第53話 交換条件
「歓談中、邪魔をする」
「いいえ、あなたを待っていたんですもの。歓迎しないわけにはいかないわ」
相変わらず、この2人の間には、妙な空気が流れる。
駆け引きは既に始まっていることを物語るようで、私の緊張は一層高まってしまう。
「さて、話し合いの結果はどうだっただろう。快く受け入れてくれるのであろうか」
「大方は良いのだけれど、条件があるわ」
「ほう、聞けるものなら聞こう」
ケルベロスを睨みつける……とまでは行かなくとも、若干険しい目つきで、目の奥まで覗きこむように視線を合わせる。
「まず1つ。決戦は「バルティナの歪み」以外の日に行うこと」
「もとより。だが心得た」
「2つ。決戦は、時間を置いて欲しいこと」
「どのくらいだ」
「今から10日後」
「断る」
間髪入れずに否定するケルベロス。
私は思わず焦ってしまったが、露草先輩は冷静に切り返す。
「でも、この条件を満たせなければ、全力の私達と戦うことが出来ないわ。それでもいいの?」
小さくため息をつくケルベロス。
そして、呆れたような口調で言う。
「では、貴様等に1つ教えておこう。人の願いは、大抵は4日程で消える。ひどいときは2日で消えてしまう。まぁ、余程の大願ならば消えないこともあるが、今回はそれには当たるまい」
「えっ……?」
思わず2人同時に声を出してしまう。
この事実については、露草先輩もかなり驚いたようだった。
「……それは何故?」
当然の言葉を口にする。
「バルティナの歪み」から出てきた悪魔は、初日に願いを持っても無駄ということだ。
それでも、殲滅戦では、それこそ数多な悪魔が願いを持ち帰ろうとしているのを目の当たりにしている。
疑問を抱くのは無理もないことだった。
「それはむしろ、人である貴様等にこそ分かるのではないか? ふと望んだ願いなど、そう長くは覚えていないものだ。当人が記憶から失った願いは、やがて輝きを失い、最後には消えてしまう」
そう言われれば、そうなのかもしれない。
例えば、ちょっと「ケーキが食べたい」と思ったとして、その願いを持ったとしても、それはずっと願っているようなものではない。
下手すれば、その日にケーキを食べて、それで満足して終わってしまう。
それこそ、あっという間に消える願いだ。
悪魔が勝手に願いを持ち帰ることばかり気にしていたけれど、生物が願う強さそのものには、全く気を留めていなかった。
「今回の場合、貴様の父の願いは、呟き程度のものだ。故に、5日がいいところだろう。その条件を受け入れた場合、貴様の父の願いは消失し、この戦いの条件を満たさなくなる。故に、却下だ」
私は、思わず愕然とする。
この条件が呑まれないということは、つまり、千里が戦闘に参加出来ないということだ。
それはつまり、早くも作戦に陰りが生じるということ。
そう思うと、気が気ではなかった。
「なるほど、それは初耳だったわ」
それでも、露草先輩は冷静だった。
ゆっくりと言葉を返し、毅然としてケルベロスと相対している。
「でも、その条件を呑んでくれないと、私達は100%の力を持ってあなたと戦えないわよ?」
「ほう、それは何故かな?」
「樫木さん……エクスカリバーを具現化した子だけれど、あの子が想像以上に力を消費してしまっているの。次回の「バルティナの歪み」も参加出来ないくらいよ。だから、それは無理なお話。最低でも10日後よ」
「ほう…………」
「どうする? 私達は、どちらでもいいわよ」
強気の発言をする露草先輩。
でも、交渉事である以上、そのくらいでないといけないのだろう。
私も、それに合わせるように毅然とすべきだ。
そう思うと、私も姿勢を正して先輩の横に立つことが出来た。
一方のケルベロスは、顎に手を当てて何やら独り言のように話してくる。
「確かに、全力で当たれる貴様等で無ければ意味がない。だが、同時に、貴様等が必死に俺と戦う程の願いを持たねば、なおも貴様等の力を引き出すことは出来まい。となれば……」
僅かな思考の時間を置くと。
「別の願いを所望する」
随分な事を言ってきた。
本当に、どこまでも人を馬鹿にしている。
