第49話 交渉対部員
「あまり分の良い取引ではないな」
森川先輩が、話を全て聞いた後に放った言葉だった。
「そうですね。仮に朝生さんがキーパーになった理由が分かったとしても、あまりこちらには利が無いです」
「ボクもそう思うなー」
「私も反対でーす」
狩野姉妹の否定的な意見。
ついには千里まで反対票を入れる。
かく言う私も、あれから頭をしっかり整理した上で、反対に投じるしかない。
理由はといえば…………
「あら、厘さん。どうして?」
「まず、一子がキーパーになった理由が分かったところで、私達にはどうしようもないということだ。仮に、私達の仮説が正しく、どの悪魔が一子と死別した兄弟なのかが分かったところで、魔界にいる悪魔本体を叩くことなど出来ない。そもそも、一子には兄弟はいなかったという。それなら、なおさら聞くまでもないだろう」
うんうん、と全員が頷く。
私も同意見のため、思わず首を縦に振る。
「なるほど、他にあるかしら」
「もちろんだ。その、五十鈴の父の願いを持っているというならば、素直に捨てさせるべきだ。五十鈴自身が願っていたとしても、それは父親のカルマを代償としてでも叶えるべきものなのか……キーパーであれば、そんな愚問を改めて聞く必要はあるまい?」
「そうね。他には?」
「ケルベロスとはいえ、ディアボロスが本当に約束を守るかどうかは、不確定要素となる。どちらにせよ、五十鈴の父の願いを持っているというなら、今回も今まで同様に、討伐なり閉門してしまえば良い。そんな取引は不要だ」
森川先輩がおおよそ皆の理由を述べてしまったようで、首を縦に振るばかりだった。
「なるほど、だいたいみんな同じ意見ね。違うところがあれば聞くけど」
そこで、おずおずと手をあげる私。
「じゃあ私から一つ希望といいますか……」
「はい、朝生さん」
指されたので、何となく席から立ち上がった。
「私は、キーパーになったことを、悲観的には思っていません。むしろ、こうして退魔部に入れたことは、嬉しく思います。それなのに、私がキーパーになれたことの根元を断たれるのは、むしろ反対です」
「それは……」
「私はな、一子、お前がここにいることそのものが不自然だと思っている」
露草先輩の言葉を遮るように、森川先輩が口にした。
「えっ、でも……」
「お前は、知らなくても良いことまで知りすぎてしまったに過ぎない。それに、お前が戦えるようにしているのは、単純に戦力不足という観点からのものではない」
「残念ながら、そういうことなのよ」
今度は、森川先輩を制するように露草先輩が口を挟む。
「私達は、本当にリスキーな仕事をしていると思う。悪魔と対峙するというのは、命を危険に晒す仕事であるのに、相応の報酬も貰えないお仕事なのよ。その危険な仕事を、本来、宿命を背負うべきでない普通の人に押しつけたくはないの。あなたの力を育てた一番の理由は、自分1人で戦えるようになって欲しかったから。実は、ただそれだけなの」
何か言いたげな森川先輩だったが、引っ込むように椅子に座る。
「もし、朝生さんが普通の生活に戻れる方法があるというなら……私は、貴女の意思に関わらず、元に戻すでしょうね」
「そ、そんなっ!」
「ウ・ソ♪」
思わずずっこける。
そこでそう来たか。
「ま、仮の話はここまでよ。ケルベロスも、朝生さんがキーパーになった理由を話すだけで、朝生さんを普通の人に戻す方法を教えるわけじゃないしね」
まぁ、それもそうだ。
ちょっと話が飛躍してたかもしれない。
胸をなで下ろしていると、露草先輩は総括するように口にする。
「とりあえず、今回の、ケルベロスの提案は断る。これがみんなの意見ということね」
「そうなるな」
露草先輩の言葉に、森川先輩だけでなく、他のみんなも同意する。
そんなみんなに同調するように、露草先輩も頷きながら。
「そう……それじゃあ、私の意見とは真っ向から対立することになるわね」
「……なんだと?」
そう言い放った。
予想もしない言葉に、眉をひそめる森川先輩。
私も。
そしてみんなも。
驚きを隠せない。
「これほどの好機は無いわ。この機会に、ケルベロスを倒すのよ」
言い切る先輩に、全員が言葉を返すことが出来ない。
そんな私達に説明するように、ゆっくりと口を開く。
「先輩たちの記録を見ていると、ローレライが出てきたのは、実はここ最近のこと。それまでは、ケルベロスが最強と言われていたわ。その理由は2つ。1つは、あまりに速すぎる故に、攻撃すら当てられないこと。2つ目は、雷の攻撃が強力であるが故、簡易的な障壁を持ってしても貫かれてしまうこと」
ふと思い出すのは、ケルベロスが出てきたときだ。
露草先輩の護方結界は、ケルベロスの雷によって、いとも簡単に破られていた。
つまり、護方結界ですらも「簡易的な」障壁に該当してしまうということ。
もう一つ思い出すのは、愛さんがケルベロスの雷を何度も弾いたこと。
かなり集中させていたようだけど、それでもつらそうだった。
つまり、ケルベロスの雷を防ぐには、愛さんの防御壁しかないということだ。
素早い動きについては、今更確認するまでも無い。
あの動きは、文字通り、目にも止まらない早さだった。
「今のところ、ケルベロスを相手にした時のゲート通過率は100パーセント。ティターンやユニコーンは、撃破こそ出来ていなかったものの、阻止をしたことは何度もあるわ」
「つまり、一番の厄介者であるケルベロスを、この機会に倒してしまおうと。そういうことか」
「その通りよ」
しばしの沈黙。
重苦しい雰囲気の中、重々しく森川先輩が口を開く。
「それが、お前の答えか、五十鈴」
「えぇ、そうよ」
「もし失敗すれば、お前はどこの誰とも知らぬ男と結婚するのかもしれない。女が何歳から結婚出来るか、知らないわけでもあるまい?」
「えぇ、分かっているわ」
私も知っている。
女性が結婚出来るのは、16才からだ。
ということは、ケルベロスが願いを叶えた場合、法律的にも問題無く、露草先輩は結婚してしまうということになる。
「それでもいいんだな? 父親のカルマを汚され、お前の将来が閉ざされてでも、この戦いをするべきだと。そういうことなんだな?」
まっすぐ見つめる……
いや、静かに睨み合う先輩たち。
しばらく視線を合わせていると、露草先輩が口許を緩めた。
「さっきから負けた時のことばかりね、厘さん。そんなことじゃ勝てないわよ?」
その言葉には少々カチンと来たのか、森川先輩の声にも怒気がこもる。
「あのケルベロス相手だ。慎重にもなるだろう。それとも、五十鈴……お前には策でもあるというのか? お前も知っているはずだ。視線では追えないスピードと雷による攻撃。あれをどう防ぐというんだ」
「策ならあるわよ」
「なにっ……」
一瞬、森川先輩がたじろぐ。
その様子を見た露草先輩は口許を緩めていた。
「……そうなのか?」
「もちろんよ。その証拠に、私は数分間、ケルベロスと1対1で戦えたわ。それも、私が以前から考案していた対ケルベロス戦術があったからよ。1人では限界があったけど、皆と一緒ならもっと上手く出来る。まぁ、皆でやる作戦は、まだ完成に少し時間が必要なんだけどね」
「それなら……」
「でも、だからこそよ」
森川先輩の視線を弾くように見返す露草先輩。
そして、
「これは絶好の機会……ケルベロスを倒すわよ」
そう言い切った。




