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愛しき殺し屋  作者: 海華
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笑顔の光と凍てつく心

沙羅に何て言えばいい……沙羅の母親とシュリュウがどうも拉致されたらしい。とりあえず隠しておいた方がいいよな。今言ったら、体調が完全に戻ってないのに動き出すに決まっている。

だが、まさかシュリュウにかぎってそんな事になるとは思っても見なかった。

あの時は沙羅を助けるのに必死で、他の事は目に入っていなかった……俺は沙羅に対して小さな罪悪感を感じていた。

胡蝶の話だと松永側に捕まったのは確かだが、どこにいるのかがわからないって言っていた。

シュリュウだけならまだしも、沙羅の母親が捕まったとなると、助けないわけには行かなくなる。

俺の腕の怪我も抜糸するまでにはあと4日は必要だと言われた、傷口が開いてしまったおかげで抜糸する日にちが延びちまった。

だが、助け出すとしたら早いに越した事はない。コウリャンが沙羅の母親だとクソジジイに知れたらそれで終わりだ。

まあ、中国側の方の完璧な筋書きのおかげでばれる確率は少ないだろうが……絶対ではない。

とりあえず、胡蝶に頼んで女を一人鬼柳の店に潜り込ませた。そこから何か情報が捕まればいいんだが……


俺は自分の車の助手席に胡蝶からの手土産を置いて、ヤブ医者の所へ急いでいた。

朝出た時には、沙羅の熱は下がっていたようだし、目は冷めているだろう……

しかし、この俺がまる一日寝ちまうなんてな……ヤブ医者が何回か様子を見に来たらしいが、それにも気付かずに深い眠りに落ちていた。

貧血をおこしていたからか? それもあるだろうが、俺の傍に沙羅がいたからだな、きっと。

俺は一つため息をつく。

安らぎは緊張を欠落させてスキを作ってしまう。俺は苦笑した。

車をヤブ医者の診療所の裏側に止める。胡蝶からの手土産の入った袋をぶらさげながら診療所に入り、一番最初のドアを開いた。

沙羅がいない? ベッドの上には誰もいなかった。

どういう事だ……俺は焦って奥の部屋を探すが姿が見当たらない。

「ヤブ医者!」

俺は廊下に出ながら、そう叫んだ。ヤブ医者が迷惑そうな顔をしながら一番奥の部屋から出てくる。俺はヤブ医者の襟元を掴みあげて睨んだ。

「沙羅はどこだ!」

自分でも驚くほど、うろたえ動揺していた……

「落ち着け、早とちりなんてお前らしくもない……」

ヤブ医者は苦しそうに顔をしかめてそう言い、横のドアを指差す。

俺はヤブ医者から手を離し、指差されたドアを開いた。するとベッドの上に上半身を起こして座っている沙羅が目に入った。

「他の患者が来たら困るんでな、ここに移したんだよ」

ヤブ医者の冷やかな声が俺の後ろから聞こえてきた。

まいったね……俺は自分の顔に手を当てて苦笑しながらため息をつく。

殺し屋としての俺と、沙羅の事を愛してしまった俺が、自分の中でうまくバランスが取れなくなっていた……それだけ沙羅に対しての思いが大きくなり俺を支配している事に気付く。

「悪かった……これは胡蝶からの手土産だ。胡蝶のヤツ、沙羅の事をえらく気に入ってるらしくて、助けてくれたお礼だとさ」

俺はヤブ医者に謝りながら手土産のワインを渡す。ヤブ医者は冷めた目をして俺のその言葉を鼻で笑い飛ばし、袋をぶらさげながら、淋しそうな空気を纏って一番奥の部屋に入って行った。

胡蝶とヤブ医者か……まあ俺には関係のない事だ……


俺は軋む音をさせてドアを閉じると、沙羅に近付いた。

「玲……」

沙羅の声が俺の耳を通して心に響く。

俺はベッドの傍らに置いてある椅子に座ると、沙羅の手に自分の手を伸ばして握る。

「玲、またやったでしょう。どうして下だけ脱がせっぱなしにするの?」

沙羅は俺の顔の向こう側を見ながら、少し頬を膨らませてそう言った。その愛くるしい仕草は俺の心に一粒の雫を落とし、ゆっくりと波紋を広げ心を揺らす。

「おもしろいから」

俺は自分の中の感情を隠すように淡々とした口調で言う。沙羅はそんな俺の姿に噴出すように笑い楽しそうだった。

ふいに沙羅のもう一つの手が俺の頬を探しながら伸びてくる、いつもより少しだけ時間をかけて俺の頬を捜し当て優しく触る。

「病院に行ってきたんでしょう、怪我は大丈夫だった?」

俺の顔を覗く込むような仕草を見せるが、沙羅の瞳は俺の瞳を見てはいない……その姿を見て胸が熱くなり、喉の奥が締め付けられるようだった。

「心配するな」

俺は沙羅の大きな瞳を見つめながらそう言う。沙羅の瞳は夢の中を漂うようなそんな雰囲気で俺を見ていた。

「玲、怪我してる方の腕出して」

「やだ」

「どうして?」

「どうしても」

まるで子供みたいな返答をしていると自分でも思う。そんな自分の姿が可笑しくて思わず声を出して笑ってしまった。

「……初めてね。玲のそんな楽しそうな笑い声を聞くの」

沙羅のその言葉に、俺は苦笑いをする。本当に口の奥に苦いものでもあるんじゃないかと思うような違和感を感じていた。

自分の人生の中で今までに楽しいなんて単語は存在しなかったような気がする。

楽しい……今まで思った事の無い感情が自分の中に生まれた事に、少しだけ困惑していたのかもしれない。

「ほら……怪我した方の腕をここに出して」

沙羅は強い口調でベッドの上を軽く叩きながらそう言ってくる。仕方がないから俺は沙羅の言う通りにしてやった。

沙羅はおぼつかない手で、俺の包帯の巻かれた腕を優しく触る。そしてベッドの上に肘をついて体制を低くすると、その腕に軽く口づけをした。

「……早く治ります様に」

そう言ってゆっくりとまた上半身を起こして座る。

「この間、ここにしてくれたおまじないのお返しね」

沙羅はそう言いながら、自分の額を指差して満面の笑顔を浮かべた。眩しい笑顔だった。

闇の世界に生きてきた俺には目がくらむほどの笑顔……

この笑顔に初めて触れた時に、生まれた小さな感情は、今大きく膨れ上がっていき、心の中を埋め尽くそうとしていた。

凍てつくような心の闇が静かに溶かされていく感覚を感じていた。

俺は握っていた沙羅の手を離し、沙羅の頭を撫で、人差し指で額から瞼、頬を通って唇をなぞる。沙羅はくすぐったそうに笑っていた。

心の波紋はどんどん大きくなり、まるでなみなみに注がれた水がこぼれるように、気持ちが溢れ出す。

俺は椅子を立ち上がり、沙羅の唇へと自分の唇を重ねた。柔らかく温かい感触が伝わってくる。

椅子が床に転がる音が響き渡り、一時の静寂が訪れた。

沙羅は一瞬驚いたように、体を強張らせていたが、ゆっくりと俺の首に手を回して縋るように抱きついてきた。

沙羅の笑顔の裏に隠されている、不安や心細さが伝わってくるようだった。

お互いの気持ちが重なるように、鼓動が肌を伝って流れる。

心が温められていくのを感じ、心地のいい空気が俺達を包んでいた。


沙羅の母親とシュリュウが拉致されていた。

だが沙羅にそれを言う事はできない。

沙羅の笑顔が玲の凍てつく心を溶かしていく。

玲と沙羅の間にはあたたかい空気が流れていた。


つかの間の幸せはいつまで続くのか?

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