プロローグ
平日の正午、週に五話づつ更新する予定です
──おかしい。
僕は今、倒れたはず……。
なぜ、いつまでも背中に衝撃が来ないのだろう。
……いや?これはもう、とっくにあおむけになってるのか?
だって、身体の下に何かがある。
「……?なんともな……」
そんな違和感を覚えながら、光にくらんだ目を見開いて確かめる。
その正体は白いベッドだった。
柔らかさと反発具合のバランスが絶妙な、まさに高級品といった代物だ。
……当然、見覚えがない。
そして、それが置かれている場所にも。
「……くない…………」
サーッと血の気が引いてゆく。
急激すぎる周囲の変容。
経験したことのない恐怖に僕は襲われた。
そこは「うちの学校の保健室がこんなにも豪華だったとは知らなかった」なんて、現実逃避したくなるほど現実離れした豪華な部屋だった。
窓も照明もないのに暖かな光に満たされた格式高い西洋風の部屋は、まるで光そのものが壁に塗り込まれているかのようだ。
高そうな絵画がいくつも壁に掛かる部屋の中央に、部屋の様子にあまり似合っていない純白のベッドが10台、5台ずつ頭合わせになるように並んでいる。
うわー……すごいな。名前を付けるなら【光の間】かなー?アハハハハッ。
僕、鈴木安良義は混乱していた。
それはもう、尋常じゃなく。
夢はこんなにもリアルになるのかと。それとも、これこそが現実だったのかと。
「ん……あれっ?なんだぁ!?どこだ!?」
「……ほえ?……え、なッ……夢っ?え?えっ!?」
しかし、両隣のベッドからした声にハッと意識を取り戻す。
それはいつも……いや、ほんのついさっきまで聞いていたはずの声だったからだ。
「海斗!?真鈴!?」
「おうっ?!」 「ハイッ!ナンデショウッ!?」
テンパった声だが返事が来た。
ほぼ彼らに違いない。
だが、その姿を見るまでは安心しきれないという焦りから横を向こうとして。
……ふと、全身の肌の触覚が、自分の体を包むものに対して、どういうわけか違和感を覚えた。
「ちょっ、ラギ長!?なんだよその格好wwどっかのボンボンみてぇwww」
「らぎ君!?どうしたのその格好……って、私もか!アハハ!ていうか、バカイト。アンタもでしょー!?全っ然、似合ってないわね〜アハハ!」
「ほ、ほんとだ……プッ……アハハハ!なにこれ、どういう状況!?アハハハ」
一瞬だけ戸惑ったが、すぐにその理由に気がついた。たしかに、変な格好だ。
張り詰めていた糸が一気に緩んだことで、緊張が全て笑い声へと変換される。
見ればカイトとマリンも、自分と同じように白いバスローブを着ていた。
ということは、二人とも自分と同じで中は全裸なのだろう。
素肌を優しく包む雪のように綺麗でフワッフワなそれは紛れもなく高級品。
……当然、これも見覚えがない。
というかそもそも、さっきまでは制服だったはずなのに、いつの間にかフワッフワのバスローブになっているというのはどう考えても解せない。
一瞬で着替えさせたトリックも、着替えさせた理由も、そもそも誰の仕業なのかも全く分からない。
再び言い知れぬ不安が僕らに押し寄せる。
「んー……」
訝しげにマリンのローブを見つめていると、偶然ゆるんだローブのスキマから胸がチラっと見えた。
いや、実際はほとんど見えていなかったのだが……。
「おっと」
それ以上、見ることのないように目を背けた。
別に興味がないわけじゃない。
今はそんな余裕はないってのもあるけど、やっぱり見るのは良くないと思うからね。
割と思いっ切り目を背けたことで、すぐ後ろのベッドにも人が寝ていたことに気が付く。
そこに誰がいるのか。なんとなくだけど、心当たりがあった。
「あれっ、剣がねぇぞ……いや、パンツもねぇ!!メガネしかねぇ!!!」
「確かに倒れたと思いましたのに……。……ここは?」
「あれー?なにこれ。なんでこんなの着て、こんなとこで寝てんだ!?……っえ、てかそもそも寝てなくない?」
後頭部では判断しきれないが、タイミング良く聴き慣れた声がした。
もう他にはもう誰もいない。
ということは、この考えは間違ってなさそうだな。
「さっきまで教室にいた人だけが、今、この場所にいるということか……」
一つの疑問が解決したので、とりあえず点呼をとろうと委員長は委員長らしい発想で行動する。
