第57話 作戦遂行
「みんな、打ち合わせ通りにね!」
「くそっ……五十鈴、後で覚えていろっ!」
「恨み言なら、勝った後でいくらでも聞くわ。今は集中して!」
「ちっ……!」
舌打ちする森川先輩。
それでも、今やるべきことを素直にこなしていた。
そう。
私情を挟んで作戦を瓦解させるわけにはいかない。
自分も賛同した作戦だ。
それを放棄することは出来ないし、してはいけない。
露草先輩も、それを分かっていて、このタイミングで暴露した。
確かに、皆の気持ちが、緊張感からではなく、使命感のようなもので引き締まっている気がする。
これも露草先輩の作戦だとするなら、本当にこの人は、どこまで考えているのだろう。
そんなことを考える間もなく、ケルベロスの攻撃は始まっていてた。
ケルベロスは、周囲を俊足で動き回っているようだ。
不確定な言い方になるのは、ケルベロスの動きがあまりに速く、私には見えないから。
ただ、消そうとしても消し切れていない静かな足音が、あちこちから響き渡る。
その音は、さながら死神が背後から忍び寄っているかのようだった。
その足音が、突然鳴り止んだ。その一瞬後。
「愛っ!」
「はいっ!」
雷鳴。
その遣り取りは、私の真後ろで行われていた。
ただ、上手く行ったのかどうかを確認することも出来ない。
目を離した隙に、目の前にケルベロスが現れるのではないか。
そんな不安が、私の身体を支配していた。
再び鳴り響く足音。
ヒタヒタという形容が正しいだろうか。
ただ、あまりに速い間隔で、そしてどこかしこから聞こえてくるその音は、私に底知れぬ恐怖を嫌でも覚えさせる。
「愛さん!」
「はいっ!」
今度は、私の左手から聞こえてきた雷。
「こっちでーす!」
間髪空けずに右手から。
そして。
「愛っ!」
「はいっ!」
後ろから。
「上よ、愛さん!」
「えっ……はいっ!」
上から鳴り響いた。
それから続く僅かな静寂。
その静寂は、ケルベロスが動いていないということを物語っていた。
私達の真上で、腕を組みながら、楽しげに笑っている。
「なるほどな。俺の雷の弱点をよく心得ている。いや、よくぞ見破ってくれたものだ。今の今まで、これを見切った者はいないんだが」
「苦労したわ。でも、これなら確実にあなたの攻撃を回避出来る。あとは何とか、反撃したいものね」
「攻撃については無策か。それは随分と舐められたものだ」
「だったらせめて、もう少しゆっくり動いてくれないものかしら。攻撃なんて、当てようがないじゃない」
「そうか。では、もう少し速度を早めるとしよう」
「あらあら。そう上手くはいかないものね」
再びケルベロスが姿を消す。
宣言通りなのか、足音の間隔をさらに狭めて周囲を駆け回っている。
そして、私の目の前に現れた。
指先を私のほうに向け、その指に体中に走る雷を集中させている。
そんな状況を目の当たりにしても、私の頭は思った以上に冷静で、それこそ反射的に叫ぶ。
「愛さんっ!」
「はいっ!」
雷鳴が鳴り響く。
ケルベロスの雷が、目の前で炸裂した証拠だ。
目の前で炸裂したということは、愛さんが雷を防いでくれたということに他なら無い。
「なるほど。例外的な新人といえども、もう随分と場慣れしたということか。ここらで1カ所でも崩せれば良いと思って、敢えてこの頃合いで仕掛けたのだが……いや、これは僥倖」
どうやら狙われていたらしい。
確かに、退魔部の中では一番の穴だと思うし、自覚もしているけれど……
そう敵からハッキリ言われるというのも気持ちがいいものではない。
「雷くらいしか能のないあなたが、新人である朝生さんを褒め称えていられる余裕があるのかしら?」
「ほう、雷くらいしか能が無い? そう決めたのは誰かな」
「今までの先輩たちの資料が、それを物語っているわ。どんな窮地に陥っても、あなたは雷による攻撃しかしていない。だから、雷の対策さえ万全なら、あとは倒す方法を見つけるだけなのよ」
「クックック……なるほ……どっ?!」
突然声のトーンが変わる。
無理もないことだ。
突如として現れた巨大な手が、一切の動作を許していないのだから。
「おぉ、まさかケルベロスを掴めるとは思わなかった。ちょっと感激。さすがは露草先輩」
「素晴らしいタイミングよ、京さん。教えた通りね」
京さんが感嘆の息を漏らし、それがさも当然と露草先輩が言う。
「ふっはっはっは……! 素晴らしいな、この虚の突き方。心理戦すらも、俺を凌駕したということか」
「そうね。あなたは、私の手のひらで踊っていただけよ」
露草先輩が七支刀を取り出す。
森川先輩も、千里も、最大攻撃をする準備は既に整えていた。
もちろん、私も……
と言いたかったのだけれど、ケルベロスを探すことに夢中で、それが出来ていなかった。
それに気付いた露草先輩は、私に対して笑いかける。
大丈夫、という意味だろうか。
ただ、私はそれで少しホッとしていた。
「さぁ、みんな! これで終わりよ!」
「おう!」
「行くでーす!」
巨大な手に捕まれたケルベロス。
身体を精一杯動かし、ささやかな抵抗をしているが、振り解けない。
京さんの手は、それだけしっかりと掴んでいる。
「草薙!」
「シングメシア!」
「エクスカリバー!」
3つの大技が、ケルベロスめがけて襲いかかる。
巨大な光に飲み込まれて、ケルベロスはやがて見えなくなっていった。
「終わったわね……」
光も晴れて、ケルベロスがいた場所を改めて見る。
そこには、京さんの巨大な手が残っているだけだった。
「すごい……ボクたち、本当にケルベロスまで倒しちゃったんだねっ!」
「う、うん……信じられないけど、この短期間のうちに、3体のディアボロスを倒しちゃったんだよね」
京さんが素直に喜び、愛さんが未だ信じられないという顔をする。
「作戦は無事終了ね。みんな、ありがとう。おかげで、無事にケルベロスを討伐出来た。これでまた、たくさんの人を救うことが出来たことになるわ」
踵を返し、みんなが帰ろうとした。
その時。
「それは身勝手というものだ。俺は、その人間が望んだことを叶えてやっているに過ぎないというのに」
突然響く声。
その言葉に、全員が、焦燥の感情を持って辺りを見回す。
併せて、希望に満ちていた心が、一気に不安なものになる。
「ここだぞ、迷える者達よ。目に見えぬ場合、大抵はまず上を気にすると良い。人の視野というものは、どうにも上を見ないものだからな」
見上げた先に見えた、ケルベロスの指先。
それは、雷が発射される寸前の状態にあった。
「っ! あ…………」
声を上げる間もない。
無慈悲にも、その雷は私達めがけて落とされた。




