008.僕は化け物の胃の中
これで第一章完結となります。
後日談として1.5章の閑話後に第2章になります。
「パリアン。重要な話があるんだけれど」
話しかけてはみたもののトリップ状態のパリアンに言葉が届くだろうかと心配になる。いざとなったらその柔らかく伸びる頬をつまんで引張る。いや突つくのも捨てがたい。
しかし話しかけたパリアンの様子が打って変わったものになっていた。母性を感じさせた母親の顔が悲しみを含んだものに変わっていた。
「彼女は表に出ることを拒否している気がします」
「わかるの?」
「今のパリアンの姿も知識も心ももとはこの子のものなのです。だからでしょうか?彼女の意図が薄っすらと分かるといいますか。彼女が私の考えているとおり、意図的に裏胃さんの中で自身を隠し続けていたのであれば・・・」
「彼女は裏胃さんから出ることを望んではいない、ということか」
パリアンがこくりと頷いて肯定を返してくれる。
「しかしそれだと困るな。パンドラの箱は資格のあるものしか開けられない話もある」
もともと箱を見つけたら残りの時間で箱の開封者を探す手はずだった。もっとも予定以上に調査は難航し、最期の調査対象者だったクラーケンまで到ってしまった上、箱は見つからなかった。クラーケンで見つかっていたとしても開封者の発見が間に合ったかも分からないくらいだった。
「彼女が出てきてくれないとなると。他の開封者を探す時間があるかどうか」
「それは大丈夫だと思います」
パリアンには何か思い当たることがあるらしい。
「パリアンが開けられるからです」
「それはどうして?」
「パリアンはエンシェントスライムなのです。そして彼女は私ととても相性がいいのです」
パリアンの言いたいことを理解する。エンシェントスライムは相性のいいものを取り込んだ場合特別な力を得られる。死んだ神を食べて神と同等と成ったスライムがいたように。
「それはつまりパリアンは彼女と同等の存在になるからということかな?」
「イエスなのです」
予想外のことに一度焦らされたが何とかなりそうでよかった。ソファーの背もたれに寄りかかり息を吐く。余計な力が抜けていくのを感じる。
ともかく。見えた道筋の光明はまだ翳っていない。
一度逸れてしまった話へと戻ろう。
「パリアン。もうわかっていると思うけれど」
「ユーゴはパリアンの中に入りたいのですね」
頷き返すと、エッチ、といわれてしまった。確かに思い返してみると言葉的にもあまりよろしくない。
じゃあなんていえばよかったんだ。言葉って難しい。
くすくすと戸惑う僕を笑う声がする。いつもみせる子供っぽさとは違うパリアンの蠱惑的な姿。時たま見せるその姿にさきほどの言葉のこともあって鼓動が少し早くなる。こうなるとパリアン相手でも狡賢い女性に手の平の上で転がされてもて遊ばれているような気がしてくるから不思議だ。
「いいですよ」
二の句が告げないでいる僕にパリアンが告げる。
「ただし条件があるのです」
条件という言葉に身構えつつ返事を返す。
「わかった」
パリアンが人差し指を立てる。
「①裏胃さんに入っていいのはユーゴ一人だけなのです」
パリアンは説明を付け加えてくれる。
「一人だけであれば裏胃さんのどこにいるかを知覚出来ます。知覚できれば道の誘導することもできるでしょう」
「なるほど」
「それに――」
コロンと急に僕の胸元に飛び込んでくる。
「――パリアンの中にユーゴ以外が入るのをユーゴは許せますか?」
上目遣いで首を小さく傾けパリアンは主張した。
「パリアンはいやですよ」
「そ、そうですね」
視線を逸らして動揺する僕の姿に満足して笑みを浮かべたパリアンが話を続ける。
人差し指と中指。二本の指を立てる。
