懐かしい愛はローズの香り
あの3人組は同業者だ。と言っても俺からすると何のポリシーもなく、金のためなら何だってするような何でも屋って所だろうな。
華奢男は完全にしとめたが、後の二人は生かしておいてやった。あいつらが世間的に存在を認められているかどうかがわからない以上、華奢男を殺した犯人が必要だろう? 俺は華奢男からナイフを抜いて、柄の部分を綺麗に拭き、華奢男とギョロ目の指紋だけをつけて、失神していたギョロ目に握らせて帰ってきた。
あいつらだっで、警察沙汰にはしたくないだろうから、華奢男は自分達でどうにか処分するだろう。
しかし、もうすでに動き出していた。
沙羅が狙われている。俺といればそれだけ危険な確率も増えるって事か……
やっぱり刑事に頼んだ方が安全かもしれないな……
俺はそんな事を思いながら、太ももに包帯を巻いている沙羅を見る。
「ねえ、玲……私、やっぱりあの刑事さんに匿ってもらう」
沙羅は顔を上げると、そう言ってちょっと悲しみの残る笑顔を浮かべた。こいつの事だ、きっと俺の事を考えて離れようとしてるんだろな……
俺はため息をついて、沙羅の頭を撫でる。沙羅は俺の顔を見つめてただただ微笑んでいた。
俺は皮のパンツに履き替える。
時計の針が午後10時45分を回っていた。もうそろそろあの依頼人が来る頃だな。
沙羅は邪魔になっては悪いからと言って、奥の部屋に引っ込んでいた。
喫茶店のドアが開いて、女性が顔を出す。今日もつばの大きい黒い帽子をかぶり、全身黒ずくめだった。女性が店に入ってきて、今度は黙ったままカウンターの席に腰をかける。
まただ、ローズの香り……
俺は黙ってコーヒーをその女性の前に差し出した。
「今日は探してもらいたい人がいて来ました」
女性の形のよい唇からそんな言葉が発せられる。
この殺し屋を目の前にして、今度は人探しだと……仲介人のヤツ、こんな依頼ばかり俺の所に持ってきやがって。そうは思ったが、とりあえず話だけでも聞くことにする。
「それで、誰を探せと?」
俺はその女性の帽子で見えない顔を見つめながら聞いた。
女性は少し間を置いて、微かに唇を震わせて言葉を発する。
「松永沙羅を探してほしいんです」
その言葉に俺は驚き、息を呑む……いったい何が目的だ? こいつは何者なんだ?
沙羅を探し出してどうする気なんだ。
俺は女性の様子を注意深く伺う……そこへ……沙羅が……
沙羅! 何を考えている!? もしかしたらまた刺客かもしれないんだぞ! この俺が柄にも泣く慌てていた。
沙羅がその女性の声に誘われるように奥の部屋から顔を出す。
「……あなた誰!?」
沙羅の少しだけ昔の記憶を辿るような、それでいて冷たい口調の声が響く。
沙羅の出現にその女性は、口を開き慌てて立ち上がる。その反動でかけていてた椅子が後ろに倒れた。
静かな店内に椅子の倒れた音が響き渡った。
「……沙……羅」
その女性は弱々しい声で沙羅の名前を口にする。それは驚きと懐かしい愛おしさ、そんな雰囲気を含んでいるように感じた。
女性は沙羅を見つめて、小走りに沙羅に近付くと抱きしめた。抱きしめた瞬間、今まで自分の顔を隠すようにしていた帽子が脱げ、床に落ちる。
「……お母……さん」
沙羅はそう言い、驚いたような、こんな事があるのか? とゆうような表情を見せていた。
俺は沙羅の言った言葉を聞いて、思い出す。
ローズの香り……どこかで嗅いだ匂いだと思っていた……初めて沙羅に会った時、微かに沙羅の体に残っていた香りも同じローズの香りだった。
ローズの香りが気になっていたのは、それのせいだったのか……
「嘘……嘘よ!」
沙羅は激しく動揺して、女性の腕を無理矢理解き、後ろに後ずさる。
