蛇に睨まれた蛙
「お嬢様! お嬢様!」
佐々木の声に起こされて、私は眠い目を擦りながら起き上がる。
いつの間にか寝てしまっていた。外を見るともうすっかり暗くなっていて星が輝いていた。
「お嬢様、旦那様がお帰りですよ」
佐々木の言葉に一瞬、体が緊張する。
私は鏡の前で自分の髪の毛を整え、頬に残った布団のあとを必死で手で撫でながら直そうとした。う〜ん、直らない。
「佐々木、大丈夫?」
私は佐々木に向かって自分の姿をチェックしてもらう。佐々木は苦笑いを浮かべながら小さく何回も頷いていた。
私は自分の部屋のドアの前で大きく深呼吸する。そして自分の腹の中に気合を入れ、ドアを開けて父の所へと向う。
「お帰りなさい、お父様」
父は何も言わずに私を見るなり、冷たく笑い目を伏せる。
私の父は、父とゆうには年齢が行き過ぎている。私が生まれたのは父は55歳の時だった。
だから、今は72歳とゆう事になる。
白髪で白く長い髭をはやし、姿はまるで仙人のような感じだが、瞳だけはちがう雰囲気を持っていた。それは蛇が獲物を捕らえる時の目のような鋭さを持っていた。
「蔵元の坊主が怪我をしたそうじゃが、夕食をとったら見舞い行く。もちろんお前もくるじゃろう?」
父が私を睨みながらそう聞いてくる。行くのは嫌だった。祥に会うのが恐いのもあったけれど、それ以外に私の事を愛してもいない許婚のお見舞いなんて行きたくもなかった。
私は答えに困っていた。
「嫌なら無理強いはせん。しかし怪我の原因ははたして……」
父はそう言いながら含み笑いをして私の方を見る。
知ってる。父は祥がどうして怪我をしたのか知っている。私はそう直感する。
背筋を氷でなぞる様に寒気が走った。
「行くわ」
私はポツリと静かにそう答えた。あの含み笑いは完全に脅し。こんな思いをするくらいなら、いっその事警察に自分から言った方が……って思ったりもするけど、きっとそれは悪あがきにすぎないだろうな……父の力でそんな事簡単にもみ消されてしまうだろう。
政界、財界、それに警察、父の力は全ての機関に行き届く。当然反感を持ってる人達もいるだろうけど、結局権力という力の前にはひれ伏してしまう。悲しい現実がそこはあった。
夕食も終わり、上原の運転で私と父は祥の入院する病院へと向う。
上原は父の片腕でたぶん父が一番信頼してる人、母が生きていた頃にはもういたから、私は上原に母の事を聞いた事がある。だけど本当に無口な人であまり話してくれなかった。
私の母の思い出と言えば、小さい時に窓から虫が入ってきて、それで私はパニックになってしまってギャーギャー泣いていたら、母がその虫をそっと潰さないようにティッシュで包んで窓から逃がした。
「虫も一生懸命生きてるのよ。虫から見たら人間はとっても大きくて恐い存在でしょうね」
そう言って、私に優しく微笑んだ。
それから不思議と私は虫を見つけてもギャーギャー言わなくなった、掴めないのは相変わらずだったけど。
母は私が5歳の時に事故死した。そうゆう事になっている。
でも、殺された。なんて噂もあるらしい。本当のところ、私にもわからない。
夜の空間を夜景が流れて行く。それは幻想的で綺麗だった。
昨日の雨のおかげて、空気が澄んでいて夜景がもの凄く鮮明に見えた。
あの人……玲は、私を助けてくれたのよね。恐い感じの人だったけれど、どこかそれだけじゃなくて、何かもっと違う何かを感じた。ああ、もうわかんないや!
車は悲しい事に病院に着いてしまった。こういう時は時間が早く感じる。祥と顔を合わせたくない……
上原がドアを開けてくれて、父と私は車から下り、薄暗くなった病院のロビーを通ってエレベーターに乗る。
祥の入院しいてる病室は3階の特別室。金持ちにしか入院できないような高額な病室だった。
「沙羅、蔵元の事が嫌いか?」
父の突然の言葉にうろたえた。嫌いか?と聞かれて答えに困った。
嫌いじゃなかった。そうじゃない。反対だった。心から好きで好きで仕方がなかった。
だからこそ許せなかったのよ。
許婚だったけど、その立場とは別に私の事を純粋に愛してくれてると思ってたから、だけどそれは違っていた。あいつには本当に愛した人が他にいた、しかも関係は私との関係とずっと同時進行だった。
「お前にも俺にもメリットのある結婚だ。それの何が悪い? 何が不満だ?」それが祥の言葉だった。
お前のメリット……何よそれ?
私にとっては何のメリットもない結婚、メリットがあるのは松永家という家にあるだけ、蔵元家という家にメリットがあるだけ。
「今は嫌いでも生活をともすれば変わるぞ。あいつと結婚すれば生活で困ることはない、好きな事を好きなだけ出来る。そんな夢みたいな生活が出来る」
父の言葉に答える気力もなかった。金、金、金、お嬢様の戯言かもしれないけれど、お金よりも大事なものがあると思う。
エレーベーターの扉が開く、父はそんな私の姿を見て鼻で笑いながらエレベーターを出て歩き出した、わたしも後ろを付いて歩いていく。
特別室の前に着き病室のドアを開ける。祥はベッドの上で足にギプスをはめて寝ていた。
顔には擦り傷が何箇所もあった。その姿にあの時の祥の姿を思い出し、私の心臓の鼓動が早くなる。
「総帥、心配をおかけしました。沙羅にも心配かけたな」
祥はそう言った。私に向かってそう言った。祥の表情は意味深な笑みを浮かべ私の方を見ていた。それはまるでカメレオンが獲物を狙うときのような顔で、不気味さを感じ寒気が走った。
私にとって、苦痛な時間が始まろうとしていた。
沙羅は父の言葉に、祥の病院へ見舞いに行かざるおえない状況になり、車に乗り病院へと向う。
車中で、昨日の雨の日の事を思い出し、そして玲の事を思い出す…沙羅の中で玲はどんな存在になろうとしているのか…
祥の病院で、沙羅と祥に何が起こるのか…