017.朝食はわっふー
一階の台所隣に作られた食堂。朝食の並べられた丸テーブル。ホビッチョさんと向かい合い。右に娘のパンドラさん。左にパリアン。男女で向かい合うように座って朝食をとっていた。
穏やかな笑顔を浮かべるホビッチョさんは昨日よりも目の隈が薄いように思えた。精神安定剤のタバコも必要なく寝むれたようだ。世界移住の話が少しでも心を軽くしてくれたのならよかった。出会ったころの気の張った鋭利さも感じない。ただホビット族を率いる長としての腹黒さを知っているだけにこうやって向かい合わせに座ると腹の内を探られるようで心中穏やかじゃないところもある。朝食がのどを通りづらい。
ただこの座席に関してはしょうがなかった。最初座る場所に迷い。先にホビッチョさんとパンドラさんが座るのを見送ってから空いた座席を選ぶことにした。しかし僕はホビッチョさんの前にパリアンが座るのがいやで自分でこの席に座ったんだ。つまり自業自得。
それに。それ以上に気になることがあった。
「やはり日本人の朝食は畳にちゃぶ台。白米に味噌汁、納豆、漬物ですね。お魚があれば完璧なのですが巨人の胃の中ではしかたがないのです」
なぜ食堂だけ和風なんだ?他の部屋は建物と一緒で西洋風なのに。そもそも食料はどうやって手に入れているのだろうか?
「納豆ネバネ~バ~なのです」
伸びる納豆の糸。箸を回して糸を巻き取る姿は楽しそうだ。
「お口にあったようで何よりです」
「パリアンは大根おろし入りの納豆が大好きなのです。次は大根おろしも所望するのです」
あつかましいパリアンに苦笑するホビッチョさんと目線が会いすみませんと頭を下げる。
「しかし巨人さんの胃の中にあるのに不思議ですね~。食料の確保はどうしているのですか?」
それはですね、と僕も思っていたパリアンの疑問にホビッチョさんが答えてくれる。
「穀物は自給自足しています。張り切ったドワーフに作られたこの町はシェルター的な機能を備えていましてね。上る太陽に胃液の浄水で得られる水で穀物を育て、枯れ草や葉で腐葉土の堆肥もできるので土が痩せるのも防げます。他にも養鶏や酪農もしています。ただ、規模は大きくありません。なので主な食料源は胃に流れてくる巨人様の日に二度の食事になります。特に肉や魚はそちらからもらっています」
「なるほど。親のゲロを子に食べさせるペンギン親子のようなものですね」
「パリアン。食事中にそのたとえはどうかと思うよ」
はあ~とうな垂れながらパリアンを注意する。
パンドラさんはこちらのことなどお構いなしに無表情で食事をつづけている。両手のパペット――マペさんとジョンがせっせっと食べさせる介護状態だ。
僕が見ていたことに気づいてぷいっと顔をそらされてしまった。ホビットの見た目につい忘れるが彼女はれっきとした成人女性。同性のパリアンが言った行き遅れの言葉が本当ならそれなりの年であるはず。失礼なことをしてしまった。反省して肩をすくめるとまた僕を見て顔を背けられた。嫌われてしまったようだ。
よくないけど。対応を間違わないためにもあとでホビッチョさんに年齢を聞いておこう。
朝食を食べ終えて緑茶で一息入れていたときだった。
「ところでユーゴさん」
ホビッチョさんが僕に話を振ってきた。
「はい。なんでしょう?」
「今日のご予定についてです。私はできれば今日のうちに移住の件を他のものたちに伝えてしまいたいと思っています。できればお二人の紹介もしたいためご同行願いたいのですが」
「わかりました」
頷き返すと、
「では向かいましょうか」
ホビッチョさんがすぐさま立ち上がった。
「ちょっと待ってください」
「なんでしょうか?」
「いまからですか?さすがに早朝ですし、人を集めにも時間がかかりませんか?」
ああ、と僕の疑問にホビッチョさんが答えてくれる。
「毎朝ちょうどみなが集まる催しがあります」
「なるほど。催しですか・・・」
口元に手を当て考える。宗教における朝の礼拝みたいなものだろうか?気なるので聞いてみる。
「催しとは何でしょうか?」
「巨人様へのお祈りになりますね」
「お祈りですか?」