「功夢!」 「はい?」
「雅さん!」 「はい」
「優綺さん!」 「ん?あれ?委員長?」
「みんな、体は大丈夫!?何も異常はない?!?」
そんな恰好で大丈夫なはずないけど、見た感じや気分、全身の感覚からして、僕は身体に何かされた様子はなかった。
他の5人も同じように思ったのだろう。
「「「「「大丈夫ですよ(だよ)(でーす)。委員長」」」」」
嬉しい返事が返ってきた。
ついさっきまで1-2の教室にいた筈の6人は、見知らぬ何処かのベッドの上にいた。
しかも、学園の夏用制服だけでなく髪飾りや下着なども消え去り、代わりに全裸にバスローブという奇妙すぎる格好で。
それでもお互いの無事を確認できた安心感から、日頃からお喋りな駿河原真鈴を筆頭に彼らはワイワイガヤガヤと喋り出すのだった。
この状況はドッキリで、モニタリングされている?……それにしては、現実味がない。
異世界召喚に違いない?……異世界に召喚された……って、それはアニメの見すぎだよ。
催眠術?……なるほど、これまでの経緯を忘れてここにいるということか。なら、今までの催眠術に対する否定的な考えを改めなくちゃならないな。
誰もが納得できる理由が出るまで、この無意味な議論は終わらない。
すなわち、現状が変わらない限りこのままなわけだが、そうでもしていないと理解できないことによる不安で心が押しつぶされそうだった。
それからどれくらい経っただろうか。
部屋に4回続きのノック音が響いたことで会話は打ち切られた。
このノックは、この事件の首謀者の登場の合図に間違いないからだ。
心の準備が終わらなかった僕ら5人の心臓が飛び跳ねる。
「どうぞ」
しかし、天竜雅さんが慣れた様子で即座に入室許可を出した。
流石はクラス1のお嬢様キャラ!と、僕ら5人は心の中でお礼を言う。
「失礼致します」
扉の向こうから聴こえてきたのは、ハッキリとした男性の日本語だった。
「「えっ!?」」
ここは日本ではないと思い込んでいたらしい功夢と優綺が驚きの声を漏らす。
入ってきたのはガタイのいい黒スーツの男と白スーツの美人秘書という感じの二人組。どちらも仕事の出来る現代風の日本人といった印象で、この部屋とはなんというか文化も時代も違う。
二人の大人はどこか嬉しそうな顔で皆の前まで来ると、軽く礼をしてから流暢な日本語で話し出した。
「よくぞ来てくれた、日本の高校生諸君ッ!!私の名は黒崎レイジだ。今後ともよろしくっ!そしてこっちが…」
「白崎瑛未里です。主に皆さんのサポートをさせていただきます」
男性は渋く凛々しい声で、女性は元気で明るい声で、それだけ言って口を閉じた。
日本人らしき二人の自己紹介はそれで終わった。
「…………」
依然として、状況が全く掴めない。
この人たちならば、今ある疑問全てに答えてくれそうなのだが、なにから訊けばいいのか考えがまとまらない。
それとも自分達も自己紹介すればいいのだろうか。
お互い無言のまま時間が過ぎる。
全員が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたため、クロサキは「まさか」と思い、逆に問いかけることにした。彼もまた、この状況を飲み込めていないのだ。
「……何も、聞いてないのか?」
無言の頷きが答えを示す。
むしろ、何を聞かされたと思っていたんだとばかりに、不信の視線が突き刺さる。
だが、これはクロサキにとっても想定外の出来事だった。
「マジかよ……。えーっと、ちょっと待った。簡単に言ってしまうとだな…………」
なるべくシンプルに分かりやすく、それでいて魅力的に事を伝えようと、頭をひねって絞り出す。
クロサキは彼らに自分のこれまでの思い全てを伝えたい一心で、そのすべてを凝縮した台詞を力強く送り出した。
「ここは、RPGのような未知と魔法の世界ッ!そして君たちはッ!その、主人公なんだッ!!」
その結果、持ち前の声量でエコーのかかったいい大人の声が王宮全体に響き渡った。
今度はみんな、鳩がバズーカの爆風を食らったような顔になった。
このシラケた空気をなんとかしようと考えた修善寺海斗が口を開くよりも少しだけ早く、シラケさせた張本人が咳払いをしてそれを止める。
