第55話 隠れた事情
私は、駅前のマロンドに来ていた。
最近は、何か悩み事があると、ついここに来てしまう。
高校生のお小遣いには、毎回頼むとなかなか厳しいケーキセット。
それを頼まずに、ここに座っている私は、お店からすると本来はお邪魔虫以外の何者でも無いのだろう。
ところが、そんな私に対しても、お水だけ出してこの場所を提供してくれている。
そんな白衣の天使……
調理服に青髭の特徴的なおじさんが、笑顔で、少なかったコップの水を一杯にしてくれた。
そんな特別な状況に感謝しつつ、私は再び悩み始める。
何で露草先輩は、ケルベロス討伐にあそこまでご執心なのか。
確かに、今回は滅多にないチャンスなのかもしれない。
千載一遇のチャンスなのだろう。
でも、例えそうであっても、先輩の言動には、普段あるはずの冷静さを欠いている気がした。
もちろん、まだ会って日の浅い私が、何を知ったことを、と思うところもある。
だから、そんな考えは払拭してしまえと。
そう考えていても、不思議と頭に残る。
考えても仕方ない。
露草先輩の言葉は、ここでも響いていた。
そう、私があれこれ悩んでも仕方のない部分なのだ。
それでも、気になってしまう。
仕方のないことではないだろうか。
いつもは沈着冷静な露草先輩。
その先輩が、少しばかりムキになっている。
何かあるのだろうか。
そんな思案が私の頭の中をかき回していた。
「……来ていたのか」
前から掛けられたその言葉にはっと我を取り戻す。
目の前に立っていた森川先輩の姿に、私はまったく気付かなかった。
「相席、良いかな」
「あ、はい。もちろんです」
立ち上がって椅子を引こうと思ったが、すぐに椅子を引く森川先輩。
そんな気遣いは無用だったかと、私は席に座る。
「たまに来るのか?」
「はい。ここのケーキセット、気に入っちゃって」
「そうか。私もここのケーキは好きだ。毎日でも来たいが、それはお財布事情が許さないな……」
「そうですねー……」
2人揃ってため息をつく。
「1人か? って、千里はさすがに無理か。愛も京も、ここで食べるということは無いだろうし……仕方ないか」
「そういえば、愛さん京さんと一緒にご飯を食べたことが無いですよね。どうしてですか?」
「まぁ、狩野の家……というより本家である鹿子の家は、本当に神経質だからな。本家の血筋の者には、食料ですらも、自家栽培のもの以外は食べさせないらしい」
「はぇー……」
本当に、びっくりすることばかりだ。
そこまでやるのか、というのを平気でやってのける。
「本当に、お2人はすごいですよね。お寺ってそんなに儲かるのかな」
「儲けているのは、狩野の分家のおかげだな。寺を継ぐ者以外は皆外に出されるが、繋がりが消えるわけじゃない。カノー商事って知らないか?」
「知らないも何も、このあたりだけじゃなく、全国規模の総合商社ですよね……」
などと返事をしていて、言葉を止めてしまう。
そうか……カノーっていうことは。
「そういうことだ」
なるほど。
間接的とはいえ、社長令嬢ということなのか。
だから、車なんかも手配出来る。
恐るべし、狩野家。
「総合商社だから、葬儀も扱っているんですね。だから、中では稼働率の低いレイの車が迎えに回される事が多いということですか」
「そういうことだな。まぁ、あとは、葬儀という面では、本当に助かっている」
「…………?」
いまいち話が繋がらない私。
頭からハテナマークを出していると、森川先輩が補足してくれる。
「あまり想像がつかないか。つまり、悪魔と戦い、死んだ者達の葬儀をひっそりと執り行うことが出来るんだ」
その言葉には、つい閉口してしまう。
そうか、確かに。
葬儀をやらないことには、遺族の方々には辛いものだろう。ただ、あまり大っぴらにやるわけにもいかない。
なぜなら。
「退魔部で命を落とすのは、普通に考えると不自然だからな」
そういうことだ。
言葉が出ない私を尻目に、森川先輩は続ける。
「部活中に突然の死。しかし、外傷は無く、急に糸が切れた人形のように動かなくなっている。人1人死んでいるとはいえ、そんなことを公表出来るはずもない。表向きは、急遽入院で面会謝絶。後に転校が決まった、などと言いつつ、戸籍には行方不明という処理をされてしまう。それが、私達キーパーが「バルティナの歪み」の最中に死んだ者へつきつけられる現実というものだ。身内としては、決して気持ちの整理など出来ないだろう。だから……」
そんな葬儀はそれこそ、事情を分かっている人たちがやってくれるほうが、色々と便利ということなのだ。
「しかしあれだ……今回は、色々と迷惑を掛けるな」
「えっ?」
突然の一言に、疑問の声をあげる。
森川先輩は、それを気にすることもなく続けた。
「五十鈴のことだ。私に迷惑を掛けまいとしているようだが……その分、一子に負担が行っているようだ。色々と相談らしからぬ相談を受けているだろう?」
何というか……
