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愛しき殺し屋  作者: 海華
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思い込みの落とし穴

「沙羅!!」

俺の声が、雷の閃光の中で虚しく響く。

100メートル程先で、沙羅が倒れ、蔵元らしき男に担がれ車に詰め込まれるのが見えた。

沙羅の母親までもが、もう一人の男に無理矢理連れ出され、車に押し込まれた。

俺はぬかるみの中、滑る足を急いで沙羅のもとへと前に出す。ところが俺の左足首をがっちりと掴み離さない手があった。

その相手が誰なのか見なくてもわかる。掴みかかっている手の主、それは言うまでもない如月だった。俺に対しての憎しみを感じさせる片目が、鋭い眼光を放ちながら睨んでいた。

俺はそんな如月の顔に蹴りを放った。だが一瞬速く如月は蹴りをかわすように俺の足首から手を離し、体を横に転げてからぬかるみの中にゆっくりと立ち上がった。

遠くの方で車のエンジン音が遠ざかっていく。

クソッ!

俺の中で生きてきた人生2度目の、嫌な心臓のざわめきを感じる。

不快な心臓の動きだった。

如月の数十メートル後ろでは、たぶん蔵元の連れてきた鬼柳の手下とチャイニーズマフィアが泥まみれになりながら、揉み合っていた。勝負は互角って所か……

まったく……鬼柳のヤツらが胡蝶の所に現れたって聞いて、嫌な予感はしてたのに。もっと早くに行動を起こすべきだったか。

沙羅の母親の正体を調べるのにてこずっちまった……

自分の準備不足に腹立たしさを感じていた。

眼の前の如月は微動だにせずに、俺の方を睨み立っている。お互いに相手のスキを探り、一瞬でもスキがあればそこに細い針でも刺すかのごとく確実に狙う。

そんな緊張感が俺達を包み込んでいた。

いつのまにかひょうもやみ、小雨が降り出していた。

如月の持っていた拳銃も泥の中に埋もれてどこにあるのかがわからない。俺の拳銃も同様だ。

身に着けている武器と言えば、あとはナイフだけ……

如月の足が微かにジリジリと横に動く。俺はその動き、空気の流れをひとつ残らず見過ごさないように見ていた。

如月が一瞬、足を縮め状態を少し低くしたと思ったら、横に飛ぶように走り出し、廃ビルの中へと身を隠すように入って行く。

俺は一瞬遅れて、如月の後を追った。

無機質なコンクリートの中に、にわかに小雨のぱらつく音と外の男達の声が響き渡り、気配を読みにくくしていた。

ビル全体に響き渡るように、小さなコンクリートの欠片が転がるよな音が響き渡り、俺は動きを止め耳を澄ませる。空気の微かな動きをも察知すように神経を研ぎ澄ませていた。

ゆっくりと足を進めながら、廃ビルの中を動く。ガランとした広い空間の中にも死角はあり、如月の気配をわかりにくくしていた。

その時、右前方の柱の陰で、コンクリートに何かが擦れるような音がきこえた。

如月か? 俺はそう思いながらゆっくりと音をできるだけ立てないように、その柱に近付いた。

柱のコンクリートに背中をくっつけ、後ろの陰の様子を伺う。

足元に潜ませておいた、ナイフを取り出し手に握ると、柱の陰に飛び込んだ!

……いない。

俺は左側にある、ガラスの無い窓に視線を移す。ここから逃げたか?

その時だ! 上から俺の背中側に空気が動く。俺は咄嗟に前へ走り、その気配から自分の体を遠ざけた。

振り返るよりも、前に回避した方が懸命だと俺の危険回避能力が判断した。

背後の気配は素早い動きで、俺の後を追って近付いてくる。俺は右側にある入り口に転がるように入り込んで身構えた。

壁の向こうで、微かに空気が動く気配がする。

眼の前の崩れかけた長方形の入り口の向こうに、ゆっくりとした空気の流れを感じた。

来る……そう思った。

次の瞬間、その長方形の入り口の向こう側から、コンクリートの塊が俺目掛けて飛んでくる。俺はそれをなんなくかわした……と思ったその時、後ろ側から予想もしてなかった力に襲われ、髪を掴まれそのまま引きずられ、ガラスの無い窓から外へと引き込まれた。

俺の眼に逆さに映った顔は女だった!

女はニヤニヤと冷たい笑みを浮かべなら、俺の首筋にナイフを突きつけていた。

廃ビルの窓から如月が、愉快そうに笑いながら顔を出す。

「フン……残念だった……俺一人だと思い込んでたお前の負けだよ」

如月は、あざけるように笑い、俺を見下ろしていた。

確かに、こいつに対しての思い込みはあった。

俺を相手に他の人間の手を借りるとは思っても見なかった。俺の中にある殺し屋としてのプライドがそう思わせてしまっていた。

考えや価値観は人それぞれ違うのだという事をあらためて思い知らされた。

如月は窓から俺の横へと飛び降りると、俺が握っていたナイフを俺の手から取り上げる。

少しでも動けば、喉に突きつけられたナイフが俺の首に突き刺さる。言いなりにならざるをえない自分がはがゆかった。

「さあ、どこから刺してもらいたい? いきなり目をえぐってやってもいいが、それじゃあ俺の腹の虫がおさまらねえ……」

如月はそう言いながら、ナイフを顔から首筋、胸元へとなぞる様に滑らせていく。

クソッ!どうしたらいい……考えろ、考えるんだ。

俺は自分に必死にそう言い聞かせていた。切羽詰まった状況下で、必死に冷静さを保たせながら、周りの状況を見つめ把握する。

眼の前に如月、背後には俺にナイフを突きつけている女、その女の顔が俺の頭の上に見えた。

頭の上……なるほど……いちかばちかやってみるか……

「……き、如月……お、俺が悪かった……許してくれ」

俺は声を震わせ、おぼつかない瞳をしてそう言い放った。

如月は案の定、俺のその態度を見て愉快そうに優越感に浸った表情をしていた。女の力が幾分弱くなったように感じる。

「俺がそんな事で許すとでも思っているのか?」

如月は優越感に浸った表情のまま、面白いのもでも見つけたように笑いながら俺の顔を覗き込んでそう言った。

「目はお前にくれてやってもいい、だから命だけは……」

自分でも思うが、不甲斐ないというかだらしが無い姿だぜ、まったく……

俺は腹の中でほくそ笑む。

如月は俺の言葉に、声を高らかに勝ち誇ったように笑う。俺の頭の上から、クスリと微かに笑い声が聞こえた。

今だ!

俺はそう思ったと同時に、腹筋に力を入れ勢いをつけて足を持ち上げると、体を折り曲げるようにして頭上の女の顔に蹴りをいれる。足は女の鼻に当たり、後ろに仰け反るように倒れていった。

俺は体のバネの反動を使って、足を前に放り投げるようして一気に立ち上った。それを見ていた如月が風のようにナイフを振り上げ近付いてくる。

ヤバイ、俺は咄嗟に自分の身を庇うように手で防ぐ。ナイフは重みのある衝撃とともに容赦なく腕を切り裂いていった。

かなり深く切れた。そう直感する。衝撃は感じたが、痛みはさほど感じなかった……

ただ、血は正直なもので、噴出すように次から次へと流れ出ていく。

やばいな……一瞬、弱気にそう思う自分がいた。

俺は傷口を強く掴みながらできるだけ止血する。如月はそんな俺を見ながら、勝ちを悟ったような余裕のある表情を見せていた。

女は鼻血の出た鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がる……

絶体絶命……そんな言葉が俺の脳裏をかすめて通り過ぎていった。

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