第81話 融和
病院の個室。
私と千里、2人きりになった病室。
お互い沈黙を守っている。
2人して押し黙っているのに、不思議と重苦しい雰囲気は無い。
ふと、頬に当たる風を感じた。
窓から届く風は、まだ春のもの。
風に揺られて、カーテンが棚引く。
爽やかな風を受けて、千里は、気持ちよさそうに目を閉じている。
千里は、気を使ってくれた。
お父さんは、それを察してくれた。
今、千里は待っている。
私が口を開くのを、ずっと待っている。
だからこそ、言わないといけないのに。
口を開こうとしているのに。
何故か、ずっと動けずにいた。
「どうしたですか、一子? らしくないですよ?」
またしても千里に気を使わせてしまう。
私の言葉を促すように、優しく問いかけてくる。
「何があったかわかりませんけど、一子なら大丈夫ですよ。何も心配なんていらないです」
そんなことない。
私はいつだって、みんなに頼ってきた。
そうしないと、何も出来ない人間だ。
私は…………
「そんなことないよ……」
出してしまった言葉。
「私はみんなに頼ってきただけ。そうしないと、何も出来ないんだ」
壊れた蛇口のように、止まらなくなる言葉。
「ねぇ、私って……普通の女の子だったよね」
やめて。
「それなのに、急にこんなことになって……危険にさらされて。ねぇ、それってちょっとおかしいよね?」
そんなこと言いたくない。
「もう、逃げてもいいよね? 普通の女の子に戻っていいよね?」
そんなムシのいいこと言わないで。
支離滅裂なことを言わないで。
「おかしいよ……ねぇ、そうだよね?」
退魔部がこんなにも好きなのに。
みんなのことが好きなのに。
そんなことを、今更逃げる理由にしないで……!
「そうですね。一子は、普通の女の子に戻っていいと思います」
あっさりと言う千里。
その表情は、やはり穏やかだった。
それが、急に腹立たしくなる。
「ちゃんと聞いてるのっ?! 私、逃げようとしてるんだよ?! ひどいことしようとしてるんだよ!」
何を当たり散らしているのだろう。
何でこんなに偉そうなんだろう。
何で……
こんなに虚しいのだろう。
内心ではそんなことを考えているはずなのに……
表では、まるで千里が悪者のようにまくし立てている。
「何で千里は許せるのっ?! ねぇどうして?!」
何でこんなにも千里を責め立てているのだろう。
どうして、私はこんなことを口走っているのだろう。
「何か言いなよっ!!」
止めて欲しい。
止めて欲しくない。
私の気持ちがどっちなのか、全然わからない。
「もうどうしたらいいか分かんないよっ! どうしたらいいの……? ねぇ、私はどうしたらいいの!!」
子供のように喚き散らす。
格好悪いなんて思う余裕すら無くて。
ただ、感情だけがたれ流されている。
何を求めて。
何を探して。
何のために、千里にこんなことを言っているのか。
もう、私自身も分かっていなかった。
「逃げたいなら、逃げるべきです」
そう優しく問いかける千里に、私は反射のように返す。
「逃げたくないよ……! そんなことしたくない!」
「一子……一子は、ちょっと良い子に育ちすぎですよ」
何を言っているんだろう。
私の感情は、なおさらごちゃごちゃにかき乱される。
「逃げるときは逃げるです。どんなものにも立ち向かわないといけないなんて、無理に決まっているです。そんなことが出来るのは、ほんの一握り……それこそ、漫画やドラマの見過ぎ。人は辛いとき、逃げないといけないです」
そんなことが許されていいはずがない。
千里の言葉を肯定してはいけない。
「その点、私は安心したです。一子は、ちゃんと逃げてくれました。そして、ちゃんとぶつけてくれました」
何が安心出来るというんだろう。
どこがいいことなんだろう。
全然理解出来ない。
「そして、ぶつける相手が私だったことは……とても嬉しいことです。一子にとって、私は尊い友人であるという証。こんな嬉しいことはありません」
目を閉じながら、ゆっくりと話す千里。
さながら、天使のように、優しく私に語りかける。
「辛いと思ったなら、ちゃんと逃げるです。逃げて、辛いのをぶちまけて……そして、また挑戦すればいいです。人は、辛いときに物事を考えると、悪い方にしか考えられなくなります。悪いものを出して、己を浄化した後でもう一度考えないといけないです。今の一子は、まさにその状態です」
「でも……逃げられないよ!」
そうだ、逃げることなんて出来ない。
私が逃げるということは、「バルティナの歪み」に参加しないということ。
それは、ゲートを閉める役がいないということになる。
つまり、露草先輩がどんなに頑張っても、「バルティナの歪み」は終わらないということだ。
逃げるなんて、出来やしない。
「大丈夫。一子は今、ちゃんと逃げています。私のところに駆け込んでくれました。一緒に考えましょう、一子。これからどうするべきか。1人で悩んではいけないです」
優しく語る千里。
私は、それをなお、疑心暗鬼の耳で傾けている。
最低だ。
友達に頼っているのに。
友達に逃げているのに。
友達に怒りをぶつけているだけなのに。
それなのに、その友達の言葉を素直に受け入れられない。
そう自己嫌悪に陥りつつも、千里の声は、私の心に染み入る。
「まず、一子はどうしたいですか?」
「どうって……それが分からないよ!」
「じゃあ、そうですね。退魔部を辞めたいですか? 辞めたくないですか?」
それは…………
もちろん。
「……辞めたくない」
「よかった、それなら私は嬉しいでーす」
満面の笑みを浮かべる千里。
そして、なおも千里の質問が続く。
「でも、それだと、普通の女の子には戻れないです。最初に言ってたですけど、それはいいのですか?」
「うん……それはいいの。私、何かよく分からなくなってて……」
動転していた、といえば何でも許されるわけではない。
そんな言葉で帳消しにしてはいけないのだろう。
でも、千里はそれを許してくれる。
「人間、誰しもそういうときはあります。今は、一子の気持ちに素直になってみてくださいです」
まだ頑なだけれど、ゆっくりと融けていく私の心。
千里の言葉で、少しずつ、少しずつ融けていく。
それを自分でも感じていた。