「②裏胃さんの中ではパリアンの指示に従うことなのです」
確かにミノタウロスの迷宮並みに広いという裏胃さんの中を歩くにはパリアンの指示に従ったほうがいい。
「箱までの道のりや帰り道をパリアンが道案内します。決して道を逸れてはいけません。裏胃さんの中は危険がいっぱいです」
「危険?」
「長くいると徐々に意識を奪われて仮死状態になります。何よりもどんな罠があるか分かりません。近くできなくなった場合助けだせるか分かりません。神様でもない。パンドラの箱を持たないユーゴは美味なのでそのままおいしく消化される恐れがあります」
罠があるのかよ!っていうかおいしくって何だよ!心の中でツッコミを入れる。
「パリアンも裏胃さんの中のことをすべて把握しているわけではないのです」
確かに自身の内臓の中を把握できている人間なんていない。
「もしかしたら箱に入れられる前に仲間が入れた厄介なものが落ちている場合もあります。ガーディアンゴーレムとか」
「いるのっ!」
「あくまで可能性なのです。」
とはいえ、非生物であれば仮死状態にもなら無いで活動できそうだ。いろいろと想定しておくに越したことは無い。
「だからこそ」
親指も立てて計三本指を立てる。
「③絶対に無事に帰ってきてください」
そこで薬指じゃなくて親指立てるんだ、というツッコミを咽の奥に押しやる。
「分かった約束する」
薬指も立てた。小指だけ折りたたんだままって器用すぎるだろ。計四本指が立つ。
「④彼女を見つけてもそのままそっとしておいてください」
パンドラの箱の少女をそっとしておいて欲しいということだろう。
「彼女が出たいと思うまでパリアンはそっとしておきたいのです。ニートの子供を見守る親のように」
あえて言葉にしなかったけれど。その例えはどうかと思うよ。
「でもパンドラの箱を持ち出したら彼女は消化されちゃうんじゃ」
彼女が裏胃さんの中にいても消化されなかったのはパンドラの箱のおかげだ。箱を持ち出してしまえば消化されてしまう。
「そこは玄ちゃんに頼めばパンドラの箱の代わりを用意してくれると思います」
よかった。玄武に頼めば解決できるようだ。
最期の小指が立てられ、計五本の指が立つ。
「⑤パリアンと結婚してください」
「わかった」
「えええええええええええええええええええ」
あっさりとした僕の回答にパリアンが絶叫する。いままで驚かされる側だったので少しスッキリした。
「ほ、本当にいいのですか?いまさら嘘だったとかはなしですよ」
「いいよ」
ひゃっほ~いと喜んで飛び跳ねようとするパリアンの肩を押さえ込む。また、ブラジャーの紐が切れても困る。何よりもパリアンの巨大な質量をほこる胸が揺れるさまは目の毒だ。パリアンのテンションを少しでも下げるために口を開く。
「ただしこちらも条件がある」
「結婚してすぐ離婚とかは無ですよ。永遠ですよ永遠」
突然の宣言に慌てふためるパリアン。
「結婚の時期は僕に決めさせて欲しい」
「ほへっ」
パリアンの気の抜けた声を聞きつつ笑って答える。
「ほら、プロポーズのタイミングとか。男の側の事情もあるからさ」
われながら恥ずかしい台詞を言ったものだ。
「わっせろーい!」
結果。感極まったパリアンが僕の両脇に手を通して僕を持ち上げられた。
いまの掛け声にあった、わっせろーい、ってなんだろうと思いながら今度はパリアンの気がすむまで持ち上げられていた。
しかしパリアンが気づかなくて助かったな。僕が結婚の時期を決められるということは僕が具体的な時期を提示しない限り結婚は好きなだけ先延ばしできるという事実に。
それからの行動は早かった。