そんな条件、飲めるはずがない。
「それはまた、無理難題ね」
露草先輩も同じ意見だったようで、ケルベロスにそう告げる。
「だが、貴様等の本気を引き出さねばならないからな」
「私達はいつでも本気なんだけど」
「それは分かっている。だが、俺が願いを持っているという事実は、貴様等に危機感を持たせることが出来る。その危機感は、貴様等の力を更に引き出せる場合があるのだ。故に、外せる条件ではない」
一理あるだけに、返答がしづらい。
私なんかは特に、危機が迫った時にこそ、力を発揮している気がする。
「……それで、どんな願いなら満足するのかしら」
「貴様等が本気になれるものならば、何でも良いだろう」
「それが果たして私達を本気にさせる条件なのか、疑問ね」
「それは俺の価値基準次第だ」
「……そういう意味で言ってるんじゃないって、分かってるでしょう?」
「無論だ」
互いにニヤリと笑う。
恐らく、露草先輩のニュアンスとしては、お父さんの願いをこの場で捨てろ、ということなのだろう。
それにしても、この2人……
違う形で出会っていれば、実はとても相性が良いのかもしれない。
「このままでは平行線ね。どうにか折れてくれないものかしら。私達は、あなたが願いを持っていようがいまいが、必死で倒しに行くのだけれど」
「残念だが、こちらとしても手札は多い方が良いもの。事実、こうして交渉の種になっている」
「揉め事の種じゃなくて?」
「どう取るかは個々人故な」
言ったきり、互いに沈黙が続く。
どれだけの時間が過ぎたかは分からないけれど、その沈黙を破ったのは、先輩からだった。
「仕方ないわね。じゃあ、私の願いを持って行きなさい」
「先輩っ?!」
その驚愕の一言に、私は感情を露わにしてしまった。
言われたケルベロスも、これには意外という声をあげる。
「ほぅ……大きく出たな、露草の巫女。こちらはむしろ万々歳だが、それで良いのか?」
「えぇ、でも条件が一つ」
「条件をつけるのが好きな奴だな。して、何だ?」
「今、私が言うことを、必ず実行なさい。決戦後、もし私達が負けた場合、次の「バルティナの歪み」の時に、必ずその願いを叶えると」
「それは約束しよう。決戦後の解放日に、必ず貴様の願いを届ける。して、願いは何だ?」
「それは……」
小さく深呼吸をした後、露草先輩はこう続ける。
「あなたとの戦いで、死んだ者がいれば蘇生させること。怪我を負っているならば、全ての怪我を治すこと。そして最後に……決戦後の「バルティナの歪み」は、悪魔が出てくる前に完全に締め切ること。以上よ」
それを聞いて、ケルベロスが笑いを浮かべる。
そして、その笑いは、少しずつ大きくなり、最後には大きな声をあげて笑い出した。
「はっはっはっ! 考えたな、露草の巫女。それならば、貴様等が負けたとしても、復活出来る。だが、俺が倒されれば、それで仕舞いというわけか。しかも、解放日のことすら視野に入れるとはな! いやいや、これは僥倖っ!」
ひとしきり笑ってから、ケルベロスはこちらに向き直る。
「こうもしてやられると、もはや俺も無条件に呑んでやりたくなるわ」
「それなら、引き受けてくれるわね?」
「もちろんだ。今、こうして受け取った」
目の前には、さらに大きな願い。
そして、最初に持っていたと思われる願いを横に置く。
すると、少しずつ輝きが消え失せて、最後には何もなくなっていた。
「では、決戦は10日後よ。ゲートのあるいつもの空間で、時間はいつもの時間。あと、例の報酬は今貰えるのかしら?」
「先払いとはいえ、戦闘開始前であればいつでも良いだろう?」
「……今は貰えないのかしら」
「指定は無かった故、開戦前ということにさせてもらう」
「失敗したわね」
「失態だな、露草の巫女」
少し苦い顔をする先輩に対し、口許を弛ませ、悪意のある笑いを浮かべるケルベロス。
何か言ってやりたい気もするが、それは余計な手出しになりそうなので、そこは控える。
「では、決戦の日を楽しみにしているぞ」
「首を洗って待っていなさい」
「長くして待っていることにしよう」
ふと気が付けば、またもケルベロスはいなくなっていた。