「はい。具体的には巨人様への感謝の祈りを送ったのが始まりだそうです。いまでは巨人様が孤独に負けないようにエールを送ったり、時には食べるものに関してのリクエストを送ったりしています」
ホビッチョさんが朗らかに笑う。本当に巨人を慕っているのがわかる。
ホビッチョさんに連れられて家を出る。
ホビット全員が集まるからだろう。パンドラさんも一緒だ。
昨日の夜に見た暗闇に寒色と怖さのある町並みは日差しに照らされて様相を変えていた。冷たく不気味に思えていた石造りの建物が妙に暖かく感じられる。昨夜は影で見えなかった建物の表層を改めてみるといろんなことに気がつく。建物の扉は他の種族が通ることも考慮されているのか、ホビットの体格に反してかなり大きい。ホビッチョさん家の中も天井は高かった。でも窓はどの建物も総じてホビットにあわせて低い位置にある。なんだかんだいってもホビットの生活に合わせて作っているところがあった。
道中向かう先とこの町の大まかな説明をホビッチョさんがしてくれた。
「ドワーフに作られたこの町はまあるいボールの形をしているのだそうです」
「ボールですか?パリアン納得なのです。角ばっていたら巨人が飲み込むとき痛い思いをしなくてすむのです。ああ!でも大きさによってはのどに詰まるかもしれません。元来巨人も人間もみな喉に食べ物を詰まらせる風習があるのです」
「別にそんな風習はないから・・・というか風習じゃない」
食べ物で喉が詰まるという症状はスライムのパリアンにはわからないものなのかもしれない。
「ははは。そうですね」
笑うホビッチョさんはパリアンの言葉を冗談として受け取っている。しかし冗談かどうかはパリアンのみぞ知る。思い込みの強いというか。純粋でかわいいパリアンは冗談と想われることを実際に口にして行動する。そしてその被害を受けるのは行動をともにする僕だけに僕は笑えない。
「私たちが住む町はボールを真ん中で輪切りにしたときにできる円盤の上に建てられています。それでですね」
空を見上げたホビッチョさんにつられて空を仰ぐ。青空に白い雲が漂う。自分たちの世界と同じ空が広がっていた。ここが胃の中だということが信じられないくらいだ。
「半円状のドームが町を覆いそこに空が作られているそうです。人工太陽が現れては消え、夜には星空が映し出され、浄水された胃液を気化させて雲をつくり、雨も降らす。大昔に我々が暮らした異世界の空を作り出しているのだそうです」
「ブラボ~エクセレントなのです。パリアンたちの世界の空そのままなのです。ドワーフのやつらの頑固な職人気質という名の融通の利かないねちっこいこだわりが感じられるのです」
パリアンが手を叩いて褒める。あとドワーフを微妙にけなしてなかった?過去に何かあったのだろうか?
「私たちを胃酸の海や胃酸の気化した空気から守ってくれてもいます」
言われていまさらながらに気づく。
「そういえば確かに胃の中に町があるにしては空気が綺麗ですね。胃液の変な臭いもない」
「確かにゲロのすっぱい臭いがしないのです」
「パリアン。さすがに今のはオブラートに包んで欲しかったかな・・・」
最近年のせいか胃の調子が悪い。胃液が逆流してくる(逆流性食道炎)ことがあるだけに気分が悪くなる。決してパリアンによる心労の性ではないと願いたい。隣のホビッチョさんも苦笑いだ。
僕の指摘にバッと両手で口を覆うパリアン。いまさら口を塞いでも手遅れだから。
「パリアンは空気以外にもこの写真に写るものも綺麗だと思うのです。ぜひユーゴに何が綺麗か答えて欲しいのです」
パリアンが僕に満月の写った写真を見せてくる。
「・・・・・月が綺麗ですね」
「パリアンもユーゴが大好きなのです」
はいはいとあしらうように棒読みの僕にテレながら答えるパリアン。なんだこれ・・・
漱石自信も本当に言ったかわからない翻訳の逸話なんてどこで知ったんだか。
「気のない振りして愛をささやく。あれが俗にいうツンデレに違いないわ」
「ユーゴのやつはツンデレなのか?はじめてみたぜ」
マペさん勘違いです。ジョンも納得するんじゃない。ここにはツッコミ役がいないのか?