僕とパリアンは連絡がつく限りの組織の人間と化け物に連絡を取った。あきらめていた世界が存続できるという吉報はあっという間に拡散して瞬く間に裏胃さんへの突入体勢が整った。
残り時間の関係からも僕はすぐさま水分を吸って巨大化したスライム姿のパリアンに飲み込まれて 僕は裏胃さんへと飛び込むことになった。
ミノタウロスの迷宮に使用された『アリアドネの糸』を解きながら、マスク一体型のヘルメット内に聞こえるパリアンの声に従って誘導された道を進んでいく。裏胃さんの中は左右に壁も天井もない階段と道だけが縦横無尽に見渡す限りに張り巡らされている。天井と思ったものも床で重力が無いのか歩くうちに上の位置にあった道をさっきと逆さまに歩いていて上下逆転なんてこともある。不思議なことに遠くを眺めるとすべての道を照らす一つの白い光源があった。まるで北極星のように必ず上を見上げると視界に入る。パリアンの案内のおかげで罠にはまることも道に迷うことは無い。
やがて僕は一人の横たわる見覚えのある少女の元へとたどり着く。
ずたぼろの服を着てガリガリに痩せた姿は出会ったことのパリアンを髣髴とさせた。二人を並べたらきっと双子の姉妹のように見えただろう。この娘を養子にするんだと意気込んでいたパリアンはきっと自分はお母さんで母と娘ですとか言いそうだけれど。
パンドラの箱も少女が抱え込んでいてすぐに見つかった。
少女が抱えるパンドラの箱は思っていたものよりも大きいものだった。少女の胴体に収まるぐらいの大きさ。箱というかつぼのような丸っこい蓋が付いている。
「ごめんよ」
謝りながら彼女からパンドラの箱を引き離そうとする。しかし抱え込む彼女の手を箱からどかすことも。彼女から箱を引き剥がすこともできなかった。まるで箱を持っていくことを拒否しているように感じられた。
どうすればいいのやらと思いつつ。少女の顔を覗いて驚いた。彼女の目に一筋の涙の流れた後。彼女は現在進行形で泣いていた。
ふと僕は通信機の通信をオフにしてヘルメットを脱いで裏胃さんの中で顔を晒す。
口が自然と動いて考えることもせず思うがままに言葉を口にした。
「君が何を思い。世界に絶望して箱を開けたのかは僕には分からない。そして同じように何を思い。なぜ再び閉じたのかも。それでも君が世界が終わることを望まないのなら僕に箱を託して欲しい。そしたらさ。僕は君が目を覚まして世界に戻ってくるときのために世界を存続してみせると約束するよ」
切実に願いただ口にした。
「だから箱を渡して欲しい」
再び彼女へと手を差し伸べると箱から彼女の手が解けた。
僕はパンドラの箱をそっと彼女から回収した。
変わりに僕は彼女にアリアドネの糸を持たせる。
「もし君が外へ出ようと思うときが着たらこの糸を辿っておいで」
彼女の涙はもう止まっていた。その顔はほのかに笑っていたように思えた。
僕はヘルメットをかぶりなおし、マスクの位置を整えると通信をオンにする。
『こちら木崎。パンドラの箱を回収した。帰還行動に入る』
『ユーゴ!』
パリアンの泣き声が聞こえてくる。
『急に通信が切れたので心配したのです』
『ごめん。パリアン。どうしても彼女にちゃんと話しかけたかったんだ』
仕方がないですねえ、と吐息が聞こえる。
『仕方ありませんね。帰りは糸を辿るだけでいいとは思いますが何があるか分かりません。パリアンが誘導するのです』
『頼むよ』
僕は彼女の誘導に従って歩き始める。
彼女が吐き出せるというところまで。
まだ胃世界の外に出ていないのに。
箱を開けて希望を取り出していないのに。
不思議だった。
箱を手に入れた今の僕の中は希望に満ち溢れていた。
待ち望んだ世界の救済を前にして思い浮かぶのはパリアンのことばかり。
自分がどこにいるのかを思い浮かべる。
僕は今――
僕は化け物の胃の中