第82話 送る言葉
「きっと、次の「バルティナの歪み」は露草先輩と2人だけです。でも、一子は色々なことが出来ます。露草先輩だって、とっても頼りになるです。まだ絶望するには早すぎるですよ」
「でも……」
「絶望の中にいるから、悪いことしかみえないんです。そんな中で対抗出来るのは、希望を持つことです。逃げてもいいです。弱音を吐いてもいいです。でも、絶対に……希望を、夢を忘れてはいけないです」
そんな言葉は、綺麗事にしか聞こえない。
現実に置かれている立場は絶望的だ。
こんな中で希望を持てと。
そんなこと言われても、出来ない。
所詮は他人事だからいえること。
そう思ってしまう。
「やっぱり、今の一子はとても視野が狭まってます。珍しいですね。いつもなら、周囲をしっかり見渡しているのに」
小さく笑う千里に、私は呆気に取られてしまう。
私は、そんなに周囲を見ているという意識が無い。
むしろ、注意力は散漫のような気がする。
「私も京先輩も、ずっとこのままではないです。それこそ、あと少しの間だけ、2人で乗り切って欲しいのです。一子と露草先輩なら、絶対出来ます」
「でも……もう森川先輩もいない。愛さんもいない」
「そうですね。それはとても……とても残念なことです」
一瞬涙声に変わる千里。
しかし、すぐ切り替えるように声は元に戻る。
「でも、一子と露草先輩なら出来るですよ。それは、私が2人を見てきたから分かります」
「そんな根拠も無い言い方じゃ…………」
「根拠があやふやなのは謝るしかないですねー。でも、私の知っているお2人は、この程度の困難は簡単に乗り越えられるはずです。女の悪寒ってやつですよ」
「……勘でしょ」
「あ、それでしたー」
いつもの調子の千里。
思わず私の口角が少しだけあがる。
「イギリスのことわざにこんなものがあるです。「緩やかすぎる海は、船乗りを成長させることが出来ない」。困難は、自分を成長するための大事なこと。大変ですけど、その困難に立ち向かえればいいのです」
千里の言葉に違和感を覚える。
その正体は、その語尾にある。
立ち向かえればいい。
普通は、立ち向かわないといけない、とか言わないだろうか。
何でこんな言い回しをするのだろう。
「困難を乗り越えないと……希望は、夢は、未来は掴めません。いくつの困難があるかも分からないです。その時に、一子は逃げてもいいのです。大きい困難から逃げて、小さいことを乗り越えていくうちに、その困難を乗り越えられるときが必ず来るです」
何事も立ち向かわないといけない。
そう思っていた私の固定観念が、徐々に崩れていく。
「人を頼っても全然オッケーです。私も先輩たちも、みんな人を頼っています。みんな、一子には頼りっきりですよ?」
「そんな……私なんて全然…………」
「それは自覚してないだけです。一子は、たくさんの人たちに影響を与えてます。かくいう私も、一子にいっぱい教えてもらったです」
「えっ…………」
そんなはずは無い。
私は与えられてばかりだった。
京さんから。
愛さんから。
千里から。
露草先輩から。
そして、森川先輩から…………
みんなから、たくさんのことを教わった。
何も返せていない自分に、とても腹立たしく思っていた。
それなのに……
千里は、私から何かをもらっているという。
「実は、今の一子の気持ちはとっても分かるです。ユニコーンとの戦いのとき、私は絶望にまみれていました。でも、あの時、諦めずに戦えたのは、一子のおかげです。一子が励ましてくれたからです。そして、ついにユニコーンを倒すことすら出来ました」
「そんなことないよ。あの時は、千里が頑張ったから…………」
「そう言うなら、頑張る原動力をくれたのが一子です。私1人では、絶対に出来なかったことです」
そんなに大それたことをしたつもりは無い。
千里が頑張ったから出来た。
千里のおかげで倒せたんだ。
それこそ、千里の勘違いでしかない。
「自分に自信を持ってください。一子は、一子であればいいです」
「私でいるからこそ、きっと無理だよ……」
「その弱音を言うには早すぎです。ちょっと冷静になってください。一子の置かれている状況を、もうちょっとだけ冷静になって見てください」
「冷静にって……」
そう言われても……
状況が最悪なのは変わらない。
森川先輩が死んでしまい……
愛さんはゲートの中に閉じこめられ。
千里はこの通り、寝たきり。
京さんは意識不明。
動けるのは、私と露草先輩だけ。
その事実は、どこまでも変わらない。
「やっぱり、最悪な状況しか…………」
「でも、悪魔の方も、ディアボロスは1体だけになったです。つまり、普通の悪魔だけ倒せばいいのです」
「あっ……」
発想の転換というべきなのか。
千里の言うことは、的を得ている。
今まで、自分たちのほうにしか目を向けていなかったけれど、相手の方に目を向ければ……
その戦力は、確実に落ちている。
ただ、それは。
「でも、それってローレライがこないことが前提だよね……」
そういうことだ。
ローレライは今度も来るかもしれない。
そうなれば、今度こそ私達は全滅してしまう。
「ローレライはきっと来ません。来ても、それは一子に会いに来るだけだと思うです」
「……?」
あまりの言葉に、疑問符を浮かべることしか出来ない。
どうしてそう言い切れるのだろう。
「そういえば、ローレライはやっぱり一子の姉妹なのですか?」
「うん……そうみたい」
「そうだったですか。やっぱり……」
あの顔を見れば、自然の発想だろう。
瓜二つという言葉は、このためにあると言って良いほどに、私とローレライは似ている。
顔が双子のようにそっくりであること。
私が、普通の子であるはずなのにキーパーになったこと。
それらの状況から、姉妹であるという予測は容易に立つ。
と、思っていたのに、千里の言葉は、私の予想を超えていた。
「何だか雰囲気が似ていたですからね。初めて見たときから、そんな予感がしてたです」
「えっ……」
雰囲気が似ている?
あのローレライと?
それに、初めて見た時は、ローレライはまだ仮面を被っていたはず。
顔の雰囲気なんて分かるはずもない。
「…………やっぱり、一子の姉妹が…………悪い子には、思えない……です」
「やっぱりって……」
そんな馬鹿なことを、と言おうとした瞬間。
千里の様子がおかしいことに気づく。
にこやかな笑顔。
その笑顔のまま、固まっている。
「……千里?」
声を掛けても返事はない。
身体をゆすっても、気づかない。
「千里……ねぇ、千里ってば」
身体をゆすり続ける私の腕。
その腕を、優しく止める誰かの手。
「もう……休ませてあげてくれないか」
千里のお父さんの優しい声。
腕は、やはりお父さんのものだった。
その声は、優しいまま、さらに言葉が続く。
「魂に刻まれた痛みは、そう簡単に消えることはない。きっと、この子の腕や脚には、耐え難い激痛が襲い続けていたはずなんだ。気を取り戻したのは、きっと限界を感じ取ったからだと思う。そんな一時を、君という友人と過ごした千里の選択は、きっと正しかったと思うよ」
あまりに残酷な優しい言葉。
その言の葉の意味を、一つ一つ噛みしめると同時に、私の血の気が引いていく。
滲む視界。
水滴で濡れていく千里の顔。
その顔は、とても安らかな笑顔だった。
堰が切れた。
感情が、何の制限も掛からないまま、漏れていく。
「千里……千里ぃぃぃいいいい!!」
どんなに叫んでも。
どんなに泣いても。
笑顔のままの千里が、目を開けることはなかった。




