その手を握りしめて
玲はまだ目を覚まさない。
私の力では玲をベッドまで運ぶ事は不可能で、結局ベッドの上から布団を引きずりながら持ってきて、台所に布団をひいて玲をその上に寝かせた。
夜になってから熱が出はじめた。そんな高い熱ではないけれどすぐには下がりそうも無い。
化膿止めを飲ませれば熱が下がるかな……だけど起きそうもないし……どうしよう……
私は玲の顔を見つめた。額からは汗が流れ落ちている。汗で濡れた髪の毛が頬に触れるようにへばりついてた。
私はその髪の毛を掻き揚げて汗を拭いてあげた。
そうだ、錠剤を砕いて口移しだったら飲ませられるかな……やってみる価値はある!
私はさっそく台所に置いてあった化膿止めを2錠袋から出して、紙の上で砕く。
できるだけ細かくなるまで砕いた。
砕いた錠剤を口に含んで水を口に入れる。そして玲に近付き、口移しで玲に薬を飲ませる。
喉がゴクリと音を立てて、薬を飲み込んだ音が聞こえた。
良かった、なんとか旨くいった。これで熱が下がってくれるといいんだけど……。
私はため息を一つすると、玲の傍らに座り込んでひたすら玲の顔を見ていた。
いったい、出先で何があったんだろう?撃たれて帰ってくるなんて……
玲が殺し屋である事をこれでもかって言うくらい思い知らされる。
私は台所の壁を背もたれにしながら、玲の隠れ家をぐるっと見渡す。
そういえばこうやってしみじみ見るのは初めてのような気がした。
玲の隠れ家は部屋が三つ、この台所のある部屋と奥のベッドのある部屋、そしてもう一つ、人が入ることを拒絶するかのようにドアがしっかりと閉まっている部屋。
壁はコンクリートが剥き出しで、薄暗い空間の中で冷たく部屋を覆っていた。
それはまるで玲の冷たく閉ざされた心そのもののよな気がした。
「……ん…う……ん」
玲の微かな声に私は部屋の奥を見ていた視線を玲へと向ける。
玲が眉間にしわを寄せながら、ゆっくりと目を開けた。
「玲……大丈夫?」
私は玲の顔を覗き込むようにして声をかける。
玲はオレンジの光が眩しいのか、額に右手をあてながら目を細めた。
玲は周りを見渡すように瞳を動かす。そして自分がどうゆう状況にあるのかを把握したのか、軽く鼻で笑った。
「……悪かったな」
玲のかすれた声が空気を揺らす。
私は何も言わずに首を横に振った。とにかく良かった気がついて。
「何があったの?」
もしかすると聞いてはいけない質問だったのかもしれない。でもどうして玲がこうゆう状況に陥ったか……経緯を聞きたくて私はその問いを口にしていた。
玲は私の瞳を突き刺すような視線で見つめる。
「……今日は妹の命日だったんだ。だから墓参りに行った。俺には敵が多い、その一人がそこで待ち伏せしていた」
玲はそう言うと、私から目線を外して天井を見つめる。
妹の命日……あの写真。赤ちゃんが二人並んで写ってるあの写真って、玲と玲の妹さんの写真だったんだ。
妹さんを亡くしていたのね……それであの写真を見ている玲は悲しい目をしてたんだ。
「……妹は俺が殺したんだ」
玲は冷ややかに何の感情を含まない言い方でそう言った。
私は耳を疑う。たった今、玲の口から飛び出した言葉の意味を、把握する事がどしても出来なかった。
玲はそんな戸惑っている私の様子を見て、口元を歪ませ冷ややかな笑みを浮かべていた。
「……俺は自分の妹を手にかけるような男だ」
玲はそう言い、漆黒の瞳を揺らして私を見つめていた。
私は今まで覚えていた言葉を全て忘れてしまったかのように、言葉を何一つ発する事が出来なかった。
玲の周りを深い悲しみが纏わりつき、そのまま闇の中へと引きずり込もうとしているように見えて、私は思わず玲の右手を握る。
何も言えない……言葉にならない……ただ悲しくて苦しくて、今にも玲が消えてしまうんじゃないかと心配で繋ぎとめておきたかった。
「大丈夫だから……私がいる」
やっとの思いで搾り出した言葉がそれだった。
玲は私の言葉に反応するように目を見開き、そして次の瞬間……玲の瞳から一筋の涙が流れる。
玲の心から深い悲しみが伝わってくるようだった。
自分の手で妹を殺めてしまったことに対しての、深い深い後悔と悲しみを帯びた苦しみ。
私は玲の体にそっと寄り添い抱きしめた。
玲がそんな私の背中に手を回して力強く抱きしめてくる。
耳元で玲の押し殺した泣き声が聞こえてきた。
オレンジ色の空気の中で、玲の悲しくて苦しい泣き声が響いていた。
痛い……胸が締め付けられるような気がして痛かった。
ややしばらく二人で抱き合ったままの状態で重なっていた。
玲の苦しい泣き声も小さくなって、聞こえなくなっていた……
寝ちゃったのかな?私がそう思っていると、玲の微かな声が耳元に聞こえてきた。
「俺は……もう何も失いたくなし、相手を傷つけたくも無い……俺と一緒にいればお前も傷つく……俺から離れた方がいいかもしれない」
玲の押し殺した震える声が聞こえてきた。
自分が傷つくのも相手を傷つけるのも、辛くて苦しい事……だからそうやって人を遠ざけて心の中で自分を押さえつけて生きてきたの?
私はなんだかとても悲しくなってしまって、涙が頬を伝って流れ止まらなかった。
玲は寝た状態で私の体を持ち上げるように離して、弱々しく微笑んだ。そして私の頬を濡らす涙を拭う。
「玲…玲が……可愛…そう……なんだ…もん」
私のその言葉に玲は悲しく微笑んだ。
「……馬鹿だな」
玲はそう言って、私を引き寄せて抱きしめる。強く強く抱きしめる。
まるで玲の心が縋りついて来る様なそんな気がした。
絶対にもう二度と玲を闇の中になんか落とさない……
私は心の中で、そう強く決意した。




