こそ俺の仕事のパートナー、小野だった。
腕を組み前に突き出し、そのまま上に上げてぐっと伸びをする。そうする事で血流が巡り、脳がとろとろと動き出していく感覚を覚えた。
「……もう言っても直す気は無いんだろうけどな、俺はとりい、だ。濁らせるな」
眠気眼をこすり、あくび混じりにいつものやり取り。一応その場で『すまねえ』と訂正しはするがどうせ小野が俺の呼び方を変えるつもりなんて無い事は十分に承知している。
俺は――本名では無いのだが――鳥井瞑と名乗っている。小野が俺をドリイと呼ぶのは本人に聞いたわけでは無いが恐らく以前作出されたクローン羊ドリーとかけているのだと思う。何だか不気味に感じる響きではあったが、耳には残る。それが功を奏して今では俺の仕事における屋号にもなっている。
――複製屋ドリイ――と。
複製屋。その名の通り複製を作ることが仕事だ。3Dプリンタが普及して久しい今、世間では様々な物が複製されている。壊れた美術品のパーツを精巧にスキャンし修繕したり、失った骨を再現し治療したり、既にその恩恵は我々の生活からは切っても切り離せない領域に達している。
けれど俺の複製はそう言った物とはまた違っていて、端的に言うと商品は――もっぱら人間の複製がメインとなっている。つまりはクローン作成を仕事としているという事だ。当然、言うまでも無く違法なのだが。
新しく制定されたクローン規制法でクローニングは国家反逆罪、殺人、放火に次ぐ重罪に制定された。それによって多くの同業者は廃業していき、今では数えるほどになったと耳にする。多くのリスクを抱え込んでまでクローニングを生業にする理由。恐らく最も多いのはリターンが大きいことだろう。クローン一体での収入は恐らく一般サラリーマンの平均年収、その約五倍程度といったところか。
その金額がリスクに相応しいかそうでないかの判断は俺には付かないが殺し屋の対価が数百万程度だという事を考えればやはり高額なのだろう。
「どうした、ぼけっとして。気分でも悪いのか?」
意識を戻すと真面目な顔をした小野が心配げに俺の顔をのぞき込んでいた。
「いや、大丈夫だ。ちょっと血の巡りが悪くて。あと声が大きい、トーンを落としてくれ」
「なんだ、それなら良かった」
そこまで言ってがははと笑う。トーンを落としてくれと言う部分は完全に聞き流されているらしいがいつものことなのでこちらも気にしない事にした。
「……それで、今回の依頼の内容は?」
「おっと、そうだったな。早速で悪ィんだけど、この前のオタク君がまた新しいメンバーが欲しいってよ。これで四人目だぜ? すげーよな」
「……ああ、あの客か。まぁ金さえ払うなら俺は何だって構わないが」
違法複製屋にとってアイドルオタクの顧客は珍しくもないどころか、上客でもある。さすがに四人も依頼してきたのは今回の春木(勿論偽名だろう)だけだが。春木は「アストロ・トゥウェンティフォー」というじゃんけんが出来るアイドルの猛烈なファンだ。アイドルとじゃんけんが出来て何が嬉しいのかは理解に苦しむが、世の中にはいろいろな人がいるのでその点に関してはそういう人もいるのだと思うしかない。そもそも理解する必要も無い。仕事を受けるか受けないかの判断において重要なのは支払い能力があるか、否か。ただのそれだけだからだ。
上客である春木にはもうすでに三体の彼女を卸している。一体春木が入れあげたアイドルの複製品を何に使うかなんてそんな下卑た詮索はしない。繰り返すがどう使おうが金さえ貰えるなら何の文句も無いからだ。
春木に対して何か一つだけ気になるとすればそれはDNAサンプルの入手方法だろう。小野が春木から聞いた話によると一度目は後をつけて毛を拾い、二度目は百万近くの金を出してオークションイベントで買った着用済み衣装からの皮膚組織を採取したという。そして、流石の俺も閉口したのが前回の三度目だ。
彼女たちにはじゃんけん会という『CDを五枚買ってくれたお兄ちゃん(ファンをそう呼ぶらしい)とじゃんけんができるチケット』を持った客を集めるイベントがある。
そこで件のアイドルに髪の毛が一本が欲しいと言ったという。男の俺が聞いても吐き気がする。当然のごとく拒否された春木はその場で激昂し、暴れ回り、愛しのアイドル――興味が無いので名前は失念してしまったが――とにかくその相手の頭髪をむしり、さらにはひっかいて流血騒ぎを起こした。髪の毛は没収されてしまったがその時に爪の間に残っていた組織から作ってやったのが三人目だ。