森川先輩も露草先輩に負けず劣らぬ慧眼だ。
露草先輩の行動は見え透いているということなのだろうか。
「あいつは、迷うことがあると、よくぶちまけることがある。それを聞く役は、今までは私だったんだが……今はちょっと互いに話がし辛いだろうと思ってな。となれば、誰に相談するかと思えば、やはり一子、お前だった」
「いえ、私もお役に立ててるなら嬉しいですよ」
「そう言うとも思ったよ」
はにかむ笑顔に、私もつられて笑う。
「まぁ、今回はケルベロス討伐だ。尚更気合いが入るんだろう」
森川先輩の、その口振りは、やはり気になる。
何かあったのだろう。
余計なことかもしれないけれど、私は思いきって聞いてみる。
「あの……やっぱり、露草先輩とケルベロスは、何か因縁があるんですか?」
「あぁ……うん、そうだな。余計な事とは承知で話しておくか」
眉間に皺を寄せ、重く口を開く。
「実はな。五十鈴は……ケルベロスに母親を殺されているんだ」
「えぇっ……!?」
森川先輩の言葉に愕然とする。
正に驚愕の事実だ。
でも、いまいち要領もつかめずにいた。
母親が殺された。
ということは、露草先輩のお母さんは、18才くらいのうちに子供を産んでいたのだろうか。
「何か変な想像をしてそうだな。間接的に、だぞ」
「あ、あはは……デスヨネー」
自分の想像力の無さに、思わず顔をひきつらせながら笑ってしまう私。
そんな私に、小さくため息をついてすっかり呆れながらも、森川先輩の話は続く。
「父親がふと呟いた「3億円でも当たるといいな」という言葉を、ケルベロスに掠め取られたらしい。その結果、いつ掛けたかも分からない生命保険金を受け取ることになったんだ。母親が事故死することでな」
これが正に、悪魔による願望の実現か。
こういった悲劇を起こさせないために、私達は必死で守っていかなければならない。
それなのに、目の前で繰り広げられた最悪の事態。
何も事情を知らなければ、まだ良かったのかもしれない。
どうしてこんな悲劇が起こったのか。
その事情を知っているが故に、露草先輩の心中は穏やかであるはずがない。
「それがちょうど1年前のことだ。それからは、金にはあまり不自由は無くなったのかもしれないが……父親は心が壊れ、五十鈴のことを妻だと勘違いしている節もあるらしい」
「そんな……」
「それでも五十鈴は、私達の前では気丈に振る舞っている。部長としての務めも果たしている。それは立派なことだ。私に同じことが降りかかったとして、耐えられる自信が無い」
森川先輩の言う通りだと思う。
私にも同じことが降りかかったとしたら、果たして耐えられるだろうか。
母を、そんな形で亡くして、立ち直れるだろうか。
自分のことを母だと思っている父を、父と思えるだろうか。
お金があっても、果たして幸せだろうか。
そんな家庭の中で、勉学を両立出来るだろうか。
生徒会も、退魔部も、全てをこなすことが出来るだろうか。
きっと、私には出来そうもない。
露草先輩は並大抵でないと思う。
「だが…………」
「……?」
その後に続ける森川先輩の言葉は、更に視線を鋭くして、まるでため息でもつくように吐き出される。
「五十鈴は、もう少し私達を頼って欲しいと思う」
「えっ? でも実際、先輩は私を頼って相談を……」
「あいつの場合、相談というよりは、決裁みたいな意味合いだからな……」
「……それってどういう?」
「まぁ、何だ。自分の意見を通すために、裏付けとして必要な意見、ってところか。元々あいつ自身に考えがあって、それを変える気なんて更々無いんだ。ただ、自分の考えを整理するための言葉が欲しいっていうだけ。つまり、私らを頼るつもりは毛頭無いんだ」
言われてみると、そうかもしれない。
あの時の遣り取りというのは、私に意見を求められていたというより、露草先輩の頭の中を整理するために話していただけのように思える。
そういう点では、先輩は私に頼ってなどいなかった。
ただ、整理するための話し相手が欲しかっただけなのだ。
そんな考えはしたくなかったけれど、そう思える節もあることから、ちょっと悲しくなった。
「まぁ、そう気に病むんじゃない。一応、高校1年生から付き合いのある私も、同じ扱いだ。むしろ、一子が五十鈴に、本当に認められているならば……私はお前に嫉妬するしかない」
「その嫉妬は、ちょっと怖いかもです」
「そうだ。私は一途だからな」
そう言って、お互いに笑い合う。
ひとしきり笑ってから、森川先輩は遠い目をしながら言う。
「本当の意味で……あいつを救うことが出来るのは、いつになるんだろうな」
「救う、ですか?」
「あぁ……五十鈴は、本当の意味で他人を信用などしてはいない。その割には、実はすごく恐がりで、あがり症で、強がりなのさ。それを、どうやって信用させてやればいいのかなってさ」
森川先輩は呟くように言って、小さなため息をついた。
その表情は、親友のことを心から心配しているものだった。




