31話 樫木さんから見る今のじゃぱにーず
母に話しをすると、泊まりを許可された。
というより、後日お礼をするから泊まらせてもらいなさい、と言われた。
確かに、時間的には8時を超えているし、住所はというと、私の家からは正反対の位置だった。
バスはといえば、実は既に終バスが行ってしまっていた。
電車が通っている場所でもない。
となると、今から帰ろうとすれば、家に着くのは早くて10時。
車の運転免許を持っていない母は、迎えに来ることも出来ない。
という状況を鑑みて下した、母の判断だった。
樫儀家の食事は、質素なもの。
ただ、家庭菜園の、採れたてである季節の野菜を、色々と手を凝らしたメニューは、このご時世では、むしろ贅沢なのかもしれない。
そして何より、味付けが絶妙で、とても美味しかった。
樫儀さんとお父さんとの調理場は息がぴったりで、見ていてため息が出るほど。
次々と出される料理は、ほぼ野菜しかないのに、全く飽きがこなかった。
どうするのかと思っていた布団も、樫儀さんの部屋に2組が敷かれている。
立って半畳寝て一畳とはこのことか。
かくして私は、4畳の部屋で樫儀さんと並んで布団を被っていた。
「一子、今日は家に来て驚いたですよね」
「えっ……そんなことないよ?」
「嘘はダメでーす。一子、最初はちょっとびっくりしてたです」
まぁ、それが本当だったので、思わず黙り込んでしまう。
「教会は、決して儲かる仕事じゃないです。大きな教会から毎月お給料のようなものが貰えるだけで、生活はこの通りでーす。でも、私はこの仕事がしたいです」
「何で? とても大変そうだけど……」
「そうですねー。仕事も大変だし、生活はもっと大変です。でも、私はこの仕事をするのが憧れだし、実際にやっていても楽しいです。それはきっと、やりたくない仕事を、いっぱいのお給料を貰ってやるよりも、よっぽど良い人生が送れると思うです。少なくとも、私はパパに話しをして、そう言われたです」
「でも、やっぱりお金がないと……」
「それは本当にその通りです。お金で買える幸せもあるし、命もあることはよく分かってるつもりです。お金が無いと、今日みたいにおいしいケーキも食べられないですしね。でも、お金のために働くっていうのは、やっぱり粉末弁当な気がするです」
「本末転倒ね」
「それでしたー」
もしかしたら、わざとではなかろうか。
なんて、勘ぐる意味もないのでやめることにする。
「でもね、一子。おかしいと思いませんか? 生きるためにお金が必要なのは分かるけど、私たちはお金のために生きてるわけじゃないです。それなら、生きていく中でお金が得られるほうが、きっと幸せだと思うです」
それは、きっと価値観の違いなんだと思う。
お金が大事な人は、世の中の大半を占める。
そのために働いている人がほとんどのように思える。
お金がたくさんあれば、自分のやりたいことをやるんだろう。
やりたいことの先にお金があるのは、ただの理想論でしかない。
そう思っているはずなのに。
樫儀さんの言葉は、私の心を確実に刻んでいる。
私の中でも、働くっていうのは、お金を稼ぐための手段だと思っていた。
でも、樫儀さんの考えは、そのまったく逆を行くもの。
目から鱗のことばかりだった。
「一子は何になりたいですか?」
「えっ? う、うーん……」
思わず唸ってしまう。
やっぱりというか。
私の中では、なりたいもの、という未来像がはっきりしていない。
このまま何となく高校で勉強をして、大学に入学して、どこかに就職して、結婚して、家庭を持つのだろうか。
それは、本当に漠然としたイメージであって……
何かになりたい、という夢ではない。
「きっと、普通に進学して、普通に就職するのは、悪い道ではないです。むしろ、この住みにくい日本っていう国では、一番楽な道だと思うですよ」
「住みにくい? 一番楽?」
どうにも疑問符をつけたい言葉が多い。
日本は住みやすい国だ、とよく言われる。
それに、これだけ勉強して頑張って。
それが辛いのに。
一番楽だと言われても、何だか飲み込み難い。
「私は、まだ日本にきて僅かですけど、この国で普通に生きるのは大変な気がします。普通の水準が高くて、それに乗っかるのがとても大変です。私たちの生活は、日本では水準よりも下だと思うけど、私は十分満足してます。これ以上を求めることはしないです」
なるほど、確かにそうなんだろう。
日本人は、周囲に合わせようとするし、比較したがる。
だから、今以上の生活を求める。
それを肯定することは、決して悪いことじゃないはずだ。
だからこそ工夫をするし、だからこそ頑張れる。
「極論を言っちゃえば、きっと価値観の差。そうなんだろうね」
「そうですねー。でも、仕事を苦に自殺する人が一番多い国です。私には理解に苦しみます。きっとみんな、お金のために働いているからだと思うです。好きなことで働いた結果にお金があれば、そういうことは無いと思うです。だから、一子にも頑張って自分のしたいことを見つけて欲しいでーす」
「うん、そうだね。ありがとう、樫儀さん」
「うーん、前から思ってたですけど……一子、私のことは名前で呼ぶでーす。千里って」
「えっ、ちょっと恥ずかしいなぁ……」
「呼んでくれないと絶頂でーす!」
「それを言うなら絶交」
「それでーす」
お互い笑いあう。
ひとしきり笑ってから。
「もう寝よっか」
「そうですねー。明日も学校です。朝早いですよー」
「うん。おやすみ…………せ、千里!」
最後にポツリと呼んで、布団にくるまった。




