005. パリアンのひみつ
「だからパリアンは。最期だからこそ。話すべきなのかもしれません」
それは組織に着てから教育されて見せるようになった社交的な顔。僕の前で見せる子供っぽい彼女とは違う顔だった。こちらを見もせず、だれも座っていない向かいのソファーへと視線を向けながら話す。
「エンシェントスライムは特別な力を持っています」
「力?」
「はい。相性のいいものを取り込んだ場合特別な力を得られるのです」
「というと?」
「死んだ神を食べて神と同等と成ったスライムがいました。ドラゴンを食べてドラゴンとなったスライムがいました。エンシェントスライムゴッド。エンシェントスライムドラゴン」
それは取り込むもの次第で何にでもなれ、強くなれるということになる。神話時代の。しかも世界が生みだしただけあってエンシェントスライムは思ったよりもすごい存在だったらしい。
「それゆえに神話時代にもっとも力のあった神々からも恐れられていました」
パリアンがちらりと少しだけこちらを見た。
「そんな力を持ったエンシェントスライムたちはみな他の種族と共にこの世界を去りました。種族の代表として何も持たないまっさらなエンシェントスライムの分体を残して」
玄武の話を思い出す。世界から去るときに急に消える種族により、世界が崩壊しないように各種族は一個体ずつパンドラの箱に閉じ込める生贄となるものたちを残した。パンドラの箱に閉じ込められて世界から徐々にその影響力が薄れたとき、迎えに来ると言い残して。
「いなくなるみんながなぜ私を心配してくれているのか私にはまったくわからなかったのです」
パリアンの目は遠く。パンドラの箱に閉じ込められる前の思い出を見ていた。
「今ならわかります。箱に入れられる怖さが。何もできない無念さが。気休めだといって水分を与えて私を見た目だけ大きくして箱の中に入れた心配するみんなの気持ちが。いまの私には痛いほど分かってしまうのです」
それは昔のパリアンには分からなかったということ。分からないからこその子供のやんちゃは怖さを知る大人からするとはらはらどきどきさせられるものが多い。そして子供はいつしか成長してそれを知るようになるわけだけど。パリアンも同じように成長して知ったということだろうか?
しかし違和感を覚える。
長い年月がたったとはいえ、その期間パリアンはパンドラの箱に閉じ込められていた。ということはパンドラの箱から出てきた後にそうなる機会があったということ。
「ユーゴさんに嫌われたくなかった。憎悪を向けられたくなかった。言い訳でしかない自分勝手な理由です」
心臓がどくんと大きく鼓動した。
気づいてしまった。パリアンが告白したかったことを。
「なにも取り込んでいないエンシェントスライム。それがパリアンでした。個人の自己を持たず、ただのスライムとしての本能しか持ち合わせていない。ですがいまのパリアンは人の姿をとり、自己をもち、ユーゴさんと話しています」
それはつまり――
「パリアンは僕と会う前に人を食べた」
パリアンがこくんと頷いた。
「パリアンはどこかで相性のいい人の少女を食べたのです。気がついたら明確な意思を持ち。パリアンはこの姿(彼女の姿)をしていました」
「ユーゴさんが憎んでいた化け物たちとパリアンは変わらないのです」
何でパリアンが人の姿をしているのか考えたこともなかった。神とよばれるだけある玄武は人の姿になることもできたから。パリアンもそういうものなのだと思っていた。
でも違った。
パリアンは人を食べたから人の姿をしているんだ。
自然と視線がパリアンへと動いた。僕の反応をこわごわと見る彼女の顔が視界に入る。
憎いとは思わなかった。
殺し・・・たくはない・・・・・
世界の滅亡が確定したときと一緒。
エプロンを握り締め震えていたパリアンの手に右手を重ねる。
僕は。側に居てほしい。
パリアンに側に居てほしかった。
「そっか。人を食べていたのか」
駄目だとわかっているけれども。僕はそのことに感謝した。
「その娘には悪いけれども。僕はその娘に感謝しなきゃいけないんだね」
「ユーゴ!?」
「その娘がいなければ。パリアンがその娘を食べなければ。いまパリアンとこうしていられなかっただろうからさ」
言っちゃいけないのは分かってる。それでも言わざるを得ない言葉を口にする。
「それこそ。僕も『世界も終わりだからこんな僕を許して欲しい』ってずるい言葉をその娘に向かって使おうと思うんだ」
左手で首の裏をさする。
「僕はパリアンを憎んだり嫌ったりできないからね」
途端にぱあっと笑顔になったパリアン。感極まったのか、ユーゴ!ユーゴ!と連呼しながらしなだれかかって僕に抱きつくと甘えるようにすりすりと顔をこすり付けてくる。
過剰なスキンシップにまた妹を思い出した。
やっぱりパリアンは妹だな。
空いた手で頭をなでなでする。さらさらと手触りのいい髪質。パリアンはスライムだよな。何でこんな髪の毛さらさらなんだろうか?
