016.ホビットパペット
う~ん、と小さなうめき声がでた。起きたてで寝ている間使っていなかった咽と筋肉。それらを再び動かすにあたりその存在を無意識に確かめる。鈍い反応ながらも手足が動き、布団との衣擦れを肌に感じる。左手は遠く。腕は何かを覆うようにかぶさっていた。丸まった布団と思われるそれを腕に力を込めて抱き寄せて。力を込めて気が着いた。布団よりも反発が。弾力がある。何よりも暖かく柔らかい。
あれ?
一気に脳が覚醒。困惑しながらも慌てて後退さった。体が転がり一回転。視界にパリアンを捕らえながら僕はベッドの上から落ちた。
「つっ」
パリアンが起きてしまう。床にぶつけた痛みを堪えてうめき声を押さえた。
同じベッドに彼女がいた理由を思い出す。この街はいつ死ぬか分からない巨人の胃にある。寝ている間に巨人が死んで機能停止した街が胃液に沈んでしまうことだってありえる。つまり僕等は常に死の危険に晒されていた。ただ僕にはパリアンがいる。いざという時には僕は彼女に連れられて僕等の世界に帰還できる。エンシェントスライムの彼女はその力を持っている。だから常に側にいたいパリアンと僕は同衾することになった。
身を起こして立ち上がる。手を伸ばしてベッドで眠るパリアンの頬をそっとなぞる。髪の毛も少し触ってパリアンを欲している自分にあきれた。
やれやれと気持ちを切り替えて部屋の中に視線を巡らす。ここはホビット族の町長ホビッチョさん家の客室だ。昨夜イネスさんにホビッチョさん宅まで案内されてからずっと話し続けていた僕等。気づけば時間も経ち深夜になっていた。ウトウトと舟こぐパリアンの――へぇ~ここエルムの街というのですか。おじさん爪が伸びすぎなのです。パリアンがつめを切ってあげるのです――という謎の寝言に戦慄を覚えた僕は一度休憩を挟むことを提案。イネスさんたちコトン夫妻は帰宅。ホビッチョさんに案内されてこの部屋に泊まることになった。
隣には使っていない空のベッドが。実は部屋にベッドは二つあった。空いている客室もまだある。寝る前にひと悶え着あったのを思い出す。僕が頑なに同衾を拒んだ結果。そんなに自分が嫌かとパリアンに泣かれてしまったのだ。うろたえて謝る僕はさぞ滑稽な姿をしていたに違いない。思えば自分も意固地になりすぎていた気がする。自分で覚悟を決めて婚約までしたのに。
その自分の情けなさに思わずため息が出てしまうほどだ。
しかし。ちらりと横たわるパリアンを横目で見る。自分ではない人の温もりってやつは破壊力が半端ないな。もう昨日と同じようにもう拒めそうにない。
「へぇ~ここエルフの街というのですか。おじさん耳が伸びすぎなのです。パリアンが人間並みに短くしてあげるのです」
・・・・・。少なくとも昨夜の寝言よりはまし?かな。
パリアンの寝顔を見るために覗き込んで前のめりになる。顔近づけすぎてこのままキスでもしてしまいそう。眠り姫を起す王子様の役はこっ恥ずかしくて僕には無理だ。
「ヒーホーハー!」
突然の謎の叫び声と共に扉が勢いよく開いた。いや。開けられたといったほうが正しい。
「やあやあこんにちは私たちが君たちの付き人に選ばれたホビットだ」
謎の女性ホビットが現れた。七〇くらいと背は僕の半分も無い。イネスさんたちのように歳相応の雰囲気やしわの見当たらない顔。若く見える。ホビットだけに見た目では年齢が分かりづらかった。しかもそんなことがどうでもよくなるくらい気になることが別にある。僕は我慢できず挨拶と共に聞いた。
「こんにちは。よろしくお願いします。ところで両手のそれはなんですか?」
彼女は両手にパペットの人形をつけていた。頭と手だけ付いた胴体に足は無く、そこに彼女の手が差し込まれている。両手のパペットは左手が女の子で右手が男の子だ。
「私らのことをそれだなんて。君は失礼なやつだな」
「そうだよそうだよ。大体僕らは両手に何も持っていないぞ。両手のそれって何だよ」
持ち上げた両手を僕に差し出してくる。横一文字に割れた口をパクパク動かして会話するパペットの男女。ホビットの女性の口は動いていないのに声がした。しかも両手のパペットのキャラにあわせて男女で声音までまったく違う。ずいぶんうまい腹話術だ。パペットの言葉から察するにパペットを持つ女性は黒子のような者でここにいない設定なんだろう。ただ歌舞伎の黒子のように黒装束に黒頭巾ではない。ワンピースの服を着て姿ははっきりと見えている。なぜ彼女が黒子をするのかは分からないが、あえて僕はパペットをここにいる人物として接することにした。