当然春木自身は御用となった。だが人間的には最低レベルであろうと春木は金だけは持っている。莫大な保釈金を払って、すぐに出てきたらしい。それだけのトラブルを起こしておいて今度はどうやって四人目のDNAを入手したのかは気になるところだ。
俺の微妙な表情を見て小野は何かを察したらしく、いやらしい笑顔を浮かべて言葉を継ぐ。
「ああ、DNAだろ? 傑作だぜ! あのデブ、トイレの清掃員にカネを握らせて……」
「やめろ、気持ちの悪い話をするな」
へへっ、悪ィ! と頭をかきながら謝罪。絶対悪いと思ってない癖に、と思いつつ愛想笑いを返した。
アイドル業も既に音楽で売り上げを上げる時期はとうの昔に過ぎている。ファンの男達からいかに効率よく、一気に金を巻き上げるシステムを構築するか、それこそが今のアイドルという商品の集金システムだ。その証拠にアイドルですと言われなければそう認識出来ないような存在ばかりが増殖している。男も、女も。ある意味では春木もそういった商法の被害者なのかもしれない。
「とりあえずやっこさん愛しのお姫様のDNAサンプルはそこにおいておいてくれ。納期はいつも通り二十週。完成次第連絡を入れる」
「おう、解った。指定された年齢と基本技能用の映像サンプル、その他諸々のデータシートも置いておくぜ」
そう言いながらデスクに小包を置いた後でそういえば、と小野。
「ああ、なるべく四号チャンの裸は見ないで欲しいそうだぜ。複製屋が若い男だといったら随分ご立腹だった」
恐らくはクライアントの顔真似をしているのであろう小野は珍妙な表情でそう言った。
「――最高に良い気分だ。仕上がった人形が言葉もしゃべれない糞尿垂れ流しの状態で良ければそうするがな。その辺は適当に誤魔化しておいてくれ」
思わず唾を吐き捨てる。クローニングをしてもそれはただの肉体でしかない。一定の教育を施さないとそれは見た目だけが人間の、愚鈍な動物でしかないのだから。多くの顧客が望む従順な商品としてのクローンとはそういう物だった。
小野は苦い顔をしつつ笑いながら出て行った。こういったやりとりにはもう慣れているが俺は正直この小野という男も苦手に感じている。普段から笑みを絶やさないところに何か作り物めいた物を感じてしまうからだ。勿論一人で複製屋をやっていた時と比べれば随分楽になったことも事実であり、現在はそちらのメリットを優先させて一定の距離を置きながらも上手く小野と付き合っている状態だ。
だが、当然タダでは無い。紹介料は四割、なかなかの暴利だとは思う。
さて、とデスクの隅に置かれたいつ入れたか記憶に無い冷たい珈琲を一気に飲み干して椅子から腰を上げる。サンプルの鮮度が落ちない内に複製の準備に取りかかることにする。気は進まないし、金も既に一生使い切れないほどにあるが、俺にとってはそんなものは仕事をしなくなる理由たり得ない。デスクの上に置かれている小野がおいていった小包を手にとって部屋に備え付けられているもう一つの金属製の扉へ近づき、そっと手を伸ばす。ダミーのノブに触れると小さな電子音と共に指紋認証を経てゆっくりと扉が開いていき、最低限度の照明だけが備え付けられたほそいコンクリートの階段が姿を現した。急勾配の階段に気をつけながらゆっくりと降りつつ、手の中にあるDNAサンプルをちらと見やり、今から行う行為を想う。
かつてクローニングとは非常に手間がかかる作業だった。まず下準備として特定の細胞を栄養飢餓状態にし、細胞周期をリセットする。これはつまり、簡単に言うと細胞の分裂サイクルをチェックし、DNAに損傷がないかを監視するシステムを一端初期状態に戻すと言う事だ。こうして作られた細胞から抜き取った核を除核、つまり核を取り除いた別の細胞に移植し、電気ショックで融合、母胎に戻す。言葉で説明するとかなり強引な、接ぎ木のようにアナログな方法だったと解る。そして成功率も非常に低く、誕生するクローンは不完全で短命であることが多かった。一部で話題になったクローン羊ドリーもこの方法で誕生した。