ぐ~と腹の音がなった。
しかも気が緩んでいたのもあって盛大に鳴らしてしまった。少し気恥ずかしくなってパリアンが居るのとは逆のあらぬ方向へと視線を向ける。
やれやれこんな時でも腹は減るものだ。昔の映画やSF小説でも似た部分があったけど。実際に体験してみるとしみじみとその意味が噛みしめられる。世界の終わりでも腹が減るとはこういうことかと。
「何か作りましょうか?」
「そうだな。パリアンのパスタが食べたい」
パリアンはパスタ系の料理が得意だ。ここでも屈指の人気メニューになる。
「パリアンのパスタはおいしいよね」
「そんな。特別なことなんて何もしてないのです」
テレながら答える。
「なんのスッパゲッティーがいいですか?」
「あげナスと蒸し鶏、ほうれん草のトマトソースのパスタを頼む」
自分の一番好きなパスタを頼む。
「僕も台所に一緒にいってもいいかな?」
作っている間ここに一人残されるのも手持ち無沙汰だし、寂しいのでついていこうとする。
「いらないです」
悪気は無い。悪気は無いんだ。含まれる意味も違うのに。はっきりとした拒絶の言葉にちょっと傷ついた。
パリアンはぽよんぽよんとスキップしながら居なくなる。なにそのスライムらしい効果音!今まで聞いたこと無いんだけれど。それだけパリアンが浮かれているということだろうか?
パリアンはすぐに皿とフォークを持ってすぐに戻ってきた。
そして皿を口の前に。
いやな予感がした。
ダパーーー
開かれた口からパスタが出てきた。
落ち着け。なぜ口から?そもそもあれを食べるのか?いやでもああやってパスタが出てきたということはいままでのものも・・・
そういう性癖を持つある種の人々からしたらご褒美かもしれないけれど。僕にそんな性癖は無い。
見ていなかったら普通に食べただろう。
でも僕は見てしまった。見てしまった上であれを食べるのか?
うろたえる僕に何を勘違いしたのか。パリアンが首をかしげる。そしてすぐさま何かに気がつき、胸をわしづかみにして持ち上げた。
「他の場所からの方がよかったですか?」
「違うっ!」
全力否定。絶対に勘違いされても困る。
「というか他の場所からも出せるの?」
「はい。いつもは手のひらから出しています」
その事実にとあることに気がつく。
「パリアン」
「はい」
「口から出せばいいって教えたのは誰?」
絶対に先導したやつがいるはずだ。
「杏子です。ユーゴはむっつりスケベなはずだからきっと喜ぶって」
「こんな状況じゃなかったら僕は彼女を地の果てまで追いかけていたよ」
本当にうちの組織の女性たちはろくなことをしない。だから行き送れが多い・・・なんだいまの?背筋に寒気が。もう世界滅亡間近だ。会うこともない・・・はず?
