第88話 エピローグ
「桜の花が咲き乱れ、皆さんの入学を歓迎するかのような桜吹雪が舞う中……」
私の名前は、露草五十鈴。
今、私は、入学式に出席しています。
在校生の代表として。
何より、生徒会長として。
私は今、壇上に立って入学生たちに挨拶をしている真っ最中です。
えっ?
書記じゃないのかって?
うーん、おかしいですね。
この世界で、それを知っているのは私くらいだと思っていたのに。
うん?
そんなことを言うなら、何があの時何が起こったのか説明してほしい?
そうですね…………
ちょっとお話しましょうか。
私も、まだ信じられないし、話を整理する意味でもね。
朝生さんたちがゲートの中に入ったその瞬間。
私は一瞬のうちに意識が飛んでしまっていた。
気が付いたら、私は過去に遡っていたわ。
部室で、いつもの席に座っていた。
隣に、厘さんがいつものようにぶっきらぼうにしているのを見て、思わず涙が出そうになったのは内緒。
でも、その瞬間に、私は気づいた。
ここはもう、さっきまでいた世界じゃないって。
朝生さんの願い。
それは、朝生さんの理想の世界を作ること。
じゃあ、それがどれほど世界に影響を与えたかと言えば……
驚くほどの違いは無かった。
それは無理からぬこと。
1人の少女が持っていた理想の形を叶えようとも、世界から見れば、本当にちっぽけなもの。
それこそ、その願いに影響を受ける人なんて、全体の割合からすれば、無いに等しいレベルですからね。
そうしたら……そうですね。
では、変わらないところを挙げてみましょうか。
まず、私達「退魔部」は相変わらず存在するし、ハデスゲートも残っていれば、当然悪魔もいる。
少なくとも、ハデスゲートと悪魔の存在がなければ、朝生さんの願いは叶わなかったわけで。
それは時間遡行のパラドックスの上で仕方ない部分なのかしら。
それから、過去に戻った以上、厘さん含め、みんな健在。
学校も、先生も生徒たちも。
世界のほとんどが、そっくりそのまま。
入学式の前の3日前に戻ってきていただけ。
ただ……
「私」という自我が気が付いた時間が、その入学式3日前だった、というだけだと思うし、それ以前はきっと、この世界の私は、それこそ普通にこの世界の環境を享受していたはず。
多分、そうだと思う。
では、前の世界の私から見て、変わったところはといえば。
「ねぇ、厘さん。奈由多君はどうしてる?」
「…………? なんだ。何を突然」
「ううん、ただ、どうしてるかなって。ちょっと気になっただけ」
「変な奴だな。まぁ、相変わらず元気だぞ。今日も元気に部活にでも行っているのだろう」
奈由多君は、入院していない。
必然的に、厘さんの両親も、それほど無理をせずに、家族みんなで生活しているみたい。
「ところで、今年の新入部員は……あのランバートの家の子っていうのは本当か?」
「そうらしいわよ。わざわざイギリスからの転入ね。父方が日本人らしくて、そこに住むらしいんだけど、日本語はまだ不慣れだから気を使ってあげないとね」
樫木さんの家庭事情は相変わらずのよう。
そこを何とかする必要性は感じなかったようね。
可哀想とは思わないけど、ちょっとくらいは経済的な支援はしてあげなくてよかったのかしら。
「そうか……どうあれ、頼もしいものだな」
「そうね。でも、今年の新入部員はきっと1人だからちょっと大変かも」
「そうだな。まぁ、ディアボロスも1体だけなんだ。何とかなるだろう」
ディアボロスという存在も、消えることは無かった。
まぁ、大抵の願いなら叶えられるというディアボロスがいなければ、それもまた時間遡行のパラドックスに反するということなのかな。
ただ、それを最小限の1体にしてくれたのは、やっぱり理想の世界ということかしらね。
「おはようございます」
「せんぱーい、おっはよー!」
相変わらずチグハグな双子の登場。
容姿はともかく、性格は本当に双子とは思えないわよね。
「愛さん、今日も美術部に顔を出してきたの?」
「はい。掛け持ちはちょっと大変だけですけど、やっぱり絵を描くのは楽しいです。許可していただいて、ありがとうございます」
「いえいえ。愛さんの将来の夢だものね」
「はいっ!」
狩野の家は、既に、京さんが家を継ぐことで決まっているらしい。
それでいて、双子である2人は一緒に暮らしている。
ずいぶんと都合良く改変したものだと感心したわ。
愛さんは、本当は美術学校に行きたかったみたいだけれど、退魔部の関係上、それは無理。
その代わり、美術部の掛け持ちを許可している。
「さて、先輩たちも卒業してしまった。今回の「バルティナの歪み」は、私達4人だけだ。気を引き締めていこう!」
「おー!」
と、難なく、その日の「バルティナの歪み」も無事に終わり……
家に帰った私を迎えてくれたのはお母さんだった。
正直、涙が止まらなくなっちゃったのは内緒。
本当に……
世界のほんの、
極々一部が書き換えられているだけです。
そう実感したのが、3日前の話。
そうして今…………
私は、生徒会長として、入学式にお祝いの言葉を述べているわけであります。
朝生さん……
できれば書記のままが良かったかな?
