不安と闇の静けさの中で
クソ坊主の体を押さえつける。手には拳銃が握られていた。
右手が使えない俺は、その手を掴む事ができなかった。クソ坊主が握っている拳銃がゆっくりと俺の方へと向けられる。俺は咄嗟に体重を支えていた左手で、クソ坊主の拳銃を握っている方の手を押さえつけた。
今まで支えられていた体重が、支えを無くし引力に引っ張られるように、クソ坊主の上に体ごと落ちる。
クソ坊主の口から短い呻き声が聞こえた。
これはこれで効果があったな。そんな事を考えながら俺は左手でその拳銃を掴みあげる。
だがやはり片手だけでは力が足りなかった。
俺の体はクソ坊主の体に押されるように転がり、今度は立場が逆になる。
俺の体を下にクソ坊主が上になった状態で目が合った。クソ坊主がニヤリと笑い俺の左腕を押さえつけて、右手に持った拳銃を俺の額に当てる。
この緊迫した空気の中でクソ坊主の驕りが俺の最大のチャンスだった。
案の定、額に銃口を当てた段階でクソ坊主の表情に余裕が生まれる。その顔を待っていた。
俺はクソ坊主に股間に膝を思い切り突き入れる。その時の顔をといったら、一瞬にして顔色は蒼白、横に倒れ込むと壊れたオモチャのように固まって動かなくなった。
俺はそのスキに沙羅の所に走り寄って、腕を掴むとそのまま走ろうとした。だが沙羅が動こうとしない。
様子がおかしい。沙羅は何かに怯えたような表情を浮かべていた。
泣いてる……泣いているのか?……沙羅の頬が涙で濡れていた。
俺は沙羅の顔を覗き込む。俺との視点が合わない。
見えていないのか?
「沙羅」
俺の声に沙羅の表情は安心したように柔らかくなる。ただ俺と目を合わせる事ができない。
やっぱり見えていない。
「立てるか?」
俺の問いに沙羅は弱々しく頷く。沙羅の腕の付けを掴むと体を持ち上げるようにして立たせる。体の重さを感じる。
沙羅の体にも異変が起きていることを感じた。力が入らないのか……
「大丈夫か?」
俺は沙羅の顔を覗きこみながら聞いた。沙羅の体から熱を感じる。
「……玲、怪我してるのね」
沙羅は俺の顔を見上げるようにしてそう聞いてきた。なぜ気付かれたのかわからない。
「なんでもない」
「血の匂いがする」
俺の短い言葉に沙羅はそう言ってきた。その言葉は的を射ていた。そして沙羅の目が見えていない事も確実なものとして俺に伝わった。
「急ぐぞ」
俺は言葉を短くして、行動する。
「シュリュウ! 後はお前に任せた」
俺はそうシュリュウに言い放つと、シュリュウは一瞬こっちを向いて呆れたような表情を浮かべていた。
さっきはお前に利用されてやったんだ、今度は俺の役に立てよ。心の中にそう密かに思いながら、シュリュウが髪の毛を振り乱して立ち回っている姿を横目に、壊れた扉から沙羅を運び出す。
外に止まっていた何台かの車のうち、運よくキーが差し込んだままになっている車を見つける。
沙羅を後部座席に乗せ、急いで運転手席に飛び乗るとエンジンをかけた。
別荘の中からクソ坊主がよたりながら姿を現すのが見えた。しぶといやろうだぜ。
クソ坊主の表情は怒りに満ち、狂気を感じる。ゆっくりと拳銃を構えると俺達に銃口を向けた。
俺は戦う事よりもいち早く逃げる事を選んで、車をバックさせる。クソ坊主もそれに気付いたのか。自分の車に乗ると車を発進させる。
俺は車をUターンさせて山の中を走り出した。バックミラーにクソ坊主の車が映っている。昼間降った雨のせいで、舗装されていない道は水分を含み滑りやすくなっていた。
スピードを出しすぎるとすっ飛んで崖から真っ逆さまだな。急ぎながらもあまりスーピードを出せない事にイライラしていた。
その時だ、後ろの車から銃声が聞こえてくる。
なんて無謀なヤツだ。この道路状況の中、あのスピードで銃をぶっ放しながら運転するなんて自殺行為だぞ。
その行動一つとっても、冷静さを欠いた異常さを感じた。
後ろに気を取られ、眼の前にカーブがせまっている事に気付かなかった、一瞬判断が遅れて、俺たちを崖へと引っ張り込まれそうになる。俺はハンドルを切った。だがタイヤはスリップしそのまま横滑りしながら草木が生い茂った崖を落ちていく。
車は木にぶつかり衝撃を受けながらゆっくりと落ちていく。
俺も沙羅も車の中でピンポン球が跳ねるように体が暴れ、あちこちをぶつけて痛みが走る。
徐々に車の落ちていくスピードがゆっくりになり、絶壁の崖を目の前にして大きな木に引っかかるように車は止まった。
俺は大きく深呼吸する。沙羅……沙羅?
「大丈夫か?」
俺は後部座席の沙羅に叫ぶように言った。後ろでモゾモゾと動く気配がする。
「……そんな大きな声じゃなくても聞こえる」
そんな沙羅の言葉を聞いて、俺は一安心した。
「怪我はないか?」
俺の言葉に沙羅の返事が聞こえてこない。慌てて後ろを振り返った。すると振り返った俺の顔の目の前に沙羅の顔があって、もう少しで顔がぶつかるところだった。
「……お前な」
俺はため息混じりにそう言った、だが沙羅にはこんな近くにいる俺の顔が見えていないようだった。とても切なく悲しい表情浮かべている。
俺はそんな沙羅の頭を撫でる。沙羅は優しく微笑んで俺の手を掴むをそれを自分の頬に持って行き、愛おしそうに頬ずりをしていた。
「歩けるか?」
俺のこの言葉に沙羅は不安そうな顔をする。そうだろうな、目が見えないうえに体調も悪そうだ。だが此処にいても危険はあるし、クソ坊主は俺達が落ちたのを見てるわけだから、かならず探しに来る。今すぐここから離れないと。
別荘からはかなりくだったはずだから、麓まではそんな距離でもないだろう。沙羅を担いででも逃げ切ってやる。
俺は車を揺らさないように外に出て、後部座席の上側になってるドアを開いて、沙羅の手を左手で掴んで引っ張り上げる。沙羅が華奢な幼児体形で助かった。そんな事を思いながら俺は鼻で笑う。
沙羅の額にはガラスで切ったのか、少しだけ血が流れていた。それを俺の服の端で拭いた。
「どこか痛い所は?」
沙羅はゆっくりと首を横に振る。
俺はそんな沙羅の額に口づけをした。
「がんばれるように」
俺のその言葉に沙羅は笑顔を浮かべる。そうだその笑顔。この笑顔があれば俺はなんだってできる。
俺は沙羅の右手を左手で力強く握ると歩き始めた。
あたりはまだまだ闇に閉ざされ、鬱蒼とした木々が俺達の歩くスピードを遅れさせる。
沙羅の手が俺に縋るように握り締めて来ていた。沙羅の心の中の不安が伝わってくる。
大丈夫だ。俺がいる。俺がついてるから。
俺は手を握り返した。
空気の冷たさが音を響かせ、夜の闇が不安を増殖させる。
静けさの中でフクロウの鳴き声が聞こえていた。
玲たちの乗った車が草木が生える崖を落ちていく。
運よく車は大木に引っかかり、動きを止めた。
二人で手を繋ぎ、麓へと足を進めた。
二人は無事に山を下りる事ができるのだろうか?




