素直な愛と不器用な愛
温かい日差しを感じる……えっと、私どうしたんだっけ……
目を閉じたまま、少しの間だけ頭の中に残る記憶を整理する。
逃げて、川に落ちて……川下に向って歩いた……怪我もしていたし、道もわからなくて、道路に出るまでにかなり時間がかかった。
やっとの思いで道路に出て……もうそれ以上動く事が出来なくて道路に蹲っていたら、トラックが止まってくれて乗せてくれた。優しい女の人だったな。
そしてやっと森下町にたどり着いた。時間はわからないけど夜中だった。
その後、どうしたんだっけ!? あれ?……わかんないや……
私はそこからの記憶が無い事に気付いて、慌てて目を開ける。
眼の前に薄汚れた白い天井……そして私はベッドに寝ていた。
体を動かそうとすると激痛が一瞬にして走り、動く動作一つにもかなりの勇気を必要とした。
横を向くと、そこには玲の顔があった。
玲の顔だ……玲の顔がある……心の中が熱くなる。
そうか、なんとかたどり着けたんだ。よかった。
玲は自分の手を枕にベッドにもたれるようにして、私の傍らで眠っていた。
閉じてる目、睫毛が一本一本綺麗に伸びて長い。鼻は筋が通っていて形がよく高い。唇は程よく厚みがあって思わず触りたくなるような感じだった。
日差しを受けて、顔にできる陰影で余計に美しさを際立たせていた。
会いたかった……
私はまだ痛みの走る腕を伸ばし、玲の頬を触ろうとした。
「触るな」
低い静かな声で玲がそう言い、閉じられていた目をゆっくりと開ける。
私は玲の声に一瞬驚いて、思わず手を引っ込める。
玲は淡々と私の顔を見ると、ゆっくりと立ち上がり私に背を向けて部屋を出て行ってしまった。
相変わらず、ぶっきら棒とゆうか冷たい。あたりまえか私の片思いなんだから。
私は大きなため息をついた。心の中に色々な事実と感情がありすぎて重くて仕方が無かった。
だけどその一方で玲に会えたとゆう安心感もあって、少しは心が救われていた。
部屋のドアがいきなり開き、玲がコンビニの袋をぶら下げて入ってきた。
「とにかく食って早く元気になれ」
玲は表情一つ変えずに、淡々とそう言った。
私はなんだかその不器用な優しさが可笑しくて笑ってしまった。それと同時に心の中に安心感が広がって胸が熱くなり、喉の奥と鼻が締め付けられるように痛み、目からは搾り出すように涙が流れた。
玲の表情はとたんに悲しくなる。そして手が伸びてきて私の濡れた頬を拭う。
「親子ゲンカでもしたか?」
玲の声はいつものように冷たかったけど、優しい雰囲気を持っていた。
その言葉があまりにも的を射ていて、私は何も言わなくてもなんとなくわかってくれている事が嬉しくて、余計に涙が止まらなくなった。しまいには声を出して泣いていた。
声を出して泣くなんて何年ぶりだろう。
玲はそんな私の頭を撫でる。とっても優しい手だった。長い指が私の心を癒してくれる。
涙でボロボロになった私の顔を玲は真っ直ぐに見つめている。何かを聞きたいのか? 言いたいのか? そんな感じに見えた。
「何?」
私は泣きしゃっくりをしながら玲に聞いた。玲はそんな私を見つめて少し迷いのような仕草を見せる。そして大きなため息をつくとまっすぐに私を見つめた。
「俺には人を愛する資格はない……沢山の命を奪ってきたこの俺に普通の幸せを手に入れる資格は無いんだ……だから俺の事はあきらめろ」
闇の中に沈んでしまいそうな漆黒の瞳を潤ませて、玲はそう言った。
とてつもない悲しみが空気を揺らして私にも伝わってくるようだった。
私は玲の手を静かに握る。
玲の瞳は闇に包まれていて寒くて凍えそうだった。温かみの欠片も感じないその表情を見ていると悲しくなる。
私には想像もできない、人生を歩んできたに違いない……
「違う……私は愛して欲しいなんて思ってない。ただ玲が寒がって凍えそうに見えたから。そのまま闇に染まっていって消えてしまいそうだったから……手を掴みたかった。消えて欲しくなった……それだけ……」
この言葉には少しの嘘がある。会いたかったし、傍にもいて欲しい。でも私の中の一番の気持ちは玲に生きていて欲しい。
私の言葉に玲の闇色の瞳が揺れる。なにかどうしようもない切なさを感じた。
玲のもう一つの手が私の頬に伸びてきて優しく触れる。
「……まったく……お前と会うと苦しくなる……ついつい自分の運命から逃げ出したくなる」
玲のその言葉は深い悲しみを感じさせた。私には想像しきれない感情が渦巻いているのがわかる。
駄目よ……闇に沈んでは駄目……
私の心はそう叫んでいた。そして痛みの走る体を無理矢理起こして玲の唇に口づけをした。
自分でもなぜ!?って思った。どうしてこんな行動をしてしまったのか……やってしまった後に後悔が頭によぎったけれど、こうなっては後戻りは出来ない。
私の突然の行動に玲は一瞬、身構えるように体を硬直させていた。
私はゆっくりと玲から離れた。
思わず口付けしてしまったのは私の素直な気持ち……だから嫌われても後悔はしない。
あの玲がもの凄く驚いた顔をしていた。いつもはあまり表情を外に出さないあの玲が……
私ってついつい考えるより先に行動に出ちゃう。
玲の驚いた顔がゆっくりと優しい笑みに変わる。その笑顔に私は驚いた。
こんな優しい笑顔も浮かべる人なんだ。そんな事を思いながら玲の笑顔に見とれていた。
そうしたら玲の顔がゆっくりと私の近づいてきて私の唇に軽く口づけをする! 私は驚いてもう少しでベッドから落ちそうになった。危ない所だった。私の変わりに布団が落ちる。
う、嘘! キスされちゃった……
玲はそんな私の驚いた表情を見て、愉快そうに笑っている。私は少しの間、その状況がどんな意味を持つのか考えていた。
ふと冷静になった時、驚愕の事実に気付く!
私の姿、上はシャツを着ていたけど、下はショーツだけ!!!
キャー! どうしよう!!
慌てた。体の痛さなんかぶっ飛ぶくらいに慌てた。だって玲に見られたもん! やだ、どうしよう!!
布団の上でバタバタを慌てふためいている私を横目に見ながら、玲は口を押さえて必死に笑いを堪えている。
やだ! 恥ずかしいよ。
顔をニヤつかせながら、玲は落ちた布団を拾い上げ私の上にかけてくれる。
「だから幼児体形には興味ないって」
玲はそう冷たい口調で言ったけれど、前に言われた時とは違って温かさを含んでるような気がした。
私はスッポリと布団を顔の半分まで隠し、目から上だけを出した状態で玲を見つめた。
そりゃあ幼いかもしれないけど、私にだって恥じらいがあるもの……
玲はそんな私を愉快そうに笑いながら見つめている。
闇色の瞳に少しだけ光が見えたような気がした。