「そうですね。あなたたちは確かに何も持たれていませんね」
「そうだろう。きっと起き抜けで寝ぼけていたんじゃないか?」
「あ~。かもしれませんね」
「はっはっは~。そうだろそうだろ」
「笑ってんじゃない!」
ペチン。女性のパペットが男性のパペットを叩く。
「だから扉を開ける前にノックをして起きてるか確認しろっていったじゃない。ほんと突然部屋に入ったり寝ていたところを起してしまってすみませんでした」
ぺこりと僕に頭を下げた。でも扉が開けられたときにヒーホーハーとか叫んで先頭にいたのはあなたですよね?という疑問を押し留める。
「いえいえ大丈夫です。でもできれば次からは気をつけてください。女性の連れもいるので」
あんな騒音の後でも変わらずパリアンはまだ寝ている。さすがに起した方がいいだろう。僕もパリアンも寝巻きではなく、装備と上着はずしただけの姿で寝ていた。多少薄着にはなっているが着替えの問題も無い。
僕はパリアンの肩をゆする。
「パリアン。起きて」
「う~ん。川本さん家の電気羊さんかわいいのです」
どうやら電気羊の夢を見ているようだ。なでなでと布団を撫でる。
「ああっ!羊さんが執事さんにトランスフォームしたのです。ええっ?執事さんはアンドロイドなのですか?なぜ電気羊のフリを?ふむふむ。執事さんの夢はいつか執事を辞めて羊として養われて暮らすことなんですね。なるほど。電気羊の夢を見れないアンドロイドが電気羊の夢をみるなんてすごいのです!」
また変な夢見てる!とにかく起そうと何度も体をゆするが起きない。
どうしようか。悩む僕の頭にお告げのようにお局様からのアドバイスが浮かんだ。
「朝の見送りもしてくれない女性とは結婚したくないな」
「パリアンは寝てないのです!起きてるのです!」
一発で起きた。
「旦那様おはようございますなのです」
布団の上で四方八方に広がっていた髪の毛に寝癖がついていた。所々重力に逆らうように上を向いた毛先はくるんと弧を描いている。
僕の視線にパリアンはにっこりと微笑む。
「おはようのちゅーを所望するのです」
僕はパリアンをいなかったことにしてホビットの女性に視線を戻した。
僕のあからさまな無視にしょんぼりしながら僕の視線を追う。
「はっ!パリアンというものがありながら寝所に他の女を連れ込むなんて!浮気なのです!」
どうしてそういう言葉が出てくるの?起さなきゃよかったと後悔した。
「好みじゃないのでごめんなさい」
しかもパペットの女性に謝れた。ホビットじゃ表の裏の無い子供に言われるみたいだ。昔はなんとも思わなかったのにいまのは心に響いた。
「ユーゴしっかりするのです。確かにユーゴはいい年して夢見がちで結婚もしてないダメな大人ですが」
ぐはっ。
「今はちゃんとパリアンという妻がいるのです」
そうだ。いまはパリアンがいる。もう一人身じゃない。共に歩む婚約者がいる。
「イメリ内ではロリコンといわれてますが・・・・・」
僕は床に崩れ落ちた。組織内で言われていたことは知っていたけれどまさかパリアンの口から言われるとは・・・・・
「ロ・・・ロリコン」
「あ、うん・・・人の愛は人それぞれだよね」
気を使うパペット二人の反応が心苦しい。
「あ~え~と。そういや自己紹介がまだだったよな」
気を使って男性パペットが話題を変えてくれた。その気遣いがこんなにもうれしいものだったなんて知らなかった。無事にあっちの世界戻ったら他の独身男性たちに優しくしよう。
「俺の名前はジョン・スミス」
男性パペットことジョンが名乗ると同時にサングラスをかけるがスルーする。
「私はマペ・パペ。ジョンとは幼馴染よ」
・・・・・。
あれ?いま名乗ったのはパペットの名前だよね。彼女の名前は?黒子のホビット女性は口を開かない。やはりあくまでもいない設定らしい。
「はじめまして木崎パリアンなのです」
今度はこっちの番だとばかりにパリアンが名乗り手を差し出すと。片方ずつのパペットでそれぞれ手を握って挨拶する。とりあえず僕も気を取り直して挨拶する。
「先ほどは失礼しました。木崎悠悟といいます。木崎がファミリーネームで先にきます。マペさんにジョンさんですね」
「な~にそれほど気にしちゃいないさ」
手を差し出すとジョンに手を握り返された。
このまま黒子のホビット女性の名前を知らないというのも都合が悪い。ここまで徹底しているだけにだめそうな気がするが聞くだけ聞いてみる。
「それでそちらのかたのお名前は?」
『そちらのかた?』
ジョンとマペが同時に後ろを振り返る?