「それでですね。閉鎖されているので下半球。つまりは町の地下には行ったことがないのですが町の機能を保つための装置が二千年間絶え間なく動き続けていると伝えられています」
何事もなかったかのように振舞うホビッチョさんもなかなかのつわものだ。
「娘の容赦ない悪ふざけに付き合っているうちに慣れたんですよ。壁に穴を開けるロケットパンチ。アイアンクロー。ストーンヘッドダイビング。あとより先に届くもの(フリッカージャブ)。何であんな強いのか。あ、ちなみにこの町は円形の広場を中心に斜め十字に大通りがはしっていてですね。東西南北で四分割されています」
どこか悟った目で明らかに気になることを混ぜてさらりと町の説明をしてくる。パンドラさんもパリアン寄りの人間なのか・・・
「だから五十にもなって独り身で「ぐえっ!」ゴハッ!」
ジョンの頭によるボディーブローでくの字になるホビッチョさん。パンドラさんは五十歳なのか。え~と。ホビットの成人が三十三歳で人間の成人二十歳。だいたい一・六倍だから逆算すると三十歳か。なるほど。人間で行き送れといわれ始める年齢だ。
「人って頭に強い衝撃を与えると記憶が混濁するらしいわよ」
目前でささやくマペさん。パンドラさんが必死につま先立ちで背伸びして右手のマペさんを僕の顔の前までもってきている。小さいころ遊びにいこうとする僕に死んでしまった妹が必死にすがりついてきた姿を思い出して懐かしくなる。姿勢が崩れて僕の腹にヘッドバット。倒れないように左手で肩を抱き寄せる。右手で後頭部を守るように覆った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だから放してあげてくれる?」
口を開けないパンドラさんに代わってマペさんが答える。マペさんから直接声がした。相変わらずどうやってパペットから直接声を出しているのか仕組みがわからない。
ゆっくり放すとうつむいたままのパンドラさんの鼻をマペさんがさする。そして踵を返すとそのまま歩いて行ってしまった。特殊繊維を使用したイメリの調査団用制服は高強度でありながら伸縮性を兼ね備えている。お腹をさすってみても硬くないから顔を埋めても痛くはないはず。ということは・・・
「別にユーゴは臭くないのです。パリアンは大好きなのです」
パリアンが僕の胸に顔を埋めてくんかくんかと臭いをかいでくる。まったくパリアンは。うれしく思いつつもやめなさいと引き剥がした。
「さあ。私たちも行きましょうか」
復活したホビッチョさんは何事もなかったかのように先を示す。
「私も娘にお父さん臭いといわれてショックでタバコに逃げました。男性は誰もが通る道です。あきらめてください。ちなみに今向かっているのは先ほど説明しました町の中心にある広場になります」
ホビッチョさんから死刑宣告を受けた気分だった。
歩いていくと徐々に人の姿が増えて人だかりが生まれる。それとともに好奇の視線が僕とパリアンに集まる。身長の高い人間の僕はホビットの人並みの中で突き出て目立つ。視線からは逃げられないし、見上げる顔の角度にいやでも見られているのがわかる。まるで巨人の気分だ。人間基準では背の小さいパリアンも大きい部類に入るから目立つ。ただどちらかというと男性の目が多い気がする。ホビットの目には美少女のパリアンは成人女性に見えるだろうし、胸も大きくてふくよかで魅力的なんだろう。布でもかぶせて隠してしまいたい。そんな独占欲に駆られつつも自分の嫉妬をひた隠しているとパリアンに手を握られた。
「人ごみで離れないようになのです」