なんて。
今の朝生さんに言っても、きっと意味が分からないだろうけどね。
それでもね。
壇上から見ても、今のあなたはとても輝いて見える。
その後ろにいる、そっくりな妹さんも。
2人は、とても楽しそうに見える。
あっ、こら。
私が話してるんだから姉妹でこそこそ話すのはやめなさい。
この言葉は、貴女達2人に向けていると言っても過言じゃないんだから。
「みなさん。ここに入学したことは、ゴールではありません。スタートです」
朝生さん。
貴女は、立派なことをやり遂げました。
「皆さんの、将来の夢は何ですか?」
貴女は、大事なものを守りました。
「決まっている人は、是非その夢に突き進んでください」
貴女は、為すべきことをしました。
「決まっていない人は、この学校でたくさんのことに挑戦してみてください」
貴女は、とても頑張りました。
「失敗したっていいんです。途中から夢が変わってもいいんです。それは必ず、あなたのためになっているんですから」
貴女は、勇敢に戦いました。
「自分の信念を持って、自分の為すべきことをしましょう。そして何より大事なこと……」
貴女は、もう迷わないのですよね。
だって…………
「1年後の……いいえ、1日後…………ううん、1秒後の自分でも構いません。自分の将来を、明るい未来を想像してください」
貴女が想像した未来。
それが今、こうして現実になっているのですから。
「想像出来ないものに、自分はなれません。きっとこれが一番大事なものだと思います。なりたい自分に……こうありたいという自分を、常に想像してください。そうすることで、自分は変われます。いえ、変わることが出来ます」
そう。
朝生さんがそうしてくれたように。
この、明るい未来を作ってくれたように。
「私達と共に、この学校を……そして何より自分たちを、より成長させていきましょう。この言葉を、生徒会長である私、露草五十鈴からのお祝いの言葉と代えさせていただきます」
大きな拍手を受けて、私は壇上から袖へ帰って行く。
その折、ふと朝生姉妹を見ると、目尻に涙を溜めていた。
どうして泣いていたのかなんて……
さすがに本人に聞かないと分からないかな。
「五十鈴、昨日はお疲れ」
「ありがと、厘さん」
無事に入学式も終わった翌日の退魔部室。
窓から景色を見ると、生徒たちがまばらに歩いているのが見える。
その中に、仲の良い双子がはしゃぎ回っていた。
「お姉ちゃん、はやくはやく!」
「ちょっと待ってよ、零華ー」
あまりの仲睦まじい姿に、思わず頬が弛んでしまう。
ニヤニヤしていると、厘さんが私の頭を軽く小突く。
「どうした五十鈴。妙にニヤついて」
「ううん、何でもないわ」
「そうか……だが、もう時間だぞ。千里は初陣だ。しっかりサポートしていかないとな」
「えぇ、そうね」
「お願いしまーすです!」
樫木さんが元気に手を挙げる。
その姿も、何だか懐かしい感じがして、ふと涙腺が弛んでしまう。
「さて、行くか」
「えぇ、行きましょう」
暗室で、皆と手を繋ぐ。
目配せで準備が整ったのを確認すると、私はいつものように、幽体離脱の呪文を唱える。
いざ行かん。
我らの戦地へ。
我らの宿業の地へ。
そして魔の潜む地へ。
受け入れよう……
我らが魂に課せられし運命を!