「まったく後ろに絶世の美女なんていないじゃないか」
ジョンが振り返る。いや絶世の美女なんて言ってない。パリアンといいイネスさんといいなんで僕の周りにはまともな女性がいないんだ。というかその言いかたしている時点でお前等分かってるだろ。
「ああ、きっとジョンが私より前に出ているから私のことかな?」
あくまでも黒子設定を貫くか。ここまで強情だと本当に難しい。
ジョンが不思議そうに首を傾けながらゆっくりと顔をマペに近づける。
「パードゥ~ン?」
確か英語でもう一度いえと挑発的な態度で聞きなおす。翻訳スライムすごいな。
ジョンがマペにアイアンクローをされた。
「マペ。僕が悪かった許してくれ!あああ~イケメンの顔に窪みができる~・・・・・ガクッ」
ジョンが息絶えた。
彼女が僕らへと向き直る。口元までマペとジョンを持ってくると。
「ホビットパペット」
二人の手を内に寄せて外側へと仲良くタイミングを合わせて腕を開かせた。どうやら漫才におけるオチらしい。パペットで喜劇を演じ終わった彼女の顔がすごくつらそうに見えるのは気のせいだろうか?
パリアンが近づいていってよしよしと彼女の頭を撫でて戻ってくる。
「パリアン。いまのは?」
「どの種族でも女性は行き遅れを気にするものなのです」
「ああ。そういうことか」
納得したという僕の言葉に女性が僕を睨んだ。同じ女性のパリアンはよくて僕は駄目らしい。近づいてきてジョンでボディーブローを入れられる。思った以上に重いパンチで思わず前のめりになるとマペをつかってアイアンクローをされた。
「ギ・・・ギブギブ・・・・・・・」
恐ろしく握力が強かった。うでを叩くが放してもらえそうにない。
というか黒子設定じゃなかったの?
そのまま腕が振られて壁際まで投げ飛ばされた。小人で力があるなんてまるでドワーフだ。
「ユーゴ!」
パリアンが宙を舞う僕を抱きとめる。腕の中でお姫様抱っこされる僕を見下ろしながら、
「ユーゴはパリアンが命に代えて守るのです」
騎士のような台詞を言われた。なにこのイケメン。すごくどきどきする。
そうじゃない。
「パリアン。もういいから下ろしてくれるかな」
僕をベッドの上に降ろす。
「てめ~はパリアンを怒らせた」
ん?パリアンどうしちゃったのかな?
「謎はすべて解けました。だからあなたは結婚できないのです!」
黒子のホビット女性を指差して言う。
「ロケットパ~ンチ」
パンッ!
風船が割れたような大きな破裂音。パリアンの姿が視界から消えた。いや消えたんじゃない。パリ・・・アン?パリアンの居た位置に彼女の下半身だけがあった。何が起きたのか分からない。違う。分かりたくない。本当は分かっている。パリアンは跡形も無く上半身を吹き飛ばされたんだ。認識した途端頭が真っ白になった。
「パ・・・パリアン?」
にゅおん。
パリアンの上半身が再生した。
「アイルビーバックなのです」
親指を立てて自慢げに言うパリアン。そうだよね。パリアンは神代でも最強のエンシェントスライムですもんね。もうなにも考えたくない。
「あ~取り込んでいるところわるいんだが誰か助けてくれるとありがたい」
声のほうを向くと壁に突き刺さったジョンがいた。発射されたのはジョンだったようだ。しかしすごいな。石造りの家だけに壁は堅い。ジョンは頭から上半身まで壁に埋まっている。ジョンを中心に蜘蛛の巣状のひびも入っている。石壁ってそんな簡単にパペット一体が突き刺さるものだっけ?先ほど握手したジョンの手はパペット素材に使われているフェルトの感触があった。柔軟に動くところからも堅い素材が使われているようにも思えない。手から離れているパペットから声がするなんてどんな仕組みだろう。
バチバチッバチバチッ。
疑問に思っていると聞きたくもない恐ろしい音が聞こえて振り返る。絡み合う視線で火花を撒き散らすパリアンと黒子のホビット女性。幻覚じゃない?音まで聞こえるのは何でだ?
