13話 邂逅
「それでさー、愛ちゃんったら、そこで転んじゃってねー」
「へぇー、何かそういうのも可愛いですよね、愛さんって」
「わかるー? そうだよね、そうだよね! 愛ちゃん可愛いよねー!」
「あはは……」
討伐体験というのは名目にすぎないのか。
京さんは、卒塔婆を担ぎ出してからは、ずっと愛さんの話ばかりしている。
別に、その話を聞いているのは楽しいし、決して気の悪くなる話でも無いのだけれど……
不思議と乾いた笑いがこみ上げる。
「ま、その可愛い愛ちゃんを守るのが、ボクの使命だと思ってるよ」
「それはきっと、愛さんも心強いと思ってますね」
「えへへー、まぁねー!」
お世辞のつもりはないけれど、半分は社交辞令で言った言葉を真に受けている。
「実際さ、愛ちゃんは家を継がないといけないって思ってるみたいなんだよね。長女だからってさ」
「……ということは、京さんたちに上の兄弟はいらっしゃらないんですね」
「うん、上も下もいないんだ。だから、自分が継がないとって、結構真剣に考えちゃってるみたい」
「そうなんですか……」
そういえば、仏教の家だって言ってたっけ。
双子とはいえ、生まれた順番で、やはり長女が家を継ぐということなのだろうか。
「でも、ちょっと羨ましいかもです」
「えっ、何が?」
私の言葉に、京さんがびっくりした感じで聞き返してくる。
「だって、将来はもう決まってるんですよね。それなら、これから先、色々と悩むことは無くなるじゃないですか」
「う、うーん。なるほどぉ……そういう考え方もあるかぁ」
珍しく腕組みをし、難しい顔をしながら唸っている。
「まぁ、確かに。お互い、無い物ねだりなのかもしれないね」
「無い物ねだり?」
「そうそう。例えば、愛ちゃんから見ると、将来が決まってないいっちゃんは、すごく羨ましく思えるよ」
「えっ、何でですか?」
「何でって。そりゃ、これから先のことを自分で決められるんだよ? 確かに、色々考えて、色々迷って決めていくんだろうし、大変なことなんだろうけどさ。その選択が出来るっていうのは、いいことだと思うよ」
そう言われると、そうなのかもしれない。
たくさんの選択肢の中で、家を継ぐ、という選択もあり得るのだ。
最初から家を継ぐ、という選択肢しか無いのとでは雲泥の差なのかもしれない。
「愛ちゃんはさ、本当は絵描きになりたいみたいなんだよね」
呟くように京さんが口にする。
そう言われて、ディアボロスの挿し絵を思い出した。
恐らくはイメージだけで描いただろうその絵は、とても綺麗に描かれていたっけ。
イメージだけであれだけ描けるのは、正直すごいと思う。
「そういえば、とても綺麗な絵を描いてましたよね」
「そうそう。だから、ボク的にはさー……」
なるほど、分かった気がする。
要は、京さんは、愛さんが好きな道に行って欲しいのだ。
「まぁ、ボクの考えだけどね。ボクは実際、家を継ぐこと自体は嫌でも何でもないし、むしろそっちの道に行きたいんだけどさ。宗家の考え方とボクの考え方はやっぱり違うし、色々言っても仕方ないんだよねっ!」
そういう京さんだが、心の底からは、そう言っていない気がする。
むしろ、京さんが家を継ぎ、愛さんが自由になって欲しいと。
そんな気持ちが見え隠れしていた。
「あの……」
「うん?」
余計なお世話。
そう思いつつも、つい言葉を挟む。
「それなら、京さんも、そう愛さんにお話してみては? きっと、2人にとって良い方向に向かうような……」
「ノンノン」
人差し指を振って私の意見を否定する京さん。
「残念だけど、そうは上手く行かないのさね。まあ、話してみる価値はあるんだろうけどさ。愛ちゃんは、きっとそれを許さないよ」
「何でそんな……」
「それが愛ちゃんだからだよ」
遠い目をしてどこかを見る京さん。
それを見ていると、私もなにも言えずに沈黙を守るしか無かった。
そんな重苦しい雰囲気に飲まれたのか。
唐突に、足が重くなる。
まだ一歩を踏出すことは可能ではあるけど、足に紐がまとわりつき、何かに引っ張られるような感覚が襲う。
「あ、あれ。何だか足取りが……」
「そっか、そろそろ厳しくなってきたかなー」
遠くを見据えるように、学校の方角を見る京さん。
「残念ながら、身体から幽体離脱出来る距離は限られてるんだ。へその緒みたいなものがついてるって考えてもらうといいかな? ある一定距離を離れると、その緒がピンと張られて足が重くなってくるんだ。ほら、尾てい骨のあたりから細い糸みたいなのが出てるでしょ」
京さんが振り返ると、「バルティナの歪み」の時と同じように、確かに蜘蛛の糸のようなものが出ている。
あの時はあまり気にしなかったけれど、その正体をようやく掴むことが出来た。
「なるほど……なんだか絡まりそうですね」