「……ゴホン、失礼。とまぁ、叫んでしまったわけだが、割とそのまんまの意味なんだ。うん」
一同は様々な思いで失笑する。
……いや、1人だけ困った表情を浮かべていた。
だが、そんなことは気にしないでクロサキは鍛えられた両手を前に差し出す。
何を隠そう。本命はここからだ。
「……証拠を見せた方が早いだろうな」
何も仕掛けが無いことを見せつけるかのように開いて閉じて、くるくる回す。
手品の前置にも似たその行為で皆の注目を彼の顔から手へと集めると、何の変哲もない声でこう唱えた。
「“水球”」
「「「「「「ッ!?」」」」」」
突如、どこからともなく澄んだ水流が球の中心に向かって渦を巻くように出現し、たちまちハンドボール大の水の塊になった。そしてそれは、重力を完全に無視してプワプワと右手のひらの上に浮かび続けるのだった。
手品なんてレベルを軽々と一歩で越えてきたことで沸き上がるのは、驚愕の詰まった声にならない声。どんな眉唾な超能力だろうと、非現実的な不可逆的現象だろうと、目の前で見せつけられれば信じるしかないのである。
しかしクロサキは、まだまだ序の口と言わんばかりに左手を水球に被せ次の魔法を発動させる。
「“氷結”」
今度は浮かんでいた水球が上の方からみるみるうちに凍ってゆく。パキパキという効果音の大きさは、その様子の異常さに比例して大きかった。
そして、完全に凍りきったところで糸が切れたように浮遊感を無くし、ストンと手のひらに収まった。
CGでしか見たことのない現象を目の当たりにしてしまっては、もはや疑う余地などない。水や氷の魔法以外にはいったいどんな魔法があるのかと、観衆となった彼らの期待は高まる。
だが、パフォーマンスの締めは魔法ではなかった。
ピキッ、バゴグシャッ! ゴトンッ!
右手の握力だけで、芯まで凍りきった氷球を粉砕することだった。
一瞬のうちに下半分を失ったことで球体の氷塊は床に落下するが、その衝撃ではビクともしない。
床から発せられた鈍く重厚な音が、視覚的に分からなかった氷塊の頑丈さを示し出す。
こんなものを簡単に握りつぶせる握力は、先の魔法とは違ったベクトルでこの世界の異質さを見せつけたのだった。
「えぇぇぇぇえええっ!!?」
「うぉおおおおおお!」
「すっっっげえぇぇえええ!!!」
「ま、魔、魔法と……ゴリラになる魔法!?」
「……す、すごすぎ、訳が分からないッ……!!」
「やっっべぇー!!なにこれ!!オジサン何者!?」
観客からの拍手はない。ただただ、彼らは驚いていた。
いや、驚くしかなかった。それが未知を目の当たりにした高校生に出来る精一杯の反応だ。
もし今の様子を冷静に分析できるほど肝の据わった奴がいるならば、是非とも会ってみたいとクロサキは思う。そんな人物にこそ任せたい仕事は山ほどあるからだ。
おじさんという響きに懐かしさと哀愁を感じながら、何者かという問いかけに答える。
「俺は君たちを呼んだ張本人だ。そして、先輩であり、師匠であり、支援者でもある。もっともそいつは、君たちが俺達の頼みを聞いてくれたら、の話だけどな」
そう言って、彼はニカッと笑った。今後の為に良い印象を与えたかったのもあったが、彼らがしてくれた新鮮な反応に対する素直な気持ちが大半だった。普段は使わない表情の方の筋肉をふんだんに使った気がしていた。
黒崎レイジが咄嗟に行った魔法のデモンストレーションは、彼らの心を鷲掴みにできる見事なものだった。
現代の科学技術では到底不可能な芸当は、インターネットの発達により何が実現可能で、何が空想なのかという知識を豊富に持つ、現代の日本の若者たちには効果抜群だった。
そして、今、魔法という未知の可能性が目の前に、手の届く距離にある。それを理解した高校生ならば、クロサキがこれから行う魅力的な提案を聴くまでもなく、その頼みを快諾しようと決めるだろう。
彼には、100回生まれ変わっても、100回そう思う自信があった
だが、彼の想定に含まれない生き方をした高校生は存在する。
「すいません。申し訳ないですが、明日から文化祭なので帰らせてください」
私立珱海学園高等学校1年2組の学級委員長にして、クラスの誰もが認める親しみやすい優等生。
鈴木安良義はそんな連中の一人だった。