「ユーゴは杏子が好きなのですか?」
「違うっ!どうしてそうなる」
ああ言えばこう言う。だいたいパリアンもパリアンだ。何でこんな無邪気でかわいいんだ。食べた少女がそうだったとか?ん?食べた少女?
「もしかしてパリアンがパスタを出せるのはスッパゲッティ・モンスターを食べたから?」
「はい。そうです」
なるほど。パリアンがパスタを出せたのはスッパゲッティ・モンスターを食べたことによって得た特性だったのか。
「ユーゴ。冷めてしまう前に食べてください」
だからといって安心して食べれるものでもない。前まで平気で食べていたといってもそれはこんなふうにできているなんて知らなかったからだ。おいしいのは分かってるんだ。でもパリアンの口から出てきたものなわけで。手から出てきたらって手から出てきてもいいわけじゃない。ましてや胸から出されても。
むー。パリアンが不満を表す唸り声を出す。彼女の機嫌が悪くなってきた。
パリアンは悪くない。これは僕の心の問題で――
「――パリアン?」
いつの間にか僕の目の前に立っていたパリアン。僕の頬を両手でがっちりと挟み込み固定。
むちゅう。
キスされた。何その効果音!予想外の効果音に驚いている場合じゃない。
むぐっ。むごっ。
驚く僕を無視して舌をねじ込んでくる。
にゅるにゅるにゅる、と何かが口の中に流し込まれる。
ちゅぽん。パリアンの唇が僕から離れた。
ほんのりと上気して赤くなった頬。色っぽい表情を浮かべたパリアンに見入る。
「おいしくないですか?」
その言葉になにを口の中に流し込まれたのか理解した。
舌を刺激する成れた酸味。トマトの味がする。
え~と。
「おいしいです」
そうでしょう。と聞こえそうなくらいのドヤ顔。ムフーと聞こえるほどの鼻息音。パリアン鼻穴が開いている。僕の小指が入りそう。
差し出されたパスタを口にする。
ナスとパスタの柔らかい似た感触。ちょっと歯ごたえのある蒸し鶏にシャキシャキとほうれん草とのアクセントの感触と音が心地いい。ナスのほのかに甘い汁。ほうれん草から染み出す水分が強いトマトの味を洗い流してあきがこないのもいい。
スパゲッティー・モンスターの作るパスタはおいしい。しかも何種類ものパスタを無尽蔵に。真空パック、冷凍や缶詰。包装の仕方次第でそれなりに持つようになる。人類滅亡以降は人口減と共に食糧問題もあった。スパモンさん自体食べてもらうのが好きで僕らに食べられる道を選んだくらいだから、助けを求めれば喜んでいろんな種類のおいしいパスタを出してくれただろう。世界の食糧事情を考えてもなくてはならない存在の神様だった。
人類に敵対していない穏健派。自分の見た目がどう見られるかを分かっていて人から一歩引いた場所に立つ。神のような上位存在のもつ威圧感は無く。落ち着いた穏やかな雰囲気で遠くからこちらを見守っている。話の通じる話しやすい神だった。
「いま思えばスパゲッティー・モンスターは神の名に恥じない存在だった。惜しい神をなくしたな」
懺悔するように口に出す。口に出したところでもうどうにもならないというのに。スパゲッティー・モンスターという神はもういない。
理由があったとしても。彼が何を望み。食べられることを。死を望んだのかも分からない。
手に持ったーフォークを動かす。
僕の前にパリアンが気を利かせてアイスティーを置いてくれる。
「ありがとう」
パリアンはお礼の言葉ににっこりと笑うと。
「スパモンさんはお元気です」
気になる一言を発した。
「ん?」
パリアンの言葉に間抜けな声を上げてしまった。慌ててパスタを飲み込む。
「パリアン。それはいったいどういう――」
すっとパリアンが僕の前に何かを差し出す。
「スパモンさんからお手紙です」