僕はぎゅっとその柔らかい手を握り返した。
広場にたどり着つくとたくさんのホビットがひしめいていた。広場中央に石垣を積み重ねて作られた円形のステージがある。ホビットはステージを囲うように集まっている。ホビット全員が集まるといっていたし。イネスさんの話が本当なら五百人はここに集まっているはず。
ステージの上へ。ホビッチョさんに手を引かれて上がる。手を引く後姿をだけを眺めると子供に手を引かれて急かされているようだ。ステージ上へと続く円縁に沿った階段を上る途中。人の避けた空間とその中に倒れた石板が目に入る。すぐ側のステージ側面には通行止めの板で覆われた出入り口があった。倒れたあれは昨日僕らが出てきた扉に違いない。どうやら広場のステージ下にあの転移場所があるらしい。
ステージに上がるとホビッチョさんが身振り手振りも加えて鎮まれと意思を伝える。
ざわめきがやんだ。
そして族長として伝えたいことがあると真剣なまなざしで話し出した。
ホビッチョさんの側に控える僕らにホビットたちもただ事ではない何かを感じ取っていたんだと思う。あたりは本当に静かでホビッチョさんの声だけが聞こえていた。
僕らのこと。故郷の世界への異世界移住と徐々に話を進めていく。
特に野次や反対する声はなかった。概ね移住の件を受けとめてもらえたようだった。といってもこれから移住のための方法を探さなければいけないし。下手すると巨人の寿命が先に尽きて間に合わない可能性だってある。賭けに近い。それでもホビット族全体で移住の件を受け入れてもらい。これから全体の協力が得られるようになるのは大きい。
ホビッチョさんがすべてを伝え終えると今度はゆっくりとざわめきが広がった。まるで今聞いた話が夢物語でないのだと。現実なのだとかみ締めるように。そして突然人の花が咲くようにワッと人々が動き出して歓声が上がった。涙を流し。喜びの声を上げ。赤ん坊や子供を抱きしめ。隣り合う人々と抱き合う。そんな姿が目に映る。
「やはり誰しもが言い知れぬ恐怖や不安を感じていたのでしょうね」
ホビットたちを見るホビッチョさんの顔は悲しそうだった。
「私は彼らに耐えることを強いることしかできませんでした」
その言葉に僕はようやく理解に実感が伴う。ああそうか。この場にいるホビット全員の命の行方を僕が握っているんだと痛感した。
「この人たちを目前にすると肩にかかる重圧が違いますね。わかってはいても目の前にして実感すると思っていたものと違うのは人間よくあることです」
「なるほど。実際に彼らを前にするのとでは感じ方が違いますからね。ホビット的に言うなら『理解に足りぬは一実』といったところでしょうか」
「ホビットのことわざですか?」
「実感の伴わない理解は本当に理解しているとは言わないそうですよ」
「なるほど。心しておきます」
これから先に待ち構えることも含めてそう答えた。
「ふっふっふ。この塵芥の命がパリアンの手に「パリアン。それ悪役の台詞。お願いだから黙ってて!」」
問題発言前にパリアンの口を塞げてよかった。まったく油断も隙もない。ショボーンと気落ちしたパリアンの眉毛がハの字になっている。
「はっはっは」
「笑いごとじゃないですよ」
嘆息する僕にホビッチョさんが答える。
「すみません。ただ我々は神経質すぎるのかもしれませんね」
確かにパリアンぐらいにお気楽なほうが気は楽かな。腕の中のパリアンを見下ろす。おとなしいと思ったらまったく。パリアンはすでに気分を切り替えて上機嫌で僕に抱きしめられているという状況を楽しんでいた。