「母は……死んだのよ……生きてるはずが無い」
そう言って、沙羅は柱に背中を預けながら、ズルズルとその場に座り込んだ。俺は沙羅の傍に駆け寄り、沙羅の肩を抱くようにしてゆっくりと立ち上がらせる。
女性は俯き、長い黒髪に顔が隠れて見えなかったが、ゆっくりとその顔をあげ、顔を露にする。右側の顔は沙羅の瞳に良く似ていた。大きく二重の瞳が輝いていた。そして左半面は……俺は咄嗟に沙羅の視界を塞ぐように抱きしめた。女性の左側の顔は肌が引きつったように焼けただれ、それは沙羅に見せられるような顔ではなかった。
「悪いけど、帽子をかぶってもらえるか」
俺が女性にそう言うと、女性は切なそうな深く悲しみを帯びた顔をして、床に落ちた帽子を拾い深々とかぶる。
沙羅は俺の胸の中で微かに震えていた。
「母親が死んだと聞かされてから、何年経っていると思う? あんたが母親だって証拠はあるのか?」
俺がそう言うと、女性は一枚の写真と4つに折りたたんだ紙を差し出す。その紙はかなりの時間の経過を感じさせるように、折り目が今にも切れそうで、所々が破れかかっていた。
俺はその紙を破けないように丁寧に開く。するとその紙にはどこかの絵本の絵なのか……王が短剣を振りかざし、眼の前の姫に襲い掛からんとしている絵だった。
沙羅がその絵を見て、息を呑むように立ち尽くしていた。
そして一枚の写真には一人の女性、たぶんそれは眼の前にいる女性なのだろう。そしてその膝の上に小さな女の子が笑顔で座っている写真だった。
女の子の顔を見た時、俺は直感する。これは沙羅だ……この笑顔は沙羅の持っている雰囲気とそっくりだ。
沙羅はその写真と女性をいったりきたりさせながら視線を移す。そして泣きたいような表情を浮かべるとカウンターの席に座り込んで、その絵と写真を見つめたまま動かなかった。
今の今まで死んだと思っていた母親がいきなり現れたんだ。沙羅の心はそれをどう処理していいかわからないんだろう……
「貴女の名前を聞かせてください」
「私の今の名前はチャン・コウリャンと言います」
俺はその名前を聞いて、この女性の身の上にあった複雑な事情をなんとなく察知した。
女性にフロアーの方の席に座るようにいい、コーヒーを入れなおして眼の前に置いた。
「昔の名前は捨てて、中国人になったゆうことですか?」
俺の問いに女性は静かに頷き、俯いて動かなくなった。
でもなぜ今になって、日本に現れたんだ?
沙羅と女性の間には俺が入り込めないような微妙な空気が流れいた。突然目の前に現れた衝撃的な現実を、すぐに受け入れる事のできない沙羅と沙羅を思いながらもその腕で抱きしめる事をゆるされない母親……。
「なぜ日本に?沙羅に会うためですか?」
俺は女性にそう聞いた。女性は両手を微かに震わせて、その震えを必死に止めようとするように、両手をしっかりと握り締める。
「松永恭次郎の死を見るためです……そして許されるなら沙羅の母親としてやり直したかった……噂であの人が沙羅に賞金を懸けたと聞いて……それで」
女性は唇が切れるのではないかと思うくらいに、強く自分の唇を噛み締めていた。
「死んだ事にしたのは松永恭次郎から逃げるためですか?」
女性はその言葉に、深く頷き目頭を押さえていた。
この女性が此処まで来るためには、並大抵の苦労ではない苦労があったはずだ。それに顔の火傷の痕……それを見れば人生の凄まじさを感じる……
その時、ふっと頭の中をよぎった名前、上原……前にここに来た時に殺さないで欲しいと言った。あの言葉……何か意味があるのか?
俺はそんな事を思いながら、煙草を咥えて火をつけた。
風の無い店内に白い煙が一筋立っていた……




