笑顔の裏の偽り
「心変わりしたか?」
玲は小さな声で、無表情のままそう言った。
私はそんな言葉よりも、玲がどこからここに入り込んだのか、その事が気なって仕方が無かった。ホントどこからでも沸いて出てくる。
でも玲の出現が、私の心に一瞬安らぎをもたらしてくれる。殺し屋を相手にそんな事を思うなんておかしいかもしれない。
だけど私はこの殺し屋の事を信頼している事は事実で、その信頼から生まれる安心感はいつも緊張感の中で暮らしている私の唯一の救いのような気がした。
「残念ね、まだ私は貴方が好きよ」
私のその言葉に玲は鼻で笑う。そして玲の手が私の顎に伸びてきて、顎を支えるように私に触れると同時に玲の端整な顔が私の顔に近付いてくる。
これはもしかしてもしかする!? 私の中に喜びとか期待とかゆう気持ちとは別の切なさに近い感情が広がる。玲の唇が私の唇に触れる寸前に玲の動きが止まる。
何? どうゆ事?
玲は愉快そうに声を出さずに笑った。
「だから騙されるんだよ」
玲の冷たい言葉が胸に激しく突き刺り、言葉を発する事も出来なかった。
直前までもしかしたら? と思っていた自分が恥ずかしかった。そしてそんな私の気持ちを知っていながらこうゆう行動をとった玲に対して怒りを感じた。
私は思わず、玲の頬を平手で引っ叩いていた。玲はその反動で横を向き、私のとった行動がさも自分の予想通りだったと言わんばかりに笑っていた。
玲は叩かれた方の頬を触りながら私の方を見る。そしてその冷ややかな目で私を見つめ口を開く。
「お前気付いてるか? さっきのナイフの男、あれは全部蔵元の坊やが仕組んだ事だぞ」
玲は淡々と何も強弱のない口調でそう言った。
「嘘よ……」
私は玲の言ったその言葉に愕然とし、祥ならやりかねないと思いながらも、それを信じたくない気持ちもあった。それはたぶんその演技に対して心が揺れてしまった、自分がいたからだと思う。
「残念ながら、人の見えない所で情報を探るのが得意なもんでね」
玲はそう言うと私を見て鼻で笑う。その言葉には納得せざるおえない力があった。
私の中で祥への怒りがこみ上げ、悲しくなる。一瞬でも信じてしまった私の心を返して欲しかった。
「あんの、クソ男!」
私はトイレから勢いよく出ると、怒りは頂点へと達し考えるよりも先に行動していた。真っ先に祥に向って拳を握り締めながら小走りに走り、飛ぶように祥にぶつかっていく。
祥は突然の事に身構える余裕も無く、ベッドの上に倒れ込み私の拳をまともに喰らった。
私に殴られた事で、祥の表情が一変する。
祥の手の甲が勢いよく私の頬に飛んできて耳に当たり、一瞬耳鳴りがして何も聞こえなくなる。祥はすかさず私の上に覆いかぶさるようにして手足を押さえてきた。
クソッ!動けない。
祥の目は今までに見てきたどの目とも違っていた。怒りをむき出しにしてちょっとでも触れたら、その場からすぐに全てを燃やしつくしてしまいそうな、そんな雰囲気を漂わせていた。
私の中の怒りは冷める事無く激しく燃え、祥のそんな雰囲気に対しても恐怖を感じてはいなかった。
「あのナイフの男、あんたが仕組んだって本当なの!?」
私は祥に食いつかんばかりにそう叫んだ。祥は一瞬表情を変える。私の口からこんな言葉が出てくるとは予想してなかったような表情を見せた。
やっぱり図星!?
祥の表情はさらに変わり、私を見下したような目をして笑った。
「なぜ、知ってる?」
祥は静かに何の感情も感じないよな声でそう言った。
「俺が教えたんだよ」
トイレの方から冷たい声が聞こえた。玲の声だ!
祥は咄嗟に私から離れて、枕元にあった引き出しに手を伸ばすと中からピストルを出し、後ろを振り返りながらピストルを構えた。
だが祥の視界からは玲は消えていた。次の瞬間私の目の前を黒い何かが通ったと思ったらその黒い影は祥を襲う。
ズギューン!
銃声が鳴り響き、それと同時に祥の体は吹っ飛びベッドから転げ落ちた。
何が起きたのか、一瞬わからなくて把握するのに数秒の時間がかかった。
玲は無事だった。頬には銃弾がかすったのか、微かに血が滲んでいた。祥は玲の拳を思い切り喰らって床の上で失神している。
ドンドン!ドンドン!
ドアを激しく叩く音が聞こえた。
「お嬢様!お嬢様!」
上原の声だった。今の銃声を聞きつけて来たに違いない。
玲は小さく舌打ちするとベランダを開けて外に出る。外にはロープのような紐がぶら下がっていた。
ドアが勢いよく開く音がして、上原が部屋の中へと入ってきた。と同時に一瞬にして玲の姿は下へと消えていく。
上原はそのただ事ではない雰囲気をすぐに察知したらしく、開いているベランダに近付く。
私はそんな上原の行く手を阻むようにベランダの前に立ちはだかっていた。咄嗟に無意識にそれがあたりまえのようにそんな行動をとっていた。上原はそんな私を見る。いつもは無表情の上原が怒りを混ぜたような悲しい表情をしていた。
「お嬢様、いいかげんにして下さい!」
いつになく激しい口調で上原が私に言う。私は少し驚いた。こんな人間ぽい部分が上原にもあったなんて……
自分でもなんて子供じみた事をしてるんだろうって思う。まるで飼ってはいけない子犬を持ってきてしまってそれを必死に隠すようなそんな行動。
だけど、玲の存在は私にとって何者にも変えがたい存在になっていた。玲には無事でいて欲しい!
「私は言いましたよね? 自分の身を守るにはためには演技する事も大事だと」
上原は私の両肩を掴み私の瞳をまっすぐに見つめて、そう言ってくる。上原の必死さが瞳を見ていると伝わってくる。なぜそこまで必死に言うの? いつもの淡々と父の言いなりになってる上原とはまったくの別人に見えた。
「お嬢様が……奥様みたいに……」
そこまで言って、上原は口を噤んだ。上原には珍しくひどく動揺してるようだった。
今の何!? 奥様って? 私の母のこと?
上原は口を硬く閉じ、私から目線を逸らして横を向く。何かを隠してる! そう瞬時に思った。
それは何? 母に関すること…フッと脳裏をよぎる言葉「母の死因」
まさか。やっぱり事故死じゃないって事? じゃあ暗殺? 殺されたの?
私の中でありとあらゆる可能性がめまぐるしく回っていた。そして記憶の隅っこに追いやられた事を思い出す。
母との数少ない思い出の中の絵本。あの絵本……ページが破られていた……
え!? 私の中に生まれた一つの疑惑。母の死因、まさか!
自分の中に生まれた疑惑を必死に払い除けながら、そうでは無い事を祈りながらも、その可能性を拭いきれない私は、その重さに耐え切れなくて足が震えて力が抜けて床に座り込んだ。
まさか……そんな事、あるわけがない……
玲の口から飛び出した言葉に沙羅は愕然とする。
祥の企みに気づき、激しい怒りを感じる沙羅だった。
銃声に驚き飛び込んできた上原。沙羅の行動を見て思わず口走ってしまった言葉…
この言葉に隠された真意とは?