だが技術は日々進歩していく。その後登場したips細胞によってこの方法はほぼ駆逐された。人間の身体とは様々な種類の細胞によって構成されている。クローン作成にとって最も重要なのは万能性を持つ人の根源たる初期状態の細胞に他ならない。これを再現し、作成する為に多くの手間や時間をかけて、それでも劣化した万能細胞を作り出すことしか出来なかった人類だったが、本技術の出現によってあらゆる細胞をたった四つの遺伝子を注入することで初期状態にすることが出来るようになったのだ。この革命的な技術さえあれば、どの細胞からも万能細胞を作り出すことが可能。つまりは対象の髪の毛一本有れば十分にクローンを作成する事が出来るという事。従来は不可能であった男性同士、女性同士での子供を作ることすら可能になったのだ。それはつまり本来存在し得ないはずの生命の創造。完全なる未知の領域への鍵だった。それゆえに多くの制約がつきまとうのだが。
ただ違いがあるのはここまでで、そこから先は今までのクローン技術とそう大差は無い。作成した細胞を母胎に戻し、育成する事でクローニングは完了するのだが人間の場合母胎の確保が非常に難しい事である事は想像に難くないと思う。代理母を使う方法はやはり負担も大きく高額になりやすい。そもそも適正のある代理母を探すことも難しいし違法な稼業である以上口止めする必要も出来る。実際代理母経由で摘発され死刑台に送り込まれる同業者も少なくは無かった。
それらの問題を解決する為にまず登場したのがポリエチレン製の人工子宮バッグだ。厚手のビニールパックを専用の人工羊水で満たし育成するというなんとも単純明快なこの装置は一定の成果を上げた。だがそれでもまだ不安定な技術であり成功率も低い。今の技術力では代理母の母胎に取って変わる物ではなかった。
次に使われ出したのは豚だった。豚と人間は意外にも医学的な相性が良い事が知られている。それは人間と臓器のサイズが近く、タンパク質組成、および量まで似ている事が原因だった。臓器移植の為の研究も進んでおり、既に豚由来の人工輸血液はそれなりの流通量がある。四肢の切断ややけどによる重度の傷に対してハイドロキシアパタイトによる豚の肉を生体接着する緊急措置まで登場している。どのような血液にも対応するというO型RhNullを持つ豚の価格は冗談みたいな高額だという。そうした研究が進む事で、遺伝子操作により人の子宮を持った豚が登場する事は必然でもあった。
階段を降りきると細い通路が延びている。その突き当たりに趣の異なった銀色の扉が俺を待ち受けていた。そばに設置された虹彩認証装置に視線をあわせると小さな排気音と共に扉が開いていく。同時にかひい、と声のような歪な音が漏れ出でた。
「おはよう、ゆりかごちゃん。始めよう、君の命の意味を示そう」
ステンレス製の磨き抜かれた床と壁。巨大なベッドに分娩台、大きな手術用照明(無影灯)。余計な物は何一つ無い、地下室のさらに地下に作り上げられた俺だけの育成室。
目の前にずらりと並べられているのは六つの肉の塊だった。それぞれが一メートルほどの大きさをしており、手足がない為芋虫のようにうねり動いている。専用の台にベルトで固定されている為逃げ出すことは叶わない。
視覚と聴覚は奪っている為なのかは解らないが、触覚が発達しているように思う。部屋の空気の動きを察知して俺が戻ってきたことに気がつくともぞもぞと逃げるように動き出すのだ。歯の生えていない口をもごもごと動かし、かひいかひい、ぶぎいぶぎい、と騒ぎ出す。
母胎は、やはり本物に限る。
ポリエチレン製人工子宮では難しいホルモン投与による成長促進も豚をベースとした人工子宮を使う事でクリアすることが出来た。人の子を孕む為だけに肉体を改造された豚。子宮だけを人間の子宮に近しい物へ改良された人の子を孕む為の道具。
だが、やはりそれでも本物の母胎に勝る物ではない。世の科学者達は倫理観と戦い、日夜新しいクローニング技術の開発に躍起になっている。いつの日か豚で作った母胎もそれなりの性能を手にするだろう。
だが、俺は違う。俺は違法な複製屋でありスタートの時点で既に犯罪者なのだ。倫理観も、法も俺を縛りはしない。ならば考え得る最上の物を使うのが当然なのだ。
母胎は、やはり本物に限るのだから。
手前に並べられた人工子宮、豚で作られたそれらはあくまでも人工子宮を作成する為の物であり、その隣に置かれた大きな肉塊こそが、俺の仕事の生命線。人間のクローンで作り上げたこの世界で最高の、これ以上無い人工子宮だった。
それは人であるにも関わらず、人では無い存在。ただ子を孕むだけの為に生み出された母胎。なまめかしく動くその肌に指先で触れる。なめらかな皮膚を背骨に沿ってなぞり、一瞬離し、直後突き刺さんばかりにその柔肌に爪を立てた。母胎はびくりと動き、より激しくかひいかひいと鳴き出す。そうして彼女たちは俺を非難するように身体を蠢かせた。




