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1-5

◇◆◇◆ 1-5


「だーかーらー、悪かったってば」

 拗ねて、体育座りする私のご機嫌をとるように、明人は頭を撫でる。その声が笑っているのは、長いつきあいだからよくわかる。

 顔を伏せているのは、顔が赤くなっているのを隠すためだ。

 図星をつかれて恥ずかしいやら腹がたつやら。というか。この年でキスすら初めてって、我ながらどうよ。

「俺としてはまだ経験なしで嬉しいって」

 抉るな。それに嬉しいってなんでよ。

「誰のせいよ……」

「俺のせいって言いたいわけ?」

 当然、そうだ。明人のせいだ。

 だって、考えてみてほしい。

 身近に超ハイスペック男がいると、それだけ目がこえてしまうのだ。その無駄にこえた目を満足させてくれるだけの相手は勿論存在はする。ただ、私と釣り合いがとれるはずもなく。……自然と縁遠くなってしまう。ましてや地味に生きるをモットーにしてるので、二十代の頃だって合コンのお話なんてほとんどなかった。

「うるさい」

 遠回しに肯定すると、ちょっと手がとまった。

「じゃあ責任もって、俺が美弥の初めて全部もらって、嫁にするから安心しろよ」

 愉快そうな口調がムカつく。

「絶対、嫌!」

 そんな事になったら、どれだけ恨まれることかと考えると、恐ろしい。

「即答かよ……」

「無理なものは無理だし」

 女の恨みは恐ろしいのだ。

 ましてや私は「家族みたいなものなのでそういう対象じゃないですよーむしろ皆さんの応援しますよー」的スタンスでいただけに、恨み百倍になることだろう。

 無理。絶対無理。

 仕事に支障きたすっていうか、もう会社追い出されるレベルだ。この年で転職は難しい。今の会社に居続けたいから、結論は『無理』一択。

「とにかく、それだけは無理だから。お願い分かって」

 強引に話を終わらせる。

 そもそも帰れるかどうかも分からないのにね。

 ……猫カフェ行こうとか考えてた私が言うことでもないか。

「そういえば」

 顔をあげて、改めて明人をみる。……うん、やっぱり、若い。

 表情なんかは、積んできた経験に左右されるので、実年例相応なんだけれど。目元とか肌のハリなんかは違う。ここは素直に言おう。羨ましい。

「アキってば、若返ってるよね? ズルイ」

「……俺もなのか」

「はい?」

 明人の言ってることが理解出来なくて首をかしげる。

「鏡持ってるだろ」

「化粧ポーチの中にはいってるけど……」

「じゃあそれで確認してみろよ」

 さすがにここまできたら、何を確認かは言われなくても分かった。

「……うん」

 寝てる間に回収してくれた鞄から化粧ポーチを取り出して、確認する。


 結論、本当でした。

 明人だけじゃなくて、私も若返ってた。


「俺にはズルイって言ったくせに、喜ばないんだな」

 鏡……というかファンデのケースで明人は顔を確認すると早々に返却してきた。昔から明人は自分の造作に最低限の興味しかもっていない。こんなに整っているのに。いや、だからこそ……なのかも? 何もしなくてコレだから、とか。まあ今はどうでもいいことだけど。

「うーん……だからなのかなぁって思って」

「何が?」

 肌のハリが違うとか、実は数本混じってきた白髪がなくなったっぽいとか、そういうのを喜ぶ以上に、すとんと腑に落ちたことがある。

「ごめん、うまく言えない」

 曖昧に言葉を濁す。

 たとえば。

 着ている服は昨日と同じだ。セールで買ったお気に入りの秋物ニットにカーゴパンツをあわせたスタイル。去年購入したコートもストールもそのままだ。

 それなのに、どうしても昨日の続きとしての自分である実感がもてなかった。

 さもありなん、だ。だって体が違う。

 昨日までの……三十五歳の私じゃないのだから。

 どこかで一度途切れている。

 若返っていると知って、違和感の原因が分かった。


 じゃあ、これは誰なんだろう。


 今、明人と会話をしている私は、本当に工藤美弥なんだろうか。

 トラックが突っ込んできたなんて衝撃的な事すら覚えていない自分が本当に『工藤美弥』であると断言出来なくて、ぞくりとした。

 そんな不安を持つなんて馬鹿げてる。

 そう囁く声もあるけれど、現状が現実離れしているのだから何が正しいのか分からない。

「これ着とけ」

 明人は自分のコート私に羽織らせた。

 特に寒気をこらえる仕草をしたわけでもないのに、よく気付いたな。

「大丈夫、ありがとう」

 ただ、寒い訳じゃないのだ。

「ちょっと不安になっただけだから……」

 あわてて返却すると、明人は「ああ」と頷きながらコートを受け取った。

「どう考えても普通の状況じゃないよな」

「……うん」

 誤解はそのままにしておく。

 いやもちろんそっちの不安もあるけどね。

「アキは……いきなり若くなったのとか、どう思う? ……って、何よ」

 躊躇いつつも聞くと、不思議そうに見られた。そんなにおかしな疑問だっただろうか。

「いや……気にするところ、そこなんだって思って。そうだな……まあ実年齢じゃなくてよかったな、ぐらいか」

「……それだけ?」

 あっさり言われて、面食らった。

「だってこのままだと今晩は布団で寝るとか無理だろ。三十代の体だったら翌日つらいけど、これだったら多少マシだろうし」

「そりゃまぁそうだけど……」

 回復力とか、全然違うしね!

 でも、それでいいの?

「今こんな状況にあるのと、若返ったのはどうせ同じ理由だろう。考えても仕方ないさ」

「……そう」

 納得しきれないけれど、一つ、安心できたことがある。

 明人は、私と同じ不安を持っていない。ちゃんと昨日の続きとしての己であることに疑問をもっていない。だから、明人は大丈夫だ。

 そう分かると、安心出来た。

 そして決める。私のあの不安は伝えないでおこうと。

 少しでも共有出来る内容だったら相談もしたけれど、明人はかけらも抱いていない危惧だ。無事に生き延びるのが最優先事項だから考えても仕方ないことは後回しにする。

「アキって図太いよね」

 わざと茶化して言う。

「お前な」

「だって、余裕あるし」

「余裕なんてないけどな」

「そう?」

 とてもそうは見えない。

「ま、アキらしくていいんじゃない」

 勝手に明人のことを「歩くフェロモン」とか「歩く人たらし」と呼んで、たらされた人たちを信者扱いしている訳だけど。

 『信者』たちが惹かれるのは、外見や能力がきっかけであっても、最終的には性格だ。

 もって生まれたリーダー気質とも言える。

 必要な時に進むべき道を指し示してくれる人間がいるだけで、人は心おれずに頑張れるものだ。

 結果は目指したものじゃなくても、考えられる最善を尽くせた、だから悔いはない。

 そんな風に明人は(ほぼ無意識に)皆を導いていく。

 言うや易し、行うは難し、だ。

 諦めない。前を向く。

 言葉にすれば単純なことを実行し続けられる人間はごくわずか。

 だから惹かれる気持ちは分かる。とてもよく分かる。

 ただ「一生ついていきます」的な信者化するのは全く分からないし、正直ドン引きする。

 向こうも私のことを嫌っているようなので、理解されたいとも思ってないだろうけど。

「アキが図太いが嫌なら、私のほうが繊細ってことでもいいわよ?」

 小さく笑って言う。

 明人は大丈夫と安心もできたし、この話題はそろそろ打ち切ろう。きっと「何だよそれ」的な返しがくるから、冗談ぽく終わらせるつもりだった。

 ……の、だけど。

「良かった」

 何が?

 と、いうか。何故抱きしめられているのだろうか。

 そういう話の流れではなかったはずだ。

「……ええと……アキヒトさん?」


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