面倒くせぇ女
「また来たのか?」
ヤブ医者が迷惑そうな顔をして俺を睨んでいる。
沙羅とホテルのトイレで話してから、俺は時間があればこのヤブ医者の所に顔を出していた。
なんとなく、沙羅が現れるような気がして。
沙羅はあの時、俺の手をとらなかった……その事が俺の中で引っかかっていた。
何かがあったはずだ、俺が蔵元の坊主をぶっ飛ばした後、何かがあったはずなんだ。
あんなに沙羅が苦しそうに吐き、泣いていた。
そして俺の手を取らなかった事と、その事は関係があるんだろう。
おかしいよな? 自分でも十分分かってる。こんな姿は俺らしくない。
完全に自分のペースを見失っている。
「お前、顔つきが変わったな」
ヤブ医者がそう言いながら、鋭い視線で俺の顔を覗き込んでくる。
俺は思わずヤブ医者から顔を逸らしてしまう。そんな俺の態度に何かを感じたのか。ヤブ医者は不機嫌そうに顔を曇らせた。
「今のお前の顔は殺し屋じゃない……廃業するのか?」
ヤブ医者の言葉が心に突き刺さる。自分でも気付いていた。俺の中に埋もれていた、一生現れないと思っていた感情を、今俺は沙羅に対して抱いてしまっている。
殺し屋にとって致命的になる余計な感情。
わかってるさ、だが自分でもその気持ちを封じ込める事の難しさを思い知った。
実際、封じ込めようと努力したのかさえわからない。沙羅を愛おしいと思う気持ちを自分でも心地いいと感じてしまっていたのだから。
俺はヤブ医者の問いに答える事なく、煙草を取り出し口に咥える。
「おい、ここは禁煙だ! 吸うんなら外でやってくれ!」
ヤブ医者が苛立ちを見せて俺にそう言った。俺は自分のヤブ医者に対しての態度と、沙羅の事を愛おしいと思ってしまう滑稽な自分が可笑しくて、思わず鼻で笑った。
煙草を咥えたまま俺は外に出る。夜の空に月明かりがゆるやかに差し、あたりを温かく照らしていた。秋の風は冬の匂いを運んでくる。冷え切った空気が星を綺麗に見せていた。
俺は煙草に火をつける。夜の闇に煙が一筋立ち、風にユラユラと揺れていた。
ん!? 何かが来る!?
俺は咄嗟に時計を見る。真夜中の2時だ。幽霊がこの世にいるなら活発に活動する時間だな。
目を凝らし、暗闇の中の影を探る。
月明かりに照らされて、黒い影がよろよろと揺れながらこっちに近付いてくる。
あきらかに人の影だ。こんな時間にここに来るなんて……同業者か?
……いや……違う……沙羅?……沙羅か!?
俺は煙草を投げ捨て、その影に向って走った。
影は俺に気付いたらいく動きを止め、その場に倒れるように崩れ落ちた。
「沙羅!?」
俺はその影の体を抱くように持ち上げる。月明かりに照らし出された顔はまさしく沙羅だった。
沙羅は目を閉じ、気を失っているようだった。
顔中擦り傷だらけで、体の至る所に傷が付き血が出ていた。
沙羅の腰の部分に俺の手が触れた時、違和感を感じた。腫れてる!?
俺は沙羅を抱き抱えると急いでヤブ医者の所に連れて行く。
ヤブ医者は俺が突然女を連れて現れたもんだから、かなり驚いた顔をしていた。
「腰骨の辺が腫れてるんだ、見てやってくれ」
ヤブ医者は、俺のその言葉を聞いて冷ややかに笑う。
「待ち人はこの女か?」
それは嫌味をたっぷり込めた言い方だった。俺はその言葉に何も言葉を返さなかった。とにかく今は沙羅の怪我が心配だった。
ヤブ医者は沙羅の履いているジーンズをハサミで切る。沙羅の白い足が露になった。足も青アザだらけだった。
腫れていた腰骨の部分はどす黒く変色して腫れていた。
ヤブ医者はその部分を手で触る……沙羅は短い呻き声を上げる。
「ふん、かなり強くぶつけたみたいだが、幸いただの打撲だ。とにかく冷やして何日か安静にしていれば腫れも引くだろう」
ヤブ医者はそう言うと奥の部屋から、お湯の入った洗面器とタオルを持ってくる。
「ここに湿布を置いておくから、体を拭いてそれを貼ってやれ、奥のベッドを使っていいからとにかく今日はゆっくり寝るんだな」
「……悪いな、礼はかならずする」
俺の言葉にヤブ医者は、口元を歪め笑みを浮かべる。眼鏡の奥の瞳は笑っていないようだった。
「あたりまえだ、俺を揉め事には巻き込むなよ」
ヤブ医者はそう言うと、奥の部屋へと姿を消した。
俺はお湯にタオルを浸して絞ると沙羅の体を拭いた。
額にも頬にも擦り傷があった。二重の大きい瞳は閉じられ痛みが走るたびに歪む。
首筋を拭き、着ていたシャツのボタンを一つ外す。
何だ!? 俺は一瞬目を疑った。
沙羅の胸に10センチくらいの傷が残っていた。傷は浅そうだったが、刃物で切られた事はすぐに分かった。
いったい、何があったんだ!
俺は外したボタンを元に戻す。沙羅のこの姿を目にして言いようの無い悲しみが襲ってくる。
沙羅の身に何か凄まじい事が起こった事は予想がついた。
怪我の状態を見るのに切られたジーンズを静かに脱がせる。白い綺麗な足にアザが何箇所も残っていた。俺は丁寧に泥で汚れた場所を拭く。
そして腫れた部分に湿布を張ってテープで止めた。
沙羅は静かに目を閉じていた。目を開けることも出来ないくらい疲れているようだった。
俺は沙羅を抱きかかえると、ベッドへと運ぶ。静かにベッドへと寝かせて布団をかけた。
優しい月明かりが部屋に差し込み、沙羅の顔を照らしていた。
俺は沙羅の頬を優しく触る。
まったく面倒くせぇ女……完全に俺のペースを乱しやがった。
そう思いながらもその事を楽しんでいる自分がいた。
沙羅を待てる玲のもとに、沙羅が現れる。
体中傷だらけで、胸には切られた痕まであった。
沙羅の素直な愛と玲の不器用な愛、これからどうなっていくのか…




