22話 激戦の果てと代償
「アアアアアアアアッッッ!」
樫儀さんの悲鳴が部室に響き渡った。
私はそれを、耳を塞ぎたくても塞げず、ただ耳に入れることしかなかった。
ティターンを倒した、その後。
ディアボロスであるティターンを倒し、意気揚々となっていたみんなだったのに、戻ってきた目の前にある自分の身体を目の前にして、戦々恐々となっていた。
「自分の身体がこれほど怖いものとは思わなかったぜ」
「ホントでーす……」
「まぁ、でも戻らないわけにもいかないわね……」
あれから少しして復帰した京さんの言葉。
そして、樫儀さん、露草先輩がそれに続く。
「そ、そんなに怖いんですか?」
「一子も覚悟したほうがいいでーす。あれだけ力を使って、身体が無事とは思えないでーす」
「そうね。かなり気だるくなるから、覚悟だけはしたほうがいいわよ」
「そ、そうですか……」
そう脅されると、やっぱり戻るのが怖くなる。
「とりあえず、先に愛さんが戻って、色々準備してもらえるかしら? 特に樫儀さんの肩には薬を。そして、簡単でいいからギプスをお願い。私たちには、大量のお水がほしいかな」
「はい、分かりました」
「私も手伝おう」
愛さんの承諾に、森川先輩が追従する。
「では、お願いします。朝生さん、まだ戻らないでね」
「は、はい」
そんなやりとりをしているうちにも、森川先輩と愛さんが身体に戻っていたようだ。
森川先輩が戻った瞬間、少しばかりバランスを崩したように見えたけれど、その後はそんな素振りは見せることなく、キビキビと動いている。
椅子を人数分用意し、座らせてくれる。
丁寧に、椅子を向かい合わせにして、脚まで乗せて楽な姿勢を取らせてくれていた。
一方の愛さんは、部室から救急箱を持ってくると、手際よく手当をしている。
「…………怖いねー」
手当を受ける自分の身体を見て、俄然恐怖が増したのか。
声は大袈裟なほどに震えている。
「そ、それじゃお先にね」
私は、意を決して飛び込む。
幽体離脱する時とは違い、戻るときは簡単に戻れる。
自然は安定した系を求める、とでも言うのか。
幽体であることより、身体に宿るほうが自然であるが故だろう。
身体に重なるだけで、私の魂は身体に納まっていた。
途端。
プールから上がった瞬間がずっと続くかのように、身体が重くなる。
全身に錘でもつけられたようだ。
椅子にべったり付くように、身体を預けたまま動くことが出来ない。
何とか動かせる首だけを動かして周囲を見ると、同じような状態の露草先輩が、愛さんに水を飲ませてもらっていた。
私の様子に気付いた愛さんが、こちらに向かってくる。
「おかえりなさい。今、お水をあげるから、ちょっと待っててくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます……」
何とかそれだけ言うと、愛さんはその開いた口にコップをつけてくれる。
(あれ、このコップ、もしかしてさっき露草先輩も使ってた……)
などという思考が過ぎるも、気だるさがそれを上回り、何の気もなくコップから水を飲む。
その瞬間。
一滴一滴が、口を潤わせ、喉を流れ、身体の隅々にまで染み渡っていく。
生命の水とはよく言ったものだけれど、これほどまでにそれを実感したことは無い。
「その顔は、随分と効いてるみたいですね。でもこれ、ただのミネラルウォーターなんですよ?」
そうなんですね、と応えることも出来ない。
ただひたすら、身体全身の気だるさと、染み渡る水の感覚に浸るばかりだ。
「よし、今日の本命だ」
そんな惚けている私を横目に、森川先輩が緊張感をむき出しにした声を上げる。
首だけを辛うじて動かして声の方向を見ると、そこには樫儀さんの身体があった。
左肩には、これでもかというほど包帯が巻かれ、腕はギプスでしっかり固定されている。
ふと思い出す。
樫儀さんは、ユニコーンの角で肩を貫かれている。
そして、その痛みは、幽体の時には無く、身体に戻った時に感じるという。
肩が何かを貫通する痛み。
正直なところ…………
かなり痛い、という曖昧な想像しか出来ない。
「よし……愛、準備はいいな」
「……はい」
2人は、樫儀さんの身体をしっかりと押さえつけている。
愛さんからは、緊張のせいか、額から嫌な汗が出ているのが分かる。
「降りるぞ。3、2、1……」
カウントをした、その一瞬後。
「アアアアアアアアッッ!」
樫儀さんの悲鳴が部室に響き渡った。
のたうち回る樫儀さん。
肩を押さえようにも、拘束するギプスと愛さん、森川先輩に阻まれている。
「落ち着け、まずは落ち着けっ!」
「樫儀さん、頑張って……!」
「アアアアアアアアッ!」
2人の声が聞こえているのかどうか分からない。
けれども、次第に樫儀さんのささやかな抵抗は薄れていく。
最後には、ぐったりした様子で天井をぼんやり見つめていた。
「よし、何とか受け入れたようだな」
「初めての幻想痛覚なのに……すごいですね」
「まぁ、ランバートの分家というのは伊達ではない、ということだろう。他を見てくるから、愛は千里を頼む」
「あ、はい。よろしくお願いします」
そう言うと、森川先輩は私の横に付いてくれた。
「全く、無茶をして……」
困ったような、うれしいような顔をして、私に水を飲ませてくれる。
そんな先輩の姿を見ていると、私は感謝する気持ちはもちろんのことだけど、それ以上に嬉しかった。
先輩の介抱に感謝するのは当然にしても、それ以上に自分が役に立っていることが嬉しかった。
こんなヘトヘトになるまで、私は頑張ったのだと思うと、この倦怠感も心地よく思える。
これが、やりきったということなのだ。
「一子、顔がにやけているな。何を考えている」
何か喋ろうにも、それすらも億劫になっている。
口を少し開けるに留まる私に、森川先輩は首を横に振る。
「まあいい、今は喋るな。しかし、あれだな。これだけの被害となると、これは迎えを頼むしかないか」
「そうですね。じゃあ、手配しますよ」
「……いつも、すまないな」
「いえいえ、気にしないでください」
携帯電話を取り出す愛さんは、通話相手に二言三言だけ伝えると、すぐに通話を切る。
「無事、5台確保出来ました。ただ、1台は……」
「あぁ、レイのやつか。ジャンケンで決めるしかないな」
「それしかないみたいですから、仕方ないですね」
そんなやりとりを聞いている間も、私の気だるさは一層増していく。
何だろう、ここまでひどいのは初めてだ。
指一本動かすにしても億劫だ。
考え事をしていると、愛さんが横に付いてくれる。
「幽体では、全てにおいて肉体の制限が掛かりません。だから、肉体に戻ったときに、その疲労は大変なものになる。痛覚だけでなく、無理をした疲労も、全て肉体に表れてしまうんです。もちろん、幽体になった時の運動の疲労が、全部現れるわけじゃないですけどね」
なるほど、だから今までに感じたことのない疲れなんだ。
肉体の限界を越えた行動なんて、今まで出来たはずがないんだから。
そう思うと、急に眠気が襲ってきた。
ちょっとだけ。
そう、ほんのちょっとだけ眠ろう。
そう心で呟きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。




