長年の答え
私の運命は松永恭次郎が握っている。
手術が終わったばかりで、包帯を巻かれた目では眼の前の光景がわからない。
目が見えるよりも数倍不安は大きかった。
今、私の目の前に松永恭次郎がいる。しゃがれた声で人を蔑むような笑い声が微かに聞こえた。
私の方へ歩いてくる音が聞こえる。人が纏っている空気の圧力を感じていた。
松永恭次郎の手が私の顎に触れる。首筋に寒気が走り鳥肌が立った。私はその手から顎を外すように顔を振る。
そんな私を見て、松永は鼻で笑った。
「恩を仇で返すとはこの事だな」
松永のしゃがれた声が聞こえてきた。
「この18年という歳月、育てやった恩を忘れおって」
そういい終わったと同時に、私の左頬を強い衝撃が襲う。松永の張り手が勢い欲飛んできた。
私は少しよろめいたけれど、足を踏ん張り倒れないようにした。
恩着せがましいとはこの事だわ……確かに松永の稼いだお金で育ててはもらったけれど、親は子供を育てる時に見返りを求めるものなの?
それって、何かが違うんじゃないかと思う。
「恩って何よ……まるで血のつながりも何もない他人みたいな言い方……まあ私としてもその方がありがたいけど」
私の言葉に反応するように、松永の軽快な笑い声が響いて聞こえてきた。
「……血のつながりのない……おもしろい……」
松永は含み笑いをしながら、口の中で言葉を噛み締めるように言葉を綴る。
何か、その笑いには今までにない何かが含まれているような気がした。
「その通りだと言ったら……」
松永の口から、想像もしてない言葉が飛び出してきて、私は一瞬呼吸をするのを忘れてしまった。
……その通りってどういう事?……突然の言葉に頭の中は混乱していた。
「お前の母親は馬鹿な女だ……わしが気付いていないと信じきっておった。お前はわしの子供ではない」
その言葉は私の頭にハンマーで殴られたような感覚を残して通り過ぎていく。
「……わしはな、子供が出来ない体なんじゃよ」
決定的な言葉だった。確かに松永の周りに沢山の女の存在がある事を知ってから不思議には思っていた。
隠し子の一人でもいてもいいはずなのに……そう思っていた。
跡取りとして、他の女に男の子を儲けてもいいはずなのにと……
まさか子供が出来ない体だったなんて、想像もしていなかった。
じゃあ、私は……私は誰の子供だというの……
足に力が入らない。膝が震えてその場に座り込んだ。
一瞬、頭を過ぎったのは、母から聞いた松永以外に愛した男の話だった。
「お前の母親は愚かな女よ……名誉と金を手に入れたにもかかわらず、まだ他に愛などと不確かななんのメリットにもならない物を欲しがった……」
松永は少し怒りを感じる口調で話し続ける。
「わしの意のままに動かない人間は、不必要な人間……あの世で自分の好いた男と愛を手に入れて喜んでおるじゃろう」
しゃがれた声を響かせて、半分投げやりのようにも感じるような雰囲気を漂わせながら、松永は笑う。
そう、母だけじゃなく、母の愛した人も葬った。
「お前の母親と結婚した時には、すでに腹の中にお前がいたのだよ。それを知りつつも知らないふりをしてやったのに……恩知らずめ」
松永はそう言い捨てるようにして、私の髪の毛を鷲掴みにする。
この人の下で育てられてきて、ずっと疑問に思っていたこと。
親子としても愛情を少しも感じた事がない。政略結婚がこの世にまだ存在するとしても、それ以外でも少しも愛情を感じる事はなかった。
子供の頃からずっと持ち続けていた疑問。
やっと答えが出た。
私はこの人が望んだ子供ではなかった。それどころか憎しみを象徴するように、この世に存在していた……。
本当に、この人の権限を守るためだけに生かしておいた人形だったんだ……
心の中が氷で冷やされるように、冷静に自分の感情と松永の心を把握する自分がいる。
ショックだった。母が私に嘘をついていた事がショックだった。
だけど不思議ともう一方で爽快感を感じる自分もいた。この松永という冷酷な生き物の本当の子供ではなかった事に対して、安堵する自分がいた。
松永は鷲掴みにしていた私の髪の毛を引っ張り上げると、私の体ごと投げ捨てるように床に叩きつける。そして、ブラウスの胸元に手を入れると思い切り引き千切った。ボタンは弾け飛び下着が見える。
あの時の……刀傷が露になる。まるでそれは私の事を自分のものだと主張してるようにも見えた。
「上原……今日、コイツに客を取らせる」
松永のしゃがれた声が響き渡った。すぐに私の体に触れる手があった。きっと上原の手だと思う。私はその手を振り払い、ゆっくりと自分で立ち上がった。
「わしにとってお前の利用価値は、そんなものだ」
冷やかに淡々と松永はそう言い放った。
「淋しい人ね」
私はポツリとそう呟いた。その言葉は松永を怒らせる原因になったらしく、凄い勢いで私に近づいてきて、思い切り張り手が飛んできて、私は吹っ飛ぶように床に倒れた。
さっきのとは違い、今度のは手加減なしだった。
そして杖で思い切り叩かれる。さすがに激痛が体を走った。
「総帥! おやめ下さい。大事な商品です」
上原が止めに入る。大事な商品、その言葉に松永の動きが止まった。本当に人間を人間として見ていないんだ、この人は……
上原の手が伸びてきて、私を立たせてくれる。私は床に唾を吐き捨てて松永の横を通り過ぎた。
私は元々の自分の部屋に連れて行かれる。中に入ると短い間だったのに、なんとなく懐かしい匂いがした。
上原は私をベッドの所まで連れて行き座らせる。ベッドの感触は前と少しも変わらない。
意外だった。連れて行かれる場所は絶対に地下の監禁場所だと思っていたのに違った。
上原が私の傍を離れる瞬間、私の手を握った。それは優しい感触だった。
いつも思うけれど、この上原って人間は何を考えているのかわからない……
この動作にも何か意味があるのだろうか……
上原は私から離れて、部屋から出てドアを閉めた。
私はベッドの上に上向きに寝て深呼吸する。
私は松永の実の子供じゃなかった。
私は静かにその現実を奥歯で噛み締めていた。
衝撃的な事実が発覚した。と同時に、沙羅自身が小さい頃から持ち続けていた疑問
松永の自分に対しての態度に対しての答えが出た。
沙羅の運命はそうなるのか?




