23話 狩野愛
目を開けると、そこには見知らぬ天井。
いや、あまり普段は見上げない天井、と言うべきだろうか。
この形は、誰しもが想像のつくもの。
エンジンの音が下のほうから聞こえる。
小刻みに揺れており、その揺れに合わせて、私の身体は小さく跳ね上がる。
でも、頭のほうは、あまりその振動の影響を受けていない。
何か柔らかいものに支えられているようで、どんな枕よりも心地よく思えた。
その枕にもっと埋めたい。
そう思い、身体を反転させ、顔を小さく左右に振る。
想像通りの心地よさに、顔をにんまりさせていると。
「こら、調子に乗ったらダメですよ」
頭を軽く小突かれる。
それでようやく自分のいる場所を完全に理解出来た。
移動する車の中。
後部座席に寝ている私は、誰かの膝枕に顔を埋めていた。
誰かというのは、誰かと言うと…………
「……ごめんなさい、愛さん」
「素直でよろしい」
謝る私を素直に許してくれる愛さん。
それはともかくとして、愛さんの太ももが、ほどよい柔らかさで、とても気持ちよかった。
「何考えてるんですか?」
「いえ、別に」
私の邪な考えを読みとるかのように、そう聞いてくる。
思わずはぐらかしてしまった。
「そういえば、この車って……」
「あ、はい。今、朝生さんの家に向かっています。残念ながら、眠りこけていたので、レイの車は朝生さんに決定になりました」
「例の車?」
「ふふ、それは降りてからのお楽しみにしておきましょうか」
小さく笑う愛さん。
まだ気だるさの抜けない私は、まぁいいか、と軽く流すことにする。
それを見た愛さんは、安心したような笑みを浮かべた。
でも、それも一瞬のこと。
窓の外を見ながら、憂いの表情を露わにする。
「京ちゃん、朝生さんを守るために、あんな願いを……」
呟くような言葉。
私に問いかけたわけではないことは分かっているのだけれど、つい言葉を返したくなった。
「京さんは、愛さんに好きな道に進んでほしいみたいです」
お節介なのは分かっている。
余計なお世話なのは、承知の上。
でも、ここで話さないといけない気がした。
「その気持ちは嬉しいんだけどね。私はやっぱり、京ちゃんにこそ好きな道に進んで欲しいの。家を継ぐのは、私の使命でもあるし」
「そんな頑なにならなくても……」
その言葉に、愛さんはしばらく沈黙する。
何かを押し殺すように、身体が小刻みに震えていた。
「……ごめんね。言い方は悪くなっちゃうけど、他人の家のことは、とやかく言わないほうがいいですよ。特に、ウチは特殊な家系ですから、普通の家とは違うんです。宗家たる鹿子の家が決めたことには逆らえません。長男・長女が家を継ぎ、他の子は俗世に送り出す。最初に産まれた長男もしくは長女だけが家に残り、他は養子に出されるのです。どうです? それだけでも、普通の家じゃないでしょう?」
思わず閉口してしまう。
それは確かに驚きだ。
そこまで徹底した血筋の管理をしているなんて、普通の家の感覚ではあり得ない。
でも、それだからこそ、言えることがあった。
「確かに、そこまでやるのは、普通の家ではあり得ないことです。でも、それなら、なおさら言えますよ」
「何をですか?」
「その宗家さんが、まだ迷っているんです」
「…………?」
いまいち要領を得ていないようで、頭にハテナマークを出している愛さん。
「長男長女以外は養子に出される。それなら、愛さんと京さんは、もう一緒に生活出来てないはずじゃないですか」
「あっ……」
目から鱗、といった表情を浮かべる。
言葉が出ないのか、私の言葉を待つように沈黙が続く。
「きっと、2人を見ているんです。どちらが跡継ぎとして良いのか。まだ決めかねているんですよ。そんな中で、意欲のある方を好意的に見ないことはないですよ」
「でも、京ちゃんは……」
「京さんは、家を継ぐのはむしろ望むところって言ってましたよ」
「そんな嘘は……」
「私との雑談の中で、そんな嘘を言う必要がありますか?」
閉口する愛さん。
正直なところ、喋るのも億劫だけれども、懸命に言葉を繋ぐ。
「京さんは言ってました。将来が決まっていないっていうのは、大変なんだろうけども、それだけ良いことなんだって。私なんかは、将来が決まってて羨ましいなんて思ったんですけどね。そう言ったら、京さんに怒られてしまいました」
「……そうですか」
「愛さんは絵描きになりたいんだろうって、そう言ってました」
「……そうですね。その通りです」
「私は、京さんのその気持ちを伝えればいいんじゃないかって言いました。そしたら」
「それは私が許さない。ですか?」
「さすがですね」
懸命に笑みを浮かべたつもりで、苦笑いのようになってしまう私。
身体は悲鳴をあげているけれど、ここで話を切るわけにはいかない。
「それが愛さんだからって……それっきりでした」
「……そうですか」
表情が読みとれない。
でも、身体が小刻みに震えているのが、膝枕をされている私の頭に響く。
「話し合ってみませんか、京さんと。頑なにならずに、お二人の気持ちをぶつけあえばいいと思います。そうすればきっと、お二人にとって、もっと良い方向に行くと思うんです。そして、私も含めて、みんなで悩んでみませんか? これは、普通の家に生まれて、今は、将来どころか部活すら悩んで悩んで決めかねていた、普通の人からの、余計なお世話です」
これに対する返事は無い。
ただ、小さく震えている。
しばらくして、私の頬に、雫が落ちた。
涙。
この涙の意味に、私が分かったようなことを言うのは、それこそ失礼というものだろう。
ただ、あえて言うなら、堰が切れたということ。
懸命にお姉さんとして振る舞い、家のために自分を殺してきた、頑張りやのお姉さん。
将来の夢を持ちつつも、それを捨てることで同い年の妹を守ろうとしていたお姉さん。
そんな重圧から少しばかり解放された、愛さんにのみ許された涙だった。
「私に、それが許されるのかな……」
「仮に本家の人が許さなくても、私と京さんが許しますよ。大丈夫です」
「……そうですね。ありがとうございます」
喋るのも辛くなってきた。
意識が遠くなっていく中、かすかに見えたのは、愛さんの、涙で濡れた笑顔だった。




