耳に届く愛おしい声
ドアが開く音が聞こえた。
私がここに連れて来られてから、どのくらいの時間が流れたのだろう……
目が見えないと時間の経過までわからなくなる。もう日は落ちて外は暗いとは思うけれど、何時なのかはわからなかった。
部屋の中に廊下からの空気が入ってくる気配を感じる。
私は咄嗟にベッドの上に起き上がると身構えた。いったい誰が入ってきたのか。
私に声をかける事なく、その気配は私の横に来るとベッドの上に座り、私の髪の毛を優しく撫でた。
「元気だったか?」
優しい口調でその声は響いていた。聞き間違いである事を祈ったが、たぶんそれは無いだろう。
「さあ、着替えて、特別な客人の相手をしてもらおうか」
その声は私の耳元で響く。まぎれもなく祥の声だった。
祥の手が私の肌蹴ているであろう胸元に入ってくる。私はその手を振り払うように立ち上がって、手探りでクローゼットを探す。
私の背後で祥が鼻で笑っていた。
私はクローゼットの中から適当に服を選ぼうとした。そんな私の手に祥の手が伸びてきて私の手に触れる。
「何が目的? 私の体が目的なの? そんなわけないわよね?」
祥の行動はいかにも私の体が目的なのかと思うような、そんな雰囲気を漂わせていて、鬱陶しかった。
「さあな……実際に他人の物になるのかと思ったら、ちょっと惜しい気もするな」
祥はそう言いながら鼻で笑い、私の手首を思い切り掴むと自分の方に引き寄せて、私を抱きしめる。
私の心は冷めていた。苛立ちや怒りなんていう感情なんてどっかに吹っ飛んしまって、淡々と眼の前の祥を冷たく感じている自分がいた。
祥は私をベッドに押し倒すと首筋に顔を埋めてくる。
私の何の反応もしなかった。感情を全て捨て去った人形のように。
そんな私の態度を不思議に思ったのか、祥は顔を上げる。
「抵抗しないのか?」
「抵抗して欲しいの?」
私のその問いに祥は鼻で笑って私から離れる。
「つまらねえ」
そう一言言った。
私は肌蹴た胸元を押さえながら、唇を噛みしめてベッドの上に座った。そんな私の顔に服らしき物が勢いよく飛んできてぶつかる。
「そのドレスに早く着替えろ」
祥がクローゼットから選んで私に投げたのだった。
私はそのドレスを握り締める。
「部屋から出て行って」
「何を今更、裸の付き合いをした仲だろう……」
祥はそう言いながら、蔑んだような笑いをする。私は唇が切れるんじゃないと思うくらい、力一杯唇を噛み締めた。
体全体で屈辱を感じていた。私は鼻で笑う。なんだか面倒になってきた。こんなヤツらに対して怒りを感じる事自体が馬鹿馬鹿しかった。
「それもそうね、減るものじゃないし、見たかったらそこで見てなさい」
私は祥に対してそうきっぱりと言った。
「……つまらねえな」
祥はため息とともにそう言って、部屋を出て行く。開き直りが功を奏したらしい。
でも今一瞬、何も怖ものないって感じに感情が高ぶってた。
見られるくらいたいした事じゃないって思っちゃってたな。
私はそんな事を思いながら、ドレスに着替える。虚しい……
誰のためにこんな綺麗なドレスを着るのかしら。玲のためならどんな努力でも喜んでするけれど、何処の誰ともわからないクソジジイのために……馬鹿みたい。
こんな事は避けたかったのに、それなのに言う事を聞かざるをえない現状がある。
私は深いため息をする。
私は手探りしながら窓を探す。自分の部屋がまるで全然知らない人の部屋みたいに感じる。
それは目が見えないせいもあるけれど、松永の言葉のせいもあると思う。
もともと私はこの家には存在してはいけない人間だった……母はなぜそんな私をここにおいて行ったのだろう……
新たな疑問が私の中に生まれていた。
私は窓の所にたどり着き、ゆっくりと窓を開ける。外の空気が入ってきたとたんに部屋の中を冷やしていく。
頬に微かな冷たい何かが触れる感触があった。
雪? 私はそう思い頬に手を当ててみる、少し濡れているのを感じた。
雪が降ってるんだ……。
私の頬に温かい何かが突然触れる。
私は驚いて、一瞬怯み部屋の中に入る。
微かな笑い声が聞こえた。その声は愉快そうにそれでいて温かい笑い声だった。
「待たせたな」
玲の声だった。私はその声の主に抱きつく。
違う! 玲じゃない……私は咄嗟にそう思って飛ぶように離れた。
愉快そうに高らかに笑う声が響き渡る。
「視覚を奪われると、他の感覚は鋭くなるってのは本当なんだな」
冷やかな低めの女性の声だった。でも今のは確かに玲の声にそっくりだったのに……
ああ、この人、シュリュウを名のっていたヤツだ。
また騙された……この女、声色を変えられるのか……人の気持ちをもてあそんで、それがそんなに楽しい? ここは心が狭くて悲しい人たちの集団ね。
そう心の中で嫌味を言いながら、自分の心を強く保とうと必死だった。
窓から風が吹き込んでくる。部屋の温度が急激に下がったいくようだった。
風の音かな……風が木を枝を揺らすような音が聞こえた。
私の目の前にいた女が動く。空気が動くのがなんとなくわかった。
女は俊敏な動きで窓際に身を乗り出し、外の暗闇を呼吸もせずに見ているようだった。
そして小さな舌打ちの音が聞こえたような気がしたかと思うと、窓から身をひるがえし姿を消した。微かな音と空気の流れでそれを肌で感じる。
何かが動き始めて、何かが起ころうとしている。私はそう直感する。
部屋のドアがいきなり開いたかと思うと、誰かが走りこむように入ってきて、窓を閉めてしまう。そして私の腕を掴んでベッドの上に私の体を頬リ投げるように座らせた。
腕の掴んだ感触から推測すると、そばいいるのは祥らしかった。
空気が緊張して、ちょっとで触れれば破れてしまいそうな紙のような感じで張り詰めている。
私は息を呑む。なんだろう、この緊張感。
その時、窓の外から銃声が聞こえた。何発も聞こえる。
打ち合ってる様子だ。玲が来たの……助けに来てくれたの?
祥の緊張感もそれなら理解できる。
私は思わず立ち上がる。祥はそんな私を羽交い絞めにして押さえつける。
「お前らは本当に俺の神経を逆なでするのが得意だな」
祥のイライラした声が耳もとで響いていた。
玲が来たんだ。私は確実にそう思った。
沙羅の耳に届いた愛おしい声が届く。
どんなにその存在を待っていたことか。
玲の声に思わず抱きついた沙羅だったが、その声の主が別人だという事をすぐに悟って離れた。
それは声色を使い分ける女だった。
玲が現れたらしい事に気付いた沙羅。
これからどうなっていくのか……