僕はジョンを助けるという名目で見なかったことにした。
ジョンはやっぱりパペットで胴体に手が突っ込めるようになっていた。下半身が無いので腰にあたる部分を掴んで引っ張る。中々抜けない。思いのほか力がいるな。僕は腰に力を入れて体全体で引っ張る。
ポンッ。
ワインのコルク栓が抜けるような音がした。ジョンが突然壁から抜けて僕は勢いよく後ろに倒れ込む。人類滅亡の戦いで体に染み付いた経験から反射的に体が受身を取る。下が柔らかい絨毯だったおかげもあって背中に痛みはない。起き上がって壁を見ると見事なジョン穴が空いていた。向こう側(外)は見えない。貫通まではしていなかった。
「ジョン大丈夫か」
両手で掴んだジョンに声をかける。
「おっふ」
頭上から口までが内側にめり込んでいる。頭上から見るとめり込んだ中に目と鼻とサングラスとひしゃげた顔が埋まっている。原型を留めていない悲惨な姿に思わず謎のうめき声が出てしまった。おっふなんて生まれてはじめて口にした。
「ってそうじゃない。ジョン大丈夫か」
「ふぃんぐるぅ」
ポンッ。
奇妙な掛け声と共にジョンの顔半分が復活した。自力で復活するとはすごいなこのパペット。
「はらひれはらほれ~」
脳震盪でも起しているのかゆらゆらと頭が円を描く。持ち主の手から離れて動いている。どういう仕組みだ。サイコミュでも搭載しているのだろうか?
「飯食ったか!」
さっきまでのふらふらが嘘のように機敏な動きで謎のせりふを吐く。
「ちょ、朝食はまだだけど」
律儀に答える自分もバカだなと思う。答える僕をジョンがじ~っと見つめる。
「そんな。バカな。お前は・・・・・」
なぜか驚かれた。緊迫した雰囲気をかもし出してぶつぶつと独り言を呟く。
「三次元に足す一次元に時間以外の一次元を使ったのがまずかった?いやそれとも二次元を足したことによる五次元構築が間違っていた?だからα線からβ線への移動がなされず、ω線へのウニョーンによる新たなる虚数空間領域の発生で新世界がニャポーンしたとでもいうのか。なら世界の枝はまだ螺旋の先にあらず天元突破はされていない。私はお前をあぼらピャやー」
キュポン。
僕の手から黒子のホビット女性の手にジョンが戻った。持ち主が望めば自動で戻るのは便利だ。
「ん?俺はいったい?」
よかった。錯乱してない。前のジョンに戻ったようだ。
「これで二対一よ」
パリアンに対峙するマペさんが言う。あからさまに、俺も含まれるの?、と困惑した顔を浮かべるジョンに俺は手を合わせる。合掌。しかしやっぱりあくまでも三対一ではないんだな。もしかして見えてるのは僕だけ?本当は居ない?でもさっきパリアン頭撫でてたよな・・・・・
どっちなんだろうか?浮かぶ疑問の答えを求めて僕はいつまで続くか分からないパリアンと黒子のホビット女性による無言の対峙を見守る。
どれくらい二人は視線だけで戦い続けていただろうか?
ガチャリ。不意に開いた扉。室内に響いたその音がゴング代わりなった。二人が動いた腕がクロスする。結局俺は損な役回りかよ、とジョンの声が聞こえたが気のせいだ。クロスした腕の先が互いの頬に食い込む。パリアンの頬にはジョンが。黒子のホビット女性の頬にはパリアンの拳が。見事なクロスカウンターだった。惜しむらくはパリアンが打撃の聞かないスライムだったということだろう。黒子のホビット女性のほうが膝を突く。助かったジョンが遠い目をしていた。どうやら決着がついたようだ。
と思ったらジョンが再びロケットパンチで発射された。ハジケ飛ぶパリアン。壁に突き刺さるジョン。パリアン再生と先ほどと同じ情景が繰り返される。手に戻されたジョンは頭が胴体に埋まっていた。哀れジョン。僕は心の中で合掌しつつ。僕は扉を開けた主を探して視線を動かす。扉からホビッチョさんが顔を覗かせていた。
「おはようございますホビッチョさん」
「おはようございます、ユーゴさん」
挨拶をすると僕に気づいたホビッチョさんも挨拶を返してくる。扉の近くに誰も居ないことを確認すると扉を大きく開けて部屋に入ってきた。
ちらりとみたパリアンたちにやれやれと首を振ってため息をつく。
「いつまでも朝食に来ないと思ったら」
やはり黒子のホビット女性はホビッチョさんの身内のようだ。
「娘がご迷惑をかけしたようですね」
他にもいうことがあったのではないだろうか?ロケットパンチとか。パリアンがハジケ飛んだこととか。もう僕はあきらめたけど。
「娘さんだったんですか?」
「ええ。その様子だとまた口を開かなかったみたいですね」
「むしろ空気に徹していますね。自己紹介もパペット二人だけで娘さんはこの場に居ないことになっているようです」
ため息を吐く。何か事情があるようだ。
「娘の非礼を詫びさせてください」
「いえいえ。見てれば何か事情があるのは分かりましたから」
しかたがないとばかりに吐息を一つ吐いて口を開く。
「娘は母親が亡くなってからは口を閉じてしまいましてね」
僕もあちらの世界で家族をなくして塞ぎこんでいた時気があった。気持ちが分かるだけに、それはお気の毒に、心中お察しします、なんて気安く言えない事情だ。
「それでパペットが代わりに、ですか」
「ええ。いつも代わりに人形が話をします。決して口が聞けないわけではないのですが」
眉根をすぼめるホビッチョさん。親としても複雑な心境になるんだろうな。
「ほらどうせまた空気のフリして名前も名乗ってないのでしょ。紹介してあげるからこっちきなさい」
手首から上を上下に振って娘を呼び寄せる。ポンッ。ジョンが彼女の手に戻り、ホビッチョさんの呼びかけに立ち上がる。たださっきのクロスカウンターのダメージが抜けきらないのか彼女のひざが震えていた。おぼつかない足取り。ここまで来るのもつらそうだ。だからガクッと左ひざが下がったのを目にした瞬間、自然と体が前に出た。抱きとめて支える僕のお腹に彼女の顔が埋もれる。体勢が崩れないようにと背中に左手が回り、右手が頭に載せられた。右手がぽんぽんと数回動く。小さいころに自分に頭から突撃してくる妹を相手にしたときの癖が無意識に出ていた。上がる面。僕を見上げるその顔はとても不思議そうな顔をしていた。その後不可解なことに彼女は再度お腹に顔を埋める。
「パリアンの旦那様から――」
彼女の背後に現れた人影――パリアンが彼女の両脇に腕を突っ込む。
「――離れるのです」
パリアンに持ち上げられて脇に寄せられた。相手がホビットだけに抱えられて寄せられる様が子供のようだった。そして今度は彼女を離して満足したパリアンが僕の胸に飛び込んでくる。
「頭をなでてもいいのですよ」
すりすりすりすりと顔をこすり付けてくるパリアンの要求に応えて頭をなでる。ぽけ~、とうらやましそうに脇からこちらを見る彼女に気がつく。恋人とのいちゃつきを無垢な子供にじっと見られるようないたたまれなさを感じる。やれやれといつまでも自分の下に来ない娘にしかたなく自分から歩み寄ってきたホビッチョさんが彼女の隣に並ぶ。
「こちらが私の娘のパンドラ・バギンズです。ほらパンドラ挨拶して」
ホビッチョさんに紹介されてパンドラさんが頭を下げた。ホビッチョさんの視線が両手のパペットに向かう。意図を察して先に伝える。
「マペさんとジョンさんとは挨拶済です」
「そうですか。見ての通り娘は人形遊びが好きな普通の女の子です」
「いや。見ての通りって。同時に二人分の声出してますし。ジョンのロケットパンチの破壊力といい。人形遊びがとかのレベル越えてますよね」
「ああ。なんでも左右の肺を別々に動かすといいらしいですね」
「いや、ホビッチョさん。腹話術のコツを聞いてるわけじゃなくて」
『パリアンもできるのです。さあ、ユーゴもさん肺!』
「そんな下関弁でせーの!(さんハイ)って言われてもできないものはできないって」
「さすがエンシュエントスライムですね。できる人はじめてみましたよ」
「あ~。お取り込み中のところ悪いんだけれどもよ。お前らそろそろ朝食に行ったらどうだ?」
『あ』
ジョンの正論にホビッチョさんもここに来た理由を思い出す。このなかでパペット(ジョン)が一番まともな気がした。