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明人に機嫌をなおしてもらうのは大変だった。
「だから、ごめんってばー」
壁に背を預けて煙草を吸う明人の横に座って、何度目かの謝罪を口にする。でもつい笑ってしまうので、効果は無い。
やはりアラフォー男性としては、同い年の女から可愛い発言されるのは微妙なんだろう。今度からは思っても言わないようにしよう。うん。
誠意のない謝罪はまるっとスルーして、気持ちを落ち着けるように喫煙する明人は……うん、やっぱり可愛い。拗ねてるよね。
「なあ、吸い殻って、ここに残しちゃまずいよな」
ようやく明人からかけられた言葉は、直前の会話とは全く関係のないもので。
「……携帯灰皿は、喫煙者のマナーだと思うよ」
「だよな」
ここは日本じゃないけど、だからといってマナー違反はよろしくない。
見上げた先では明人が携帯灰皿に吸い殻を処分していた。吸い殻が水に溶けると有害だって聞くし。というか最初から灰を落とす先も携帯灰皿だったんだから今更聞くことでもないんじゃあ……と考えて気付く。単に話すきっかけに使っただけだ、と。
「ところでさっきの話だけど」
「さっきって……」
明人が可愛いって話? と直接聞くのは躊躇われた。ほら、一応、言うのはやめておこうと決めたばかりだったし。
「美弥にとって俺は大事でダイスキな相手って話」
「……可愛いって言ったの、根に持ってるでしょ」
あえてそこを出す辺り、明人はたいがい”いい性格”をしている。
「まあそこそこ」
「否定しようよ……」
「だからさ、ここで誰かに会ったら、美弥は俺の妻って言うから。ちゃんとあわせろよ」
「……はあ?」
ツマって、刺身についてる大根のつまじゃないよね。
何がどう『だから』なの?
「待って。なんでそうなるのか、全然理解出来ない」
明人は座ったまま見上げる私を一瞥した。
「アキ?」
「立ち上がって後ろ見て」
「……手ぐらい貸してくれたっていいと思うの」
「ああ、悪い」
半分冗談だったのに、明人はちゃんと手を出してくれた。ありがたくその手につかまって、立ち上がる。よっこいしょ、という声はギリギリ抑えた。
「後ろって……この建物?」
「そう。どう思う?」
なにを言わせたいのか分からないので、改めて建物を見た。
石造りで、サイズ的には日本の一軒家よりも大きい。ただし平屋というのか、一階建だ。雪が降らない地方なのか、屋根は平べったい。日本の一般的な建物とはほど遠い。イメージ的に海外……欧州だったらこういう建物もあるかもしれない。
「電気は通ってないよね」
「ああ」
「家っていうよりは公共施設っぽい気がする」
家だったら、煙突とかあってもいいだろうし、いくつか目にはいった窓にはカーテンが一枚もかかっていない。第一周辺は人工物がなにもない平原と林なのだ。こんなところにぽつんと家が建っているのはおかしい。
「公共施設ってことはさ。誰かが、目的があって造ったってことだよな」
「そうね。いくらなんでも、自然に出来たものじゃないわ」
「つまり、これを造るような文明があって、造った何者かがいるってことなんだよ」
「……その何者かに会うってこと?」
なんとなく言いたい方向性は分かってきた。非常にまわりくどいけど。
「可能性は高い」
うん。そこまでは分かる。
この建物だって、廃墟特有のさびれた雰囲気はないから、誰かが定期的に手入れをしているんだろう。
「というよりも、会わなきゃ、だな」
「……危険じゃない?」
「だからって、ずっと二人でここに居る訳にいかないだろ。用心はするさ」
確かに、それはそうだ。
私たちはスーパーやコンビニに行けば食材を調達出来る便利な状況に慣れている。いきなりこんな環境で自活出来るほどのサバイバル能力はない。
一人暮らしをしてるし、母からも瞳さんからも鍛えてもらったので、普通に料理は出来るけれど、ガスコンロも電子レンジも冷蔵庫もない場所では難しい。包丁もないし。
基礎代謝があるので、なにもしなくてもカロリーは消費され、お腹はすく。
じゃあどうすればっていうと、ここで生活してる人の知恵を借りるべきなんだろう。勿論、言葉は通じるのか、よそものは受け入れられるのか、という問題はある。
「俺たちの目標は、二人で無事に帰ることだ。そのためには、生きなきゃ」
「……うん」
小さい子に言い聞かせるような、諭す口調だった。
……私たち、同い年なんだけどな……。
「それは私にも分かるけどね。でも、なんで、つ、」
妻、と言いかけて、躊躇った。
立ち上がった時から手をつないだままな事に今更気づかされる。反射的にふりほどこうとしたら逆にしっかりととらえられてしまった。……この指をからめるのは、恋人繋ぎってやつですね……。膝枕に恋人繋ぎと、三五年かけても地の底を這うしかなかった恋愛経験が、たった数時間で上昇した気がします。相手が明人だから恋愛じゃないけど。
「二人で行動するには自然な理由だろ」
「き、兄弟とかでもいいと思うの!」
「……俺のことを『お兄ちゃん』と呼べるんだったら検討してやってもいい」
「ごめんなさい無理です」
即、白旗をあげた。
なるほど、明人も考えた結果なのか。
二人共が戻るためには一緒に行動すべきで、それが自然な関係が必要、と。
そりゃそうか。明人ほどの人が好き好んで私なんかと夫婦設定したいはずがない。嫌われてるなんて思ってはないけれど、(むしろ、かなり大切にされていると、さっき教えられたばかりだ)お互いに持っているのは家族としての愛情だ。
よし。理解した。
「あー……設定として必要ってことね。うん、分かった。元々家族だし、どうにか出来ると思う。……多分」
「設定……」
自分で言い出した事なのに、なぜ凹んでるんだろう。
「私じゃ物足りないだろうけど、アキから言い出したんだからよろしくね?」
呻くように「そうじゃない」とか呟いてたけど、じゃあなんだっていうのよ一体……。