魔王との決戦 ⑧
「ウルトラにゃんだ! お願い! 助けて! ウルトラにゃん!」
続いてキキさんの悲痛な声が響く。
「きゃああ!」
人垣の前列で悲鳴が上がったかと思うと、あっという間に人垣が崩壊した。誰がやられたとか分からない。とにかく夥しい流血があり、血飛沫が上がった。不意に目元が熱くなった。2度目だ。覚悟はしていたけれど、パルムさんの召喚に多少期待していただけに、1度目とはまた違う衝撃があった。気付けば虎の顔が私の目前にあった。涎とも血とも判然としない液体を口から滴らせながら、その太い喉から低い唸り声を出している。・・・・・・噛まれるってどんな感じだろ? それからは恐怖でなにも考えられなくなった。
まもなく、まるで夢の中での出来事のように、信じられない光景が目の前で起こった。
私の目の前から大口を開けた虎が消えたんだ。
続いて視界にニュッと女の子の顔が現われた。パルムさんじゃない。パルムさんよりももっと幼い感じの可愛らしい顔だった。とても心配そうな顔付きで小首を傾げて、
「にゃん?(大丈夫?)」
とその女の子は尋ねてきた。その話し方で私はその子がウルトラにゃんなのではないかと思った。よく見れば頭に赤白帽を被っていた。鍔を鶏のトサカのように頭の中央でおっ立てて、その左右にそれぞれ赤と白の生地が現われるような感じで。着衣は小中学校の体育着のようだった。
「うん、私は大丈夫だよ」
「にゃん(よしよし)」
ウルトラにゃんが背伸びして私の頭を撫でた。とても優しい感じの手付きで。慰められると、余計に自分の無力さが歯痒くなる。
ウルトラにゃんは目の前の惨状を目にして、怒りに震えているようだった。一方の虎は10数メートル先の床面に転がっていた。必死に立ち上がろうとしているが、ダメージが酷いのかなかなか立ち上がれずにいるみたい。
「にゃーーーーー!!」
突然、ウルトランにゃんが叫んだ。しばらくの間、ウルトラにゃんは悲しみに暮れた瞳を宙に投げ掛けていた。
やめて!! あなたまで悲しむと、私まで余計に悲しくなる。
それからウルトラにゃんは腰を折って血溜まりに手を伸ばすと、血の付いた指を目元に走らせ、血糊を化粧代わりにした。それからのウルトラにゃんの身のこなしはとても素早くて、あっという間に虎にトドメを刺したかと思うと、すぐさま魔王がいる方へと突進していった。
その様子を見守っていたGLOが私に声を掛ける。
「MHK、まだ ≪リセット≫ するなよ。オレ自身、オレの【特技】がどこまで魔物達に通用するか確かめておきたいんだ」
そのGLOの声も表情もとても冷静だった。
「GLOが ≪リセット≫ するの?」
自分でもなぜそんな分かりきったことを尋ねたのか不思議だった。
「できればそうしたい。でないと、次も今回と同じことの繰り返しになるからな。僕は僕の力を見極めたうえで、次にどのように動くかを決めておきたいんだよ」
強いなぁと思った。≪リセット≫ すれば元どおりだと分かっていても、私にこの惨劇は受け流せないよ。
GLOは魔王達のいる方に向けてカードを投げていた。まるで風を切るように、カードは真っすぐ飛んでいった。これがこの世界の【特技】の力かと感心させられた。ただ、魔物にダメージが入っているのかどうか、私には分からなかった。
「それが勇者様の【特技】ですか?」
使用人の女性がGLOに尋ねる。
「ああ、カードで敵に攻撃するらしいんだが、威力があまりないようだな」
「威力がないって、それはカードに最小の魔力しか込められていないからですよ」
「魔力って? 魔力なんて項目、ステータスにも載ってなかったぞ」
「MPのことですよ。MP、マジックパワー」
「ああ、そういうこと? そうだ、MP回復アイテムとかHP回復アイテムを持ってないか?」
「屋敷内に戻ればあるんですが、あいにく手元にはありません」
「分かった。お~い、みんな聞いてくれ!」
GLOの呼び掛けに残った数人の同級生達が反応する。
「今回は死傷者が出ているから ≪リセット≫ だ」
その言葉に反論する人はいない。
「それで、だが、その役目、どうか僕にやらせてほしい」
「何か考えでもあるのか?」
「ある。いまの僕のレベルは20だ。おそらく召喚されたみんなの中では強さが抜きん出ているはずだ。だが、HP1、MP2しかなくて、魔物と戦いたくても戦えない状態なんだ」
「瀕死って、割とふつうに見えるけど」
「ふ、そう思うだろ? ところがどっこい、いまの僕は女子にお尻を軽く蹴られただけで死ねるらしいんだ。おおっと、だから冗談でもいまの僕を小突いたりしたらそいつ殺人犯だからな?」
「お、おう、分かったよ」
「そこでだ、僕はこれからこの敷地内にあるお屋敷にお邪魔して、HP回復アイテムとMP回復アイテムを使ってこようと思う。それでHP、MPを満タンにしておいて ≪リセット≫ すれば、いままでHP1、MP2でスタートだったのがHP138、MP65で始められるんだ。もちろん、パルムさんにはまた召喚をお願いすることになるけれど、僕の力で最初の虎の魔物を1分でも足止めすることができれば、もしかするとみんな生存したまま元の世界に戻れるかもしれない」
GLOの要望に反対する人はいなかった。レベル20、HP138、MP65というのがレベル1の自分達と比べて格段に強いことが分かっていたし、虎を足止めする役目なんて誰もやりたがらない。それを率先してやろうというのだ。誰も反対するはずがなかった。
正義のヒーロー3人ががんばっている隙を付いて大聖堂を抜け出すというので、私も回復アイテム探しの手伝いくらいはできると思い、GLOに同行することにした。
外にも魔物がうじゃうじゃいるかもしれない、というHEOの言葉を受けて、
「いまから15分経った時点で誰でもいいから ≪リセット≫ を断行してくれ。そうだな、8時40分にしよう」
と決まった。
「行くぞ!」
GLOと共に猛然と駆けて大聖堂出入り口の大きな扉の下へ。急いで扉を開けて外へ出てみると、そこには小春日和の、それでいて西洋風の中庭の、静かで穏やかな風景が広がっていた。