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愛しき殺し屋  作者: 海華
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歌を忘れていた一匹狼

沙羅の手が冷たかった。引っ張っている手の向こうから苦しそうな息遣いが聞こえてくる。

「少し休むか?」

俺の言葉に沙羅は弱々しく微笑んだ。

周りを見渡し、休めそうな場所を探す。暗闇の中に木達が寄り添いながら生い茂り、草をまるで包み込むようにそこだけアーチ型を作っている場所が目に止まる。

あそこなら少しは落ち着けるかな。そう思って、俺は沙羅の手を引き、その場所へと向う。

木の下に入ると、本当に木達が此処だけを何かから守るように、包んでいるように見えた。

沙羅をその場に座らせる。

夜が明ける少し前、一番冷え込む時間だ……この前雪が降った時よりは幾分ましだったが、それでも寒いのには変わりは無い。

体調のすぐれない沙羅にとっては、苦痛でしかないだろう。

俺は自分の着ていたジャケットを脱いで沙羅に着せた。沙羅はそのジャケットで自分の体を包み込むようにして、ジャケットの匂いをかいでいた。

「怪我は大丈夫?」

沙羅の言葉が聞こえてきた。大丈夫ではなかった。巻いていた包帯は真っ赤に染まり、包帯では補えないほどの血が指を伝って落ちていた。

「俺は大丈夫だ。お前はどうだ?」

沙羅の額に手を当てながらそう言った。熱かった。熱があるな……この状態で引っ張りまわすのには無理があるかもしれないな。

沙羅は何も言わずに微笑んでいた。辛いはずだ。触って熱があるのがわかるぐらいだから、それなりの熱はあるだろう。

「沙羅……目が見えないのか?」

俺は別荘にいるときから気になっている事を聞く。沙羅の表情が途端に悲しい影を帯び、二重の大きな瞳を伏せる。

「……もう玲の顔が見えなくなっちゃった」

沙羅の細々とした弱い声が冷えた空気の中に糸を通すように、俺のもとへと届く。

俺は沙羅の背後に座ると、股の間に沙羅の体を入れるようにする。右手を左手で持ち上げて後ろから抱きしめた。

「蔵元のクソ坊主のせいだな?」

俺は怒りを抑えてできるだけ優しく聞いた。沙羅は何も答えずに俺の手を抱きしめるようして、俺の胸に体重を預けてくる。

「……玲、手が濡れてる」

沙羅のその言葉に、俺の心臓が高鳴る。沙羅が触っていたのは怪我をしている方の手だった。

まずった。怪我がばれちまう。沙羅は血で汚れた手を鼻に持っていく。近くまで行くまでに沙羅はそれが何であるかということに気付いたらしく、眉間にしわを寄せていた。

「こんなに血が出てるの? 早く治療しないと」

沙羅は俺の方を向いて、必死の形相でそう言った。

そんな顔で俺を見るな……お前の方がよっぽど重症なんだぞ。俺は自然な流れの中で左手だけで沙羅を抱きしめていた。

「玲、こんな事をしてる場合じゃない。早く行こう」

沙羅の強めの声が耳元に聞こえる。だけど今は離れたくなかった。

「俺は大丈夫だから……だからもう少しだけお前を抱きしめさせてくれ」

「本当に、私達って似たもの同士ね。私は目が見えなくなっちゃうし、玲は怪我しちゃうし……まったく、もう」

そう言って沙羅は俺の肩に顔を埋めてきた。体が微かに震え、俺の耳に微かな泣き声が聞こえてくる。


 ♪涙拭き 君笑ってごらん 悲しくて胸が張り裂けそうなら 抱いてあげるから〜 


沙羅の頭を撫でながら俺は歌を口ずさんでいた。沙羅は俺の声に顔を上げ、少し驚いているようだった。

俺自身も驚いていた。歌なんて此処何年も忘れていた。ただなんとなく無意識の中で口ずさんでいたんだ。

「玲の声って、素敵ね……」

俺の目とは焦点の合わない瞳で沙羅はそう言う。

「目は見えなくても耳で俺を感じる事ができる、鼻で香りを感じる事ができる、手で体温を感じる事ができる。なあ、そうだろう?」

俺の言葉に沙羅は泣きながら笑う。そして大きく頷いて俺に抱きついてきた。

沙羅の髪の毛越しに、木々の間から覗く空が見えた。

黒に近い空に少しだけ光の色が混ざり、柔らかいグラデーションを作りながら朝を迎え様としていた。

鳥の飛び立つ音がして、微かに空気の動きが変わったような気がした。

何かが近付いてきている……俺の神経の先端に直感が触れて通り過ぎていく。

「沙羅……行くぞ」

俺はそう言って、沙羅を抱えるようして立ち上げがると、沙羅に背を向けて体を屈めた。

「おぶってやる」

俺の言葉に沙羅は躊躇しているようだった。

「ったく! 早くしろ! 足手まといになられたら困るだろう!」

その言葉に沙羅はやっと俺の背中に乗っかってきた。沙羅の平らな胸が背中に当たる。俺はそれを感じて鼻で笑うと、鬱蒼とした草木の中を、今のできる限りの力を振り絞って走る。

背後からの気配が常に付きまとっていた。

俺の行きたい方向を、伸び放題に伸びた草や木が邪魔をする。

俺の背よりの高い草木を掻き分けて出た所には、視界を覆う小高い崖が行く手を阻んでいた。

沙羅を地面に下ろす。

崖の高さは俺の身長くらい。周りを見渡しても低そうな所は見当たらない。

山を下っているのに、なんでこんな高い場所に出くわすんだよ。そんな事を俺は思っていた。

沙羅が静かに歩いていって、その崖肌に触る。

「……此処、たぶん知ってる。麓のすぐ近くにこのくらいの崖があって、小さい時に落ちた事がある」

沙羅の言葉が、俺の心を少しだけ救ってくれた。沙羅の記憶が確かならこの上は麓の近くだって事になる。

ただこの崖の上に上る事ができるか。左手しか使えない今の俺に。

だがやるしかないよな。

「沙羅、俺が肩車をするから、先に上に上れ」

「……わかった」

俺の言葉に沙羅は少し心配そうな顔をして頷き、俺の肩に乗っかる。ちょうど沙羅の肩から上が崖の上に出た。これなら行けそうだな。

「沙羅、行けるか?」

沙羅は俺の肩を利用して崖の上に上がる。崖の上から俺の方を覗き込んできた沙羅の顔が見えた。そして沙羅が手を差し出す。

俺を引っ張り上げようってのか? その華奢な体で?

そんな事をしたら、お前までまた崖に下に落ちてしまう。左手だけでは上りきることは難しい……

その時、背後の気配が近付いてくるの感じる。

「玲、早く!」

沙羅もその気配に気付いたらしく、俺に向ってそう叫んだ。

「お前だけでも早く逃げろ!」

俺は沙羅に向って叫ぶ。沙羅の表情が一瞬固まり、怒りを帯びた悲しい表情を浮かべた。そして首を横に大きく振った。

「……玲、一緒に行くのよ。もう離れたくない」

沙羅の瞳は今にも消えそうな陽炎のように儚げに揺れていた。





作品中に出てきた曲は

今はもう解散してしまった チェッカーズ の曲です。

「ひとりじゃいられない」から抜粋したものです。

こんな極限の時に人は歌を歌うのか?そうゆう疑問もあるのかもしれませんが。その辺はフィクションだということで……


さあ、背後から迫っている影の正体は?

玲は逃げる事ができるのか?

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