「そんな気がするけど、実体じゃないから絡まるってことは無いね。でも、この重い足取りを続けて、それでもあんまり離れすぎると……」
「……離れすぎると?」
京さんが両手の人差し指を合わせると。
「ぷっちーん」
そのまま勢いよく離す。
そして、意味ありげな笑いを浮かべる。
「ぷっちーん、しちゃうと……?」
「永久に幽体離脱したままになっちゃうね」
幽霊の仕草をしながら迫ってくる。
その演技たるは迫真のもので、背中には冷たい感覚が走ってしまう。
「あはは、大丈夫っ! そのための自己防衛本能で、足取りが重くなるのさ。重くなってきたら、素直に戻ればいいんだよ」
「ま、まぁ、そうですよね」
私も正直、少し腰が引けてしまったが、要はそういうことだ。
危ないと思ったらすぐに引き上げればいい。
でも、ふと思ったことがある。
私と森川先輩が最初に会った場所。
それは、まだかなり距離のある場所だということ。
そうなると、森川先輩は相当無茶をしていたのだろうか。
「ちなみに、露草先輩とリンリン先輩は、私らよりも行動範囲が広いんだよ。特にリンリン先輩はすごいねー。とても適わないよ」
私の疑問を察知したかのように、そう付け加えてくれる。
「まぁ、ゲートを閉める役割の私とは比較しにくいところではあるけどさ。やっぱり、リンリン先輩みたいにズバーっと悪魔を倒せるようになれると、それはそれでいいよね」
「そうですね。私も、森川先輩に助けられたみたいなものだし、森川先輩みたいになれたらいいな」
「おっと、いっちゃん! その言葉尻はあぶな……」
京さんが警告しようとしたその瞬間。
「承知した」
背後から、突然響く低い声。
驚き振り返ると。
そこには屈強な男が立っていた。
いつからいたのだろう。
圧倒的な存在感があるはずなのに。
今こうして見るまで、一切の気配を感じることが出来なかった。
全身を覆う鎧。
顔を完全に隠す兜。
その奥に潜む、怪しく光る赤い眼。
巨人と言っても過言でないその身体は、優に3メートルを超えていた。
どんな大人でも、その姿を見れば恐れおののき、腰が抜けてしまうだろう。
かくいう私も、目の前にいる巨人が視界に入るや否や、足が震えて動けなくなっていた。
ついには身体のバランスが崩れ、へたりこんでしまう。
「破あああああああああああっ!!」
その巨人の胸に、卒塔婆が突き刺さった。
堅牢に見える鎧も何のその。
まるで存在していないかのようにすんなりと貫通していた。
更に、巨大な数珠が巨人の身体の周囲に浮いたと思うと、突如として雷が落ちる。
突然の大きな光と音。
私は反射運動すら間に合わず、事後になって耳を塞ぎ、瞼を強く閉じる。
強い光を見た後の、特有の黒点をしばらく見ながら、少しずつ目を開ける。
「……森川厘のようになりたい。その願い、必ず聞き届けようぞ」
信じがたい光景だった。
卒塔婆を突き刺されたまま、雷などまるで無かったかのように、後ろを向いて、歩いていく。
「くっ、まさかティターンがいるなんて……!」
ティターン。
それこそ、さっき聞いた名前。
ディアボロスの一体。
こんなところに。
私の独り言のような、願いとも言えないような、ちょっとした一言。
よりにもよって、ディアボロスであるティターンに聞かれてしまった。
横にいる京さんを見る。
奥歯を噛みしめて、その後ろ姿を恨めしそうに睨みつけている。
何も出来ない。
その現実に叩きのめされているかのようだ。
表情には、憎悪だけでなく、落胆という感情も混じっていた。
しばらく見据えていると、何かを感じ取ったように、身体が反応する。
口元を緩め、確信を得たような笑みを浮かべる。
深呼吸するように大きく口を開けると。
「…………先ぱああああぁぁぁいっ!!」
京さんの声が響きわたる。
その数秒後。
「唸れ、シングメシア!」
ティターンの背中が、突如として眩い光に包まれる。
同時に、大音量の金属音が鼓膜を破らんとばかりに轟いた。
その衝撃から発せられた突風は、幽体である私たちの身体にも影響を与え、吹き飛ばさんと駆け抜けていった。
「ありがとう、森川先輩っ! これでティターンも終わりだぁ!」
目を覆いつつ、光の中へ声をかける京さん。
あれほどの光も、あっという間に晴れてしまう。
それでも、目には相応の影響を残していた。
少しずつ慣れていく視界に飛び込んできたものは。
「……くそっ、相変わらずの化け物め」
森川先輩が恨めしく言葉を発する。
信じられない。
いや、信じたくない光景だった。
卒塔婆と巨大な剣を身体に突き通したまま、ゆっくり、かつ平然と歩いているティターンの姿。
「……邪魔だな」
こちらを振り向くこともなく、上を向いて呟く悪魔。
身体が淡く光り出すと、いつの間にやらそこから消え去っていた。