第54話 失うこと
「あの願いのことは内緒にしてね」
それはもちろん、ケルベロスに持って行かれた露草先輩の願いについてのこと。
そう釘を刺されてしまうと、私も同意を意味する沈黙で返す他無い。
でも、私の中では不安がいっぱいだ。
果たして、キーパーが願いを持って行かれるとどうなるのか。
それが分からない状況下で、あのような約束をして良かったのだろうか。
本当にケルベロスに勝てるのだろうか。
そんな不安が、思わずこう口にしていた。
「あの、先輩……本当に良かったんですか?」
「うん? 何が?」
「先輩の願いをケルベロスに持たせたこと……大丈夫なんでしょうか」
「あぁ、そんなこと?」
長く黒い綺麗な髪をふわりとたくしあげると、私の目をまっすぐ見つめてくる。
「大丈夫よ。今回、私達が必ず勝つわ」
「でも、もし負けちゃったら……」
「その時は、私の願いで皆は生き返る。特に問題はないでしょう?」
確かにそう思える。
でも…………
「ケルベロスは、本当に願いを叶えてくれるんでしょうか。それに、キーパーの願いを持って行かれた世代は、全滅してるって」
「そうね。でも、それは無いわ」
私の言葉を制するように。
「私達は、勝つもの」
そう、きっぱりと言った。
「どうして、そう言い切れるのだろう。万に一つとか考えないの? っていう顔をしているわね」
「えっ、あ、その……」
「ウ・ソ♪」
「もう……冗談はやめてください」
力なく言う私を、少し笑った後に、すぐに真面目な顔になる。
そして、私の目をじっくりと見据えた。
「そういうのはね、考えるだけ無駄なのよ」
「えっ……でも」
私の言葉を続けさせないように、露草先輩は続ける。
「もちろん、リスク管理は大事だわ。やることが大きければ大きいほど、不安は一層増していく。でもね、そういうことにばかり気を取られていては、結局何も出来ないわ。踏み出すのも大事なことなのよ」
「それにしたって、今回のリスクはあまりにも!」
「朝生さん」
私の揺れる感情に対して、直立しているかのような先輩。
そんな視線を受けていると、自然に気が安らいでくる。
そして、先輩の一言一句を聞き入れる。
「何かを得るために、私達は何かを犠牲にしている。例えば、私達は、生きるために、動植物を犠牲にしているわ。今の例は、それこそ原始的に生きるための話し。もっと社会的な面で見るなら、貴女が、この学校に入るのだって、何人のライバルを落としたか分からないでしょう? 何かを得るための犠牲は、いつだって付いてくるものなの。それは、今回のことについても同じこと。私が、ケルベロスを倒したいという結果を得るために必要なリスク……つまり、犠牲がこの願いなのよ。その覚悟が出来ない人間は、結局何も得られないわ」
心臓の鼓動が速まる。
露草先輩の言葉が。
思考が。
そして覚悟が。
私の脳を焼く。
ただ、得ることだけを求めていてはいけない。
得るために、失うものを覚悟しなければいけない。
そして、それを恐れおののく者には、結果として何も得られるものは無いのだという。
今までの私はどうだっただろう。
得られること。
与えられること。
そればかり慣れていた気がする。
親が、それこそ色々なことを教えてくれた。
先生が、授業の中で、国語や算数といった社会に必要なことを教えてくれた。
友達から、そして先輩たちから、大事なことをたくさん気づかせてもらった。
貰うことに慣れすぎている自分に気がついた。
そして、失うことを酷く恐れていることにも気付いた。
いつも、自分が何かを失わないようにしてきたんだ。
親に言われるままに部活を選んだのも。
親に言われるままに学校を選んだのも。
親からの信頼を失いたくないからだ。
友達に嫌われるのも嫌だ。
自分が得たものを失うのが嫌だ。
そうして生きてきて。
結果として、自分というものがよく分からなくなっていた。
だから、自分で決めなければならない、という状況になったときに、決めることが出来ない。
自分で決めたことが無いから。
周りに言われるままに。
失わないように、ただ日和見していただけだから。
そうやって自分を持っていなかったから。
今、私はそんな状態になっていた。
「ねぇ、朝生さん。朝生さんは、どうしたい?」
露草先輩に問われた、この質問。
すぐに頭に浮かんだ一つの答え。
これは、誰に言われたものでもなく。
誰かのためのものでもなく。
私自身のためのもの。
私の答えは……
「露草先輩を守ります。そのためにも、私はケルベロスを倒します!」
「うん、満点ね♪」
笑顔の露草先輩は、いつもよりとても輝いて